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楽園の紛糾
傷心9





 小一時間ほどハイウエイを走ってから、車は脇道に抜けた。細い曲がりくねった道をさらに三十分ほど行くと、広い丘に出た。
 草原だった。
 ふたつの月が夜空に輝いていた。草原のむこうには続くものは何もない。
 時折見える輝きによって、丘の下に海が広がっている事を知る。森にとってそこは、初めての場所だった。
 丘の上にひとつの小さなコテージがあった。
 武蔵坊はその前で車を止めてエンジンを切った。
 森は武蔵坊に促されるまま車を降りて、その中に案内された。
「ここは?」
「わたしの別宅だよ。長期の休暇はここで過ごしていた。昼間は眺めがいいんだ。静かで……めったに人は来ない」
 喧噪から逃れて、独りで静かな時間を楽しむ。それは武蔵坊らしい在り方だと森は納得した。
「いつか、君をここへ招待しようと思っていてね。急で申し訳無かった」
 武蔵坊はドアを閉じてから、森を抱き寄せた。
「――夜明けまででいい。一緒にいてくれ」
 そう告げられて、くちづけを贈られた。
 森は、武蔵坊に任せながら不安を募らせる。
 森が退院してから、何度か逢瀬を繰り返していた。
 武蔵坊との時間は優しくて、互いに束縛しない関係は心地よかった。
 なのになぜ、今はこんなに不安になるのだろう。
 森は本能に近い感情で武蔵坊に縋った。

 手を引かれてコテージの二階に案内された。
 広いベッドに新しいシーツを敷いて、武蔵坊はそこに森を誘った。
 何も訊かずに、森は武蔵坊に従った。

 武蔵坊の愛し方に随分と馴染んできた。武蔵坊もまた、森の心地よい場所をよく知っている。武蔵坊に与えられる愛撫の全てが快感に繋がり、すぐに昇りつめてしまいそうで堪えきれない。
 何度も互いの名を口にする。
 いつもにも増して情熱的に森を求める武蔵坊の愛し方は、森にとって悲しい予感を抱かせた。
 それでも与えられる快感には弱くて、力強い腕と胸に抱かれながら、今では知ってしまった深い快楽の中で何度も戦慄いて、熱い体液の迸りとともに甘美な愉悦に落とされた。
 自分の中の硬い灼熱が、繋がっている部分でも実感できるほどに脈動しながら、さらに熱い射液で体内を満たす。
 それが心的な満足と快感を与えて、森を陶酔させた。



「わたしは、君の幸せを祈っていたはずなのに……」
 武蔵坊の胸に抱かれながらその声に耳を傾ける。
 どうして、そんな言葉を残そうとするのか。
 森の胸がまた理由のわからない痛みに疼いた。
「君の想いを大切にしたいと言っておきながら、結局は自分の意のままにしてしまった」
 森は瞳を閉じた。ささやきに耳を傾けているうちに、涙が耳元を伝って武蔵坊の腕に零れ落ちた。
 気付いた武蔵坊か涙をキスで拭う。今となっては、その優しさが残酷に思える。
「わたしが、君の身体に刻み付けてしまったものは、もう拭い去る事は出来ないのだろうね……」
「――何処へいくの?」
 抱いていた予感を口にする。
 武蔵坊が追われる身となった今、彼が自分から去ろうとしているのが分かる。
「どこにも行かないよ」
 武蔵坊は穏やかに微笑み返してきた。
「君の傍にいる。わたしはいつも君とともに在る」
 魂の所在を告げる。想いは全て自分に預けていると言う。それは多分武蔵坊にとっての、これ以上無いであろう愛の告白だ。
 森は戦慄した。
「いやだ……。僕も行く。僕も連れていって!置いていかないで!」
 森は武蔵坊に縋った。零れる涙が武蔵坊の胸に伝わる。
「独りに、しないで」
 あえかな懇願が、森の頼りなく揺れ動く感情を示す。
 武蔵坊は、身を切られるような辛い決断をしなくてはならない状況を作り出してしまった自分自身に対して、自責の念を抱いていた。
 自分が反旗を翻す事になろうとは思いもよらなかった。味方である森に背中を見せる事になろうとは予想もしていなかった。
 いつも傍に居て彼に安らぎを与えていたかったはずなのに。
 それでも自分は、何より戦場に赴くことを優先してしまう。
 それは、武蔵坊が自身に課した宿命でもあった。
 それなのに今、決意が揺れる。
 何度も繰り返した逢瀬が、愛しさを募らせた。
 どうしても最後に逢いたくて、愛し合いたくて、ここまで逃げて来てしまった。
 ひきとめられて心が動かされた事などなかったはずなのに、今はその決意が痛い。
 彼を独りにしたくないのは、武蔵坊も同様だった。
 今度こそ、彼を幸せに出来る者に託さねばならない。
 武蔵坊はそう決心した。
「――大丈夫。君は独りじゃない」
 武蔵坊は抱き締めて応えた。
「君を独りにはしないよ」
「本当?」
「ああ。さっきまでの話は忘れてくれ。わたしはどうかしていた」
 武蔵坊の笑顔に偽りはなかった。
「わたしでも、君を幸せにできる事を忘れていたよ」
「弁慶……」
「済まなかった、蘭丸」
 森の髪を撫でながら、武蔵坊は穏やかに視線を向ける。
「約束だよ弁慶。きっと……」
「約束するよ。必ず君を幸せにしてあげる」
 森は嬉しそうに微笑んで、縋るように抱きついた。
 この微笑みとぬくもりが、武蔵坊にとっての最後の手向けとなった。



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