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楽園の紛糾
いつも君のそばに5





 武蔵坊に追いついた森は、迷う事なくその胸にとびこんだ。
 驚いて迎えた武蔵坊の腕がその背中を包む。懐かしい広い胸のぬくもりにつつまれて、森は自分の想いをこれ以上だます事はできないと知ってしまった。
「弁慶……。忘れる事なんて、できないよ」
 好きだった彼の匂いが、森の胸をキリリと抓るように切なくさせる。武蔵坊を見上げて、しっかりとその目に焼き付けたいはずの顔が、溢れてくる涙で滲んで見えない。伝えたいたくさんの想いは、高ぶった感情で言葉にならなかった。
「蘭丸……」
 なぜ受け入れてしまったのだろう。
 迂闊な自分に戸惑いながら、それでも森の泣き顔を見ていると別れが辛くなる。
 訣別して、心を整理したはずなのに、ふたたび抱きしめてしまうと、どうしようもなく愛しさが込み上げてくる。
 まさかこんなところまで追いかけてくるとは思わなかった。次郎から伝えられた森の想いは本当だったのかと、今更ながら実感してきた。
「忘れないで、弁慶。……好きだから。あなたを、待っていていいよね」
 武蔵坊を仰ぎ見て、縋るように想いを伝える。
 そんな愛らしい様を見せつけられて、武蔵坊はたまらなくなって、強く抱きしめて想いを紡ぐ唇をキスで塞いだ。
 何も言わなくても分かる。
 互いに求めあっていた事など、本当はとうの昔に気づいていた。
 武蔵坊は自身への欺瞞を捨てた。
「生きていればまた逢える。それまで、待っていられるか?」
 心から渇望していた武蔵坊の言葉で、悲しみと歓びが綯交ぜになった感情に咽びながら、森は言葉を失った。込み上げる感情の波が、大粒の涙となってあふれ出す。
「──蘭丸」
「弁慶」
 ふたたびくちづけが贈られた。
 甘く、強く、互いの存在を確かめるように。長くくちづけを交わすふたりは、最後の時を惜しむ。
 やがて、閉じられた武蔵坊のまぶたから、ひとすじの涙の滴が零れ落ちた。
「──鬼の目にも涙……か」
 ふたりを見守っていた一条は、無言で佇む次郎に視線を移した。
 喪失感に苛まれているような眼差しは、一条にも痛々しく映る。
「さて……と。そろそろ行くか」
 一条は、ぼんやりと上の空でいる次郎の唇に、おもむろにくちづけを寄せた。
 何事が我が身に起こったのか、すぐには理解できない次郎の無抵抗につけこんで、じっくりとその柔らかで温かい唇の感触を堪能してから離れた。
「な……に?」
「して欲しそうやった」
 平然として答える一条。
 次郎は我に返った。
「あんたは一体何考えてるんだっっ!?」
 真っ赤になって逆上して襟元に掴みかかると、一条は不意に苦痛そうな表情を浮かべた。
「待てって。怪我人やねん。晴れの門出にバイオレンスはあかんて」
 いつもなら同時にバイオレンスに突入するはずの一条が、なぜか乗ってこない。
 次郎は勢いを削がれて手を放した。
「怪我人って。どうしたんだ?」
「──別れ際に女に刺された」
 平然と答える一条に、次郎は唖然とした。
「ペーパーナイフもな……意外とあなどれんな」
 あっはっはっ……と笑ってから、ひびく痛みにふたたび苦痛の表情を浮かべる一条。
「あんた一体、どんな女と付き合ってたんだ」
 驚いたままの次郎に、一条はニヤリと笑って返した。
「そんくらいな女やないと、俺とは一緒にいられへん」
 言葉とは裏腹に、穏やかな表情でいる一条は、ふと視線を落とした。
「──二十年もな……女を待たせるもんやないからな」
 そうつぶやいてから、一条もまた搭乗ゲートに向かって歩きだした。
「俺は待ってるぜ! まだ決着がついてないからよ」
 背中に投げかけられた次郎の言葉が、なぜか嬉しい。
 振り返った一条の顔が名残惜しそうに見えたのもつかの間。次にニヤリと笑って「俺のキスで発情したか?」と、ふたたび次郎を逆上させた。
「二度と還ってくるな──っっ!!」
 次郎の真っ赤になった顔を見て高笑いしながら、ふたたび脇腹にひびく痛みに悶絶して、一条はエアブリッジに入って行った。
 途中、ラウンジから見送る視線に気づいて振り返ると、そこに杉崎の姿を見つけた。
 一条は足を止めて、杉崎と視線を合わせて何かを伝えようとしたが、艦のエンジンの響きが高まる中とこの距離では、声が届くはずもないと気付いて、ふざけたキスだけを投げて寄越してきた。
 杉崎は苦笑して敬礼で応える。
 そして、一条の姿はエアブリッジから遮那王艦内へと消えて行った。
「ちゃんと送ってくればよかったのに」
 杉崎の隣で、ふたりの戯れ事を見ていた立川が呆れていた。
「俺はあいつにキスしてやる気は無いからな」
 杉崎は、一条に託されたHEAVENの、朱に染まる夕刻の空をながめて答えた。





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あきゅろす。
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