楽園の紛糾
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夏が終わろうとしていた。
いつの間にか並木道からはあでやかな花の色が消え、かわりに目立たぬ色彩の小さな実が所々でひっそりと育ち始めていた。
街なかでは、行き交う人々の中で、気の早いスタイリスト達がジャケットを羽織って歩く姿を時折見かける。
朱に染まる西の空と薄紫の東の空が美しく彩るカンバス。人々の行き交う夏の明るい夕刻はやがて違う彩りを添え始めた。
商品名をもじったライトや、BARやPAB、ゲームセンターを彩るイルミネーションがあちこちで点滅し始めて、歩道を行き交う人々はそれぞれの憩いの場へと吸い込まれて行く。
そんな人ごみの波にゆったりと身を任せるようにやってきた橘が、待ち合わせの相手をやっと見つけた。
「わるい!……ちょっと迷った」
悪いと言いながら少しも悪びれない笑顔が、憎らしいほど愛おしい。橘に対してはどうしてもそんな風に感じてしまう。
長い髪をゆるく三つ編みにして、少しだけルーズに着こなしたシャツと丈の長いジャケットが、カジュアルなイメージで可愛らしいとさえ思える。
西奈はそんな自分の感情がなんとなくくすぐったかった。
「この人と待ち合わせだったのー?すごーい、カッコイイ!!」
「あ。あのなんとかって俳優に似てるー!」
「ねえねえ。これからデートぉ?」
橘の後ろから突然わらわらとわいて出た女の子たちは、スーツ姿の西奈を囲んで色めき立つ。
「いや、ふたりでナンパに行くんだよ」
「やだあー!」
橘の本気か冗談か分からない答えを、女の子たちはケラケラと笑う。
「橘さん。この娘たちはいったい……」
うろたえる西奈に、橘は笑顔を向けた。
「道を聞いたらこの娘たちが連れて来てくれたんだ……。キミたちありがとう。もういいよ」
笑顔のまま素気無い態度をとる橘に、女の子たちは反抗する。
「やだあ!ちゃんとお礼してよお」
「あたしい、このお兄さんと遊びたーい!」
ひとりが西奈の腕に絡み付いた。
「どーせナンパに行くんなら、あたしたちナンパしてよ」
既に逆ナンしている事に気づかない彼女たちは、橘に食い下がった。橘はしばらく笑ってごまかしていたが、決断を西奈に迫った。
「――どうする?」
「仕方ないでしょう。あなたがお世話になったんですから」
渋々承諾する西奈の返事を聞いて、女の子三人組は喜んでふたりを引っ張って行った。
「カンパーイ!」
嬌声と笑い声の渦巻くビアレストランで、何のためかは分からないがジョッキ片手にとりあえず乾杯をしていた。
女の子たちは、その体力を反映しているかのように見事な飲みっぷりを披露する。
どちらかというとビール党ではない西奈と、アルコールをあまり受け付けない橘は、彼女たちの勢いに圧倒され通しだった。
酒がすすむと、彼女たちのおしゃべりと質問が矢のように降り注ぐ。
自称学生の彼女たちと、自称重機オペレーターの橘は何故か意気投合して盛り上がってはいるものの、自称しがないビシネスマンの西奈はその様子を傍観して、ゆっくりと紫煙をくゆらせながら橘の笑顔を幸せそうに見つめていた。
見つめているうちに、西奈は橘の変化に気づいた。
頬がほんのり上気して、目元がわずかに潤んでいる。
この状態には覚えがある。橘が酔い始めている兆しだった。
彼はソフトドリンクしか飲んでいないはずなのにどうして……と、西奈はうろたえた。
彼を酔わせてはまずい。
仲間うちで飲んでいるときは喜ばれても、こんなところで酔ってしまうと収拾がつかなくなる。
「橘さん。これ、なんですか?まさかアルコールは入っていないでしょうね」
橘の前にあるグラスを指して確認する。すると女の子のひとりがクスクス笑って西奈を見た。
「だってぇ……さっきからジュースばっかで付き合い悪いんだもん。あたしのと取り替えちゃった」
テヘペロと罪の無い笑顔で白状する彼女に、西奈は恐怖の底にたたき落とされた。
「ええ〜〜飲んじゃだめなのお〜〜?こぉんなに気持ちいいのにぃ」
出た!!……と、まるでもののけの類を目撃したように驚く。
再び出会える時を心密かに楽しみにしていたものの、こんな状況下では逢いたくなかった人物が出て来てしまった。
「たちばな……さん?」
西奈は確認してみる。
「やだぁ『翔子』って呼んでよぉ」
ケラケラと幸せそうに笑いながら、自分の肩にもたれかかってくる橘を前にして、西奈は緊張して固まってしまった。
「やだあーっ!おネェ?」
「可愛いーっ!」
「そーゆーひとだったのぉー?」
女の子たちはケラケラと笑って、橘の媚態を楽しんでいる。
「違います!このひとは酔うとこうなりますが『おネェ』ではありません」
必死に西奈は弁解したが、それを橘自身がぶち壊す。
「ねぇ〜リョウ。キスしてぇ。キスしてくんなきゃ翔子帰る」
西奈に迫る橘をみて、女性陣は俄然やっきになった。
「やっっ!橘さん、そーゆー事はあたしに言ってぇ!!」
「やぁよ。翔子、レズじゃないもん」
「だめよぉ。西奈さんはあたしがもらうんだからぁ」
「お子ちゃまが何言ってんのよ!10年早いわよ」
「何よお!翔子ちゃんだってお子ちゃまじゃないのよ」
「やーねぇ。あたしは大人よぉ」
意味のわからない女の争いを前にして、西奈は出来ることなら自分も酔い潰れてしまいたかった。
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