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愛と恋のはざまで 僕らは永遠の明日を夢見る(2019/04/24更新)
愛と恋のはざまで 4


4


 まっすぐ自宅に戻った杉崎は、すぐにシャワーを浴びてリビングでぼんやりと考え事に耽けていた。
 沢口に一体何があったというのか。
 あり得ない突発的な行動は、普段の沢口からは想像も出来なくて、予測すらつかない。
 そして、ジェイドの意味深い言葉。
 杉崎はそこまで考えてから、改めてジェイドの指摘を思い出した。
 黒木が沢口を追っている。
 その事実を知りたければ直接黒木に尋ねるように伝えられた。
 黒木は情報局局長だ。
 そんな黒木が関わっているとなると、何か事件に巻き込まれたか……と懸念する。
 しかし、ジェイドは「あくまでも個人的な事」とも示してきた。
 黒木が個人的に関わっている人物とは誰か。沢口はその人物と密接な関わりがあるという事だろうか。
 そんな事を色々と考え込んで更に取り止めもないスパイラルに落ち込んでしまいそうになって、杉崎は黒木とコンタクトを取ることを決意した。



 連絡を受けて夜も更けてから、退勤してきた黒木が、湊を伴って杉崎の部屋にやって来た。
 杉崎個人のコンピューターシステムを簡易的にカスタマイズして、湊は持参した端末と連動させる。
 杉崎の書斎は、湊の手によって、すっかり戦闘情報司令室なみの情報センターと化して対象者の行方を追い始めた。
 杉崎は、なぜこんな大事になっているのかと困惑した。黒木の野村への執着にも程があると呆れる。
大体の事情は、黒木からの話で飲み込めた。
 野村が失踪して音信不通となっている。それは沢口が失踪した時期とほぼ同時だと黒木は指摘する。
事実、現地に飛んでいる情報員からは、ふたりが行動を共にしているとの報告があったと云う。
 しかしながら、こんなスパイごっこに興じている暇があったら、さっさと連れ戻せばいいではないか……と杉崎は思う。
 それを指摘した杉崎に、黒木は深慮して慎重に関わるべきだと示唆した。
 一体何を怖れているのかと疑いたくなる程、黒木からはいつもの自信が見えない。
 杉崎は、沢口が一体どんな事に関わってしまったのかと、不安を抱き始めた。
 その時、杉崎の携帯に響姫から連絡が入った。
 これから杉崎と会いたいと言う。
 杉崎は事情を説明して断わりを入れたが、それを聞いた響姫は尚更会いたいと言い出して、すぐに杉崎の部屋にやってきた。
 ドアの前に立つ響姫の後ろには何故か早乙女が立っていて、爽やかに挨拶を寄越してくる。
「なんでおまえまで……」
 事情が事情なだけに、あまり大勢に関わって欲しくなかった杉崎は、早乙女の登場を歓迎出来ない。
「ふたりきりになんてさせませんよ」
 早乙女の疑心は的はずれで、杉崎を食傷させる。
 いくら説明しても納得しなかったのだと、響姫が落胆した様子で杉崎に詫びを入れると、杉崎はふたりに部屋に上がるように促した。
 ふたりを書斎に案内して黒木に声をかけると、黒木よりも湊のほうが反応してゲストを歓んで迎え入れた。
「ボス!?」
 キーボードに向かっていた湊は、席から立ち上がって早乙女に素早く接近した。
「うっわ!……こんなところで逢えるなんて」
 湊は感無量で早乙女を見つめた。
 当の早乙女は、まずい相手に出くわしてしまった……と、湊の顔を見上げて硬直していた。
 事情を知らない響姫は何事かと訝しむ。
「私服姿も素敵だ」
 公務を離れた早乙女は、普段のスタイルで湊の前に存在している。ダークブラウンの穿きこなしたコットンパンツに同素材の黒地のシャツ。少しだけくせのある淡いブラウンの髪は、ナチュラルなまま前髪が額を覆っていた。その姿が新鮮に映って、陶然と早乙女を見つめる湊の視線に、周囲は不吉な予感を抱いた。
(ああ……はじまったぞ。どうすんだあれ?)
