愛と恋のはざまで 僕らは永遠の明日を夢見る(2019/04/24更新)
愛と恋のはざまで 1
季節は巡って、暖かな春がやってきた。
惑星HEAVENの中央大陸。
その西端に位置する半島には、広大な都市が存在する
HEAVENの政治経済の中心地『セントラルシティ』のこの季節は晴天が多い。
澄み渡った空は清々しい青色に覆われ、雪解け後の土の匂いと木々の新