(いや……もう、どうしようもないんだあれは)
 杉崎と黒木は小声でぼそぼそと牽制し合って、ただふたりを見守ることしか出来ない。
 過去に何度もこんな場面に遭遇してきた杉崎と黒木は、この後の展開が容易に想像出来て困惑する。
 見つめられる早乙女は、自分が置かれた状況を察して、狼狽して湊から逃れようとしたが、すぐに両肩をしっかり捕まえられてそのまま抑制された。
「湊……おまえ。ちょっと、落ち着けっっ!!」
 一瞬逃げ遅れた早乙女は、そのまま湊に捕まった。
「ボス、奥の部屋借りますね」
 目の前に展開される求愛行動に驚いて唖然としたままの響姫を置いて、湊は杉崎の返答を待つことなく早乙女を抱きあげて奥の部屋へと踏み込んだ。
「な……に?」
 響姫は何が何だか分からないで、その場に佇んだままふたりを見送った。
「洸……。済まない。いつも救けられなくてな」
 杉崎は、ばつが悪そうに響姫に伝えた。
 ということは、この事態は公認で日常茶飯事だったのか……と響姫は呆れた。
 ヴァナヘイムの前線では、早乙女はまるで海兵隊への褒美の品のように差し出されていたに違いない。それでいい働きをするから、黙認されてきた。
 というより、積極的に仕組まれていたのではないだろうかと、響姫は疑う。
「実害は?」
「ない」
 確認する響姫に対して杉崎は即答した。
 響姫は渋い表情で考え込む。
 多分それなりのセクハラはあっても、あちこち触られる位で深刻な事態ではないからこうやって黙認されているのか……。そんなふうに認識してから、響姫はこだわりを捨てたように表情を改めた。
 そんな響姫の変化を察して、杉崎は響姫の用件を確認した。
「――で、どうしたんだ?」
「いいのか?」
 響姫は、黒木の存在に気を遣いながら杉崎に確認した。
「ああ。同じ事情を抱えて、共同で調査中だ」
 杉崎の返答によって、響姫は彼らの目的を確信した。
 響姫は、早乙女が寝室に拉致されて襲われている間に、大切な事を杉崎に伝えた。
「――沢口から……連絡があった」
 響姫が伝える事実に、ふたりはぎょっとした。
 時折寝室から早乙女の救けを求める声がするが、ふたりの耳には届かない。
「ひとりではないから、心配するなと言っていた」
 響姫の憂いを含んだ表情が何かを思い出させる。
「どうして……おまえのところに?」
 尋ねる杉崎を見つめてから、響姫は不意に視線を落とした。
「――俺なら、気持ちを分かってくれると思ったんだろう?」
 実際、沢口の思いは良く分かる。
 そして、沢口と共にいるであろう野村の思いは、かえって杉崎の方が良く分かるのではないかと思えた。
フェニックスでの野村と沢口との関係を見守ってきた響姫には、今のふたりの苦悩が見えて、過去の自分たちの在り方に酷似している関係は、思うだけで切なくなる。
 杉崎はそんな響姫の態度から、沢口が置かれている状況を洞察した。
 今回の失踪に事件性は無い。
 立川が示唆した通り、それは沢口の意志による行動だった。
 どうやら自分が不在だった間に、過去の自分たちと同じ関係が沢口と野村との間に築かれていたらしい。
 響姫が今、いささかナーバスになっている理由はそれか……と杉崎は気付いた。
 そんなふたりのやり取りを眺めていた黒木は、杉崎と響姫の関係を察して、この一連の出来事との関連性を予測した。
 そして、沢口と野村との関係が明らかになった今、杉崎と黒木はさらに困惑してしまった。
 杉崎は気持ちを切り替えて、黒木と響姫をリビングに誘導してソファーに寛ぐよう勧めた。
 冷蔵庫から秘蔵の酒を取り出して封を切り、冷酒グラスをテーブルに並べて酒を注いだ。
「いいのか?こんな時に」
 響姫が苦笑しつつ、勧められるままグラスを手に取った。いい酒だと分かるから飲みたくないはずがない。
「いいんだ。事情はだいたい掴めたからな。……後は、俺たちがどう出るかだ」
 自分に手酌して、杉崎はふたりの向い側に座る。
 そして、酒の香りを楽しんでから、ひとくち飲み下した。
「――旨い」
 杉崎は満足して視線をグラスに落としたまま笑みを浮かべた。
「酔狂だな」
 黒木がその風情を見て笑う。
 こんな状況でも酒を楽しめる杉崎の在り方は、正直あまり理解出来ない。
「ああ……確かに旨い」
 響姫もまた一口飲み下して微笑んだ。
 そんな響姫を見つめて、杉崎は改めて尋ねた。
「電話一本で済む用件だ。……どうしてわざわざ出向いてきたんだ?」
 その行動の裏にある響姫の感情が気になった。響姫が沢口に同情して、保護したかったのかとも思える。
「さあな……。ただなんとなく、沢口の気持ちが分かる分、放っとけなくてね」
 自嘲するように応える響姫と、つられて苦笑する杉崎とのやり取りは、端で眺めている黒木にとっては大いに訳ありに見えた。
 そう言う関係だったか……と改めて気付く。
「われわれを阻止するつもりか?」
 黒木は響姫に真意を確認した。
 響姫は失笑して返す。
「まさか!そんなつもりはないよ」
 やはり、このふたりは機を見計らって強引にでも連れ戻すつもりでいたかと思う。
 響姫は、杉崎の本音が知りたかった。
「どうするつもりだったんだ」
 質問を向けられて杉崎は苦笑する。
「どうもこうもない……。事件性があるなら救助するつもりでいた」
 しかし、今回の事は沢口と野村の逃避行と判断出来る。介入は難しかった。
「なんだ……随分消極的だな」
 自分の事を棚に上げて、黒木が笑いながら指摘する。
 杉崎の在り方が意外だった。
「ここで、はっきりさせておきたいのだが……」
 黒木は、自身の予測を直接杉崎に確認した。
「艦長の行動と、この件についてあなたが介入する根拠となる……あなた自身の感情との関連性について教えてくれ」
 黒木は、既に答えを知っている。
 杉崎は、敢えて隠すこともないと思っていた。
「沢口は俺の恋人で、付き合いは長い。実質夫婦みたいなもんで……コイツんとこと一緒だ」
 杉崎は、響姫に視線を合わせて答えた。
 例えに使われた響姫は、突然の振りに少しだけ動揺を見せた。
「早乙女艦長と?」
 黒木は改めて確認する。
 知ってはいたが、改めて聞くと意外な組み合わせでもある。接点は少ないように思えた。
 とは言っても、自分と野村の関係も意外と接点は少ない。
 意外と言えば意外なのかも知れない。
「――では、互いの恋人が我々が不在だった間に関係を深めてしまったと云う結論で、間違いないのだな?」
 黒木が下した結論は、言った本人をも含めて、重い空気を取り込んでしまった。
「まあ……。たぶんそういうこと、なんだ……が」
 切れの悪い返答で言葉を濁して、杉崎はなんだか居たたまれなくなる。
 そんな杉崎の態度を見て、黒木もまた居たたまれなくなった。
 ふたりの落ち込みを目の当たりにして、響姫は同情した。
 いくら理性的に落ち着いて振る舞ってはいても、ふたりとも前線への出征中に恋人に浮気された可哀想な男たちだ。浮気した側のいきさつも知っている響姫にとっては、何とも言い難い複雑な心情にさせられる。
 誰かが意図したことでは無く、そのことによって誰もが傷ついた。
 だからこそどう動いていいのかが分からない。ふたりをそっとしておいてあげたい反面、杉崎と黒木の気持ちを考えると、それは辛いと思う。
「――呑もう。失恋した訳じゃない。あいつらだって迷っていたから、とりあえず行動を起こしてみただけだ」
 響姫はグラスに酒を注ぎ足して、ふたりを促した。
「人生は長いんだろう?こんな事もたまには発生するさ。その度に乗り越えて行けばいいんだ」
 励まされたふたりは、響姫の笑顔になんとなく癒されて、促されるままグラスの酒を煽った。
 放置された寝室のほうからは、いつのまにか助けを求める声が聞かれなくなっていた。


△ □ ▽


 時を遡る事、前日の深夜。
 ベッドでまどろんでいたフェニックス戦闘機隊副隊長である藤峰葵の携帯が、ベッドサイドのテーブルの上で鳴動した。
 寝惚けたままテーブルに手を伸ばして、そのまま手探りで携帯を掴んだ。
 夜間の緊急呼び出しとは思えなかったが、一応応答してみる。
「はい……藤峰ですぅ」
 ふにゃふにゃとした声で携帯に出た葵の耳は、次の瞬間、緊急事態よりも切迫した声に叩き起こされた。
「――葵!大変よっっ!!」
 声の主は、フェニックス戦闘情報室室長、水無瀬一葉だった。
「ひーたん?……なに?」
 寝惚けた頭でも、一葉のひっ迫した様子は理解出来て、なんとか応答しようと働かない思考にムチ打って応える。
「艦長が病院から脱走して隊長と逃げたわ」
「なんですってぇ――っ!?」
 眠気が一気に吹き飛んで携帯にかじり付く。
「ふたりの行方が捜索されて、なぜか軍情報部が動いている。ふたりの関係が知れたら……ううん、きっともう知られてしまっている。……このままだと、ふたりは引き離されちゃうわ!!」
 狼狽する一葉は、今この情報を掴んだばかりなのだろう。
 多分、すぐに葵に知らせてきたに違いない。
「ひーたんは仕事なの?」
「ううん。違う」
 仕事外でどうしてこんなコアな情報を入手出来るのか。葵は、わき上がる疑問をなだめてから、野村と沢口の救出を考えた。
「ふたりに連絡は?」
「取れないのよ。携帯の電源が入っていないの」
 故意に切ってあるとしか思えない。
 全てのラインをシャットアウトして、干渉を阻んだつもりなのだろうが、それがかえって自分たちの目を塞ぐ結果になる。生体融合兵器のくせに、どうしてそんな事が解らないのか。……と、葵は焦れったく思った。
「どこにいるか分かるの?」
「マーシャル諸島よ。……離島にいるわ。交通手段がほとんどないの」
「分かった。なんとかする。……ふたりを、早く保護しなきゃ!」
 葵は義務感に駆られて、勢いよくベッドから起き上がった。
 しかし、背中から伸びてきた長い腕に拘束されて、まるで、潰れたカエルのような声を洩らして、そのままベッドに引きずり込まれた。
「――夜中にうるせーな。なにやってんだ?」
 眠そうな男の声が、背中から響く。
 葵は、一緒に寝ていた土井垣篤士の存在を、すっかり忘れていた事に気付いた。
 しかし、一葉から軍情報部が動いていると聞いた葵は不思議に思った。
 野村を捜索する情報部は、当然黒木を中心にして動いているはずだ。いつも黒木にべったりとくっついている土井垣が、どうしてこんなところにいるのか。
 葵は土井垣の在り方を疑った。
「篤士さんこそ、こんなところでなにやってるの?」
「あ?」
 突然の切り返しに遭った土井垣は、葵の意図が掴めない。
 土井垣の目の前に迫ってくるノーブラのタンクトップから、小さな蕾がぷつんと透けて見える。
 ささやかな胸のふくらみは、それはそれでエロティックだと思う。
 土井垣は混乱していた。
「なに……?」
「たった今、フェニックス情報室から連絡があったの。軍情報部がフェニックス艦長を追っているって。どうして?」
 土井垣は、すっかり目を覚まして、葵の詰問に狼狽した。
 葵はさらに迫る。
「タカさんが艦長と同行している。情報部はそこに横槍入れる気ね?」
(野村と沢口に槍突っ込んでどーするんだよ)
 土井垣には何が何だか全く理解出来なかった。
「あたしを足止めして、ふたりを孤立させた。そうでしょう?」
 勝ち誇るように迫る葵は、人格が変わっているように見えた。
 野村の事となるとなぜここまで執拗になるのか。土井垣には理解出来ない。
「残念だったわね。ふたりの後援者は多数存在するの。フェニックスの女子乗組員はほぼ全員あのふたりの味方よ。情報部がふたりを引き離すために介入すると云うなら、それを阻止するまで!」
(――後援会?)
 土井垣は得体の知れない世界に引き込まれそうになる。
(……っつか、それってストーカーじゃねぇの?)
 心の中でさらにツッコミを入れていた。
「あっっ……ちょっっ!葵!?」
 ベッドから抜け出す葵を土井垣は慌てて引き止めた。
「おまえ何か誤解……」
 ベッドから半裸の体を乗り出して訴えようとする土井垣に、葵は険悪な表情で立ちはだかった。色気の無い白いタンクトップとパンツ姿は、ある意味やはりエロティックだった。
「あ〜らそう?じゃ、全くの無関係?あなただけ仲間はずれだったの?」
「意味分かんねーし!何なんだ一体?何で俺が悪人扱いなんだ!?」
 土井垣はベッドから降りて葵の前に立った。
「タカさんの恋路を邪魔しようとするからでしょう?」
「はあ?」
 全くいわれのない嫌疑をかけられて、土井垣はうちひしがれてしまった。
「んだよ葵ちゃ〜ん。勘弁してくれよぉ」
 土井垣は甘えた声で感情を伝えて、覆いかぶさるように葵を抱き寄せた。
 葵は黙ってされるがままになっている。
「ホント意味分かんねぇし……。つかな〜に?野村と沢口がなんで一緒だとまずいのよ?」
 葵は土井垣の態度から察した。
 このひとは本当に知らないのだ。
 本当に仲間はずれにされたのか……といささかの同情を覚える。
「今日はどうしてわたしを誘ったの?」
「だから何?その一貫性の無い……」
 土井垣は葵の思考についていけない。
「いいから答えて!」
 葵の数々の言葉の意味が、全く理解出来ない土井垣はお手上げだった。
「久し振りに休暇もらったから……。雅さんが、たまには彼女とデートして来いなんて言うもんだし……」
 そんな事を何気なく口外して、キスを迫る土井垣の顔を、葵の手がすかさずブロックした。
(やはり、裏で操作されていたか……)
 葵は黒木の企みを確信した。
 黒木という男は侮れない。
 全ての情報を握って、野村を取り戻そうとしているに違いない。
 しかし、葵は差し向けられた工作員を、反対に利用する事を思いついた。
「篤士さん。お願いがあるの」
「なに?」
 急に和らいだ葵の態度に気を良くして、土井垣はもう一度キスを迫る。
 葵は、その尖らせた唇を指先で押さえて制止した。
「ちょっと用事が出来ちゃったんで、わたしとひーたんを送って欲しいの」
 土井垣は、唇に振れている手を取って、自分に引き寄せた。
 情を煽るようなキスを贈って、葵を落とそうとするが、葵は忍び込む愛撫を迎えてそれに応えた。じっくり返されて、反対に土井垣が葵に落とされてしまった。
 葵の断固たる決意には何者も敵わない。
 バージンとはいえ、果たして本当にバージンと表現していいのか危ぶまれる程、あらゆる大人の愉しみと技を教え込まれた葵には、土井垣の誘いは通用しなくなっていた。
 土井垣は何だかやる気を失いかけていた。
「お願い篤士さん。わたしの味方になってくれたら、チャレンジOKしてもいいかなあ……なんて」
 暗にバージンブレイクをほのめかす葵の誘いに、土井垣はその他無条件で誘いに食い付いた。
「ホント!?」
「わたしのために働いてくれるんだもの。当然でしょ?」
 愛想良く笑う葵に丸めこまれて、土井垣は確実に黒木の敵方へと回ってゆく。
「――で、どこに送っていけばいいんだ?」
「うふふん」
 葵は乗り気になった土井垣を前にして、満足そうに笑顔でごまかした。


△ □ ▽


 セントラルを出発した翌日の昼過ぎに、赤道近くに位置する火山列島の一番大きな島に到着した立川たちが、チェックインしたホテルからビーチを通って散策しながら市街地に向かっていた。立川は、隣に肩を並べて歩く柴崎と共に、自分たちの前を仲睦じく寄り添って歩く静香とヴァ・ルーの背中を眺めていた。
「おまえ知ってたか?」
「いえ、全く」
 ふたりの関係を知らなかった立川と柴崎は、なんとなく不愉快だった。
 今回の旅行は静香が計画していた。プライベートでも懇意にしているヴァ・ルーと話すうちに、この計画が仕上がったようで、立川と柴崎は同行に異存は無かったが、それでもこんな状況は予想外だった。
 ヴァ・ルーと静香の間には友情しか存在しない。そんな事は十分に分かっている。しかし、端から見ていると、あのふたりが恋人同士のように見えてしまうのは気のせいではない。
 仲がいいのは結構だが、自分たちの存在を忘れては困る。
 ふたりは仏頂面を下げて、いちゃつくカップルの後を追いていった。
 本当は、ふたりきりで過ごしたかった。
 その不快な感情が表に現れて、ふたりは恐持ての『牙狼』の顔に戻っていた。
 ふと立川が、目立つ存在に視線を誘われて、ビーチを歩くふたり組の若い男を見つけた。
 仲睦まじく寄り添って歩くその手は指を搦めるように握られていて、ふたりの関係を容易に想像させる。
 どこかで見たような連中だと思いながら眺めていると、静香がそのふたりに目聡く気付いて茫然と呟いた。
「隊長?……と、艦長?」
 当然静香は、ふたりの様子に違和感を感じていた。
 沢口が杉崎と、野村が黒木や聖とパートナーとして付き合っている事を知っている。それがどうして……と疑問がわき上がって止められない。
 ヴァ・ルーもまた、野村の在り方に驚いていた。
 咄嗟に不測の事態を察した立川は、驚いて佇む静香とヴァ・ルーを、柴崎と共に木の陰に引っ張り込んで姿を隠した。
「なに?なんなの?」
 驚く静香は、遠くに見えるふたりの姿があまりにも幸せそうで、胸が熱くなるのを感じていた。
「どうしてこんなところへ?」
 柴崎の疑問は無理も無い。
 病院を抜け出して、ちょっとした騒ぎになっている張本人が、こんな南の島で幸せそうに笑っている。
 立川はためらいなく上着のポケットから携帯を出して、そのまま杉崎にコールした。


△ □ ▽


 ソファーのクッションを床にばらまいて、各々好きにごろ寝していたリビングに着信音が響いた。
 鳴っていたのは杉崎の携帯だった。
 酒が入った深い眠りから呼び戻された杉崎は、いささか不機嫌なまま応信した。発信先は【ケダモノ】と表示されていた。
「おう……なんだ?……ニョーボとケンカでもしたか?」
 からかい加減で返信する杉崎に、立川は呆れて事実を突きつけた。
「寝言云ってる場合かよ。……沢口を見つけたぞ」
 冷静な声に我が耳を疑って、杉崎は床から飛び起きた。
「どこでっ!?」
 携帯にかじり付くように質問を向ける。
 切羽詰まった様子が、立川に伝わった。
「マジュロゥ。……ビーチ歩いてんぞ、どうするんだ?」
 南の島に沢口がいるという情報が、これで確証された。
 元気でいてくれたならそれでいい。
 それでいいと、自分に言い聞かせていた。
 なのに、立川からもたらされた情報に、杉崎は真実を求めた。
「――ひとりか?」
 杉崎が立川に確認する。
 立川は即答出来なかった。
 自分の少し先を、沢口は野村と寄り添って歩いている。絡めた指と、触れ合う身体が、その親密さを伺わせた。
 それがどんな意味を持つのか。立川には、それを伝える勇気がなかった。
 無言の肯定を察した杉崎は、立川に命じた。
「尾行しろ。すぐにそっちへ向かう」
 杉崎の、やけに冷静な声が、立川に違和感を与えた。
 少なからずと云うよりも、真実を知ってかなりの怒りを覚えている。
 鈍い恋愛朴念仁が、やっと人並みの感情を見せ始めた……と思えた。
 しかし、相手が相手なだけに、感情のままぶつかる事が、果たして正攻法と云えるのだろうか。
 立川は悩ましく思いながら、それでも杉崎の思惑には同意出来た。
「了解」
 立川は、ミッション開始を宣告して通話を切った。
 杉崎の剣幕に目を覚まして、身じろぎしてから上体を起こした黒木に、携帯を持ったままの杉崎が動向を指示した。
「黒木、船を用意出来るか?」
 こんな深夜に何を言い出すのか……と、一瞬黒木は思ったが、すぐにその真意を汲んだ。
 隣で寝ていた響姫も、起きて杉崎の言動を見つめる。
「海ですか?……空ですか?」
 鷹揚に構えていたはずの男が突然行動を起こし始めた。その理由は、早急な対応を迫られたからに違いないと思える。
 黒木は、一見平静に見える杉崎の焦燥を察して苦笑した。
「空だ。一時間以内に搭乗して、マジュロゥに向かう」
 杉崎の指示を受けて黒木はほくそ笑んだ。
 携帯の相手は、どうやら標的の真実を杉崎に伝えて来たようだ。呑気に構えてもいられない事実が、杉崎を駆り立てたのだろう。
 今の黒木は、ひとつのセクション長としての立場にあるが、例え社会的立場が変わろうとも、ふたりの絆の形は変わらない。
 黒木は、この熱い指揮官の下に入る事を善しとした。
「了解しました」
 杉崎に応えて作戦を遂行しようとする黒木の笑顔は、響姫には不吉な象徴に見えて、南国に逃げ出したふたりの行末を案じさせた。


△ □ ▽


 さざめく波打ち際を素足で歩きながら、夕日を浴びて笑顔を向け合う沢口と野村の姿は、光あふれる美しい景色に溶け込んで輝いていた。
 片手に、一対のスニーカーをぶら下げて、もう片方の手をつないで歩きながら、寄せる波と白い砂を踏みしめる。
「手を……」
 ふと、沢口が呟いた。
 何かを思いついたその表情は、足元を見つめてはにかんでいる。
「つなぐって」
 素直に感情を表す沢口の在り方は、沢口自身が慣れてはいなくて照れてしまう。そんなとぎれとぎれに紡ぐ言葉が、野村には愛しく思えた。
「――ひとりでは出来ない事だから」
 ふたりは、互いの思いに触れて足を止めた。
「つなぐ手がそばにあるのって、幸せな事なんだな……って、思う」
 それは、あたりまえの事なのに、あたりまえと片付けてしまえない沢口の感じ方が、さらに愛しさを募らせる。
「ひとりじゃないって安心出来るから」
 そうつぶやいてから、沢口は視線を上げて笑顔を見せた。
 なんてヤバい感性の持ち主なんだろう……と、野村は沢口の笑顔に撃墜された気分になっていた。
 あまりにも無垢で純粋な思いを向けられて、野村は切なくてたまらない。
 愛しさが止められなくて、そっとその唇にキスを贈って応えた。
 波打ち際に立ったまま与えられるキスは、唇だけが触れる優しく自然な仕草で、沢口を幸福に酔わせる。
 近くで見る端正な野村の顔が、夕日に照らされて輝いて見える。沢口は眩しくて、そのまま瞳を閉じた。
 不意に野村は波音に紛れてかき消されそうなわずかなシグナル音を耳にしたような気がして、キスの後、沢口の身体を抱き寄せて辺りを見回した。
 なんとなく、不安がよぎる。
 胸がざわめくような不穏な予感を抱いて、野村は沢口を促した。
「そろそろ島に帰ろう……日が暮れる前に」
 額を合わせて、鼻先を付き合わせるようにして囁きを向ける。
「うん」
 沢口は、また帰る事が出来るふたりだけの時間を思って、幸せな笑顔で野村に応えた。




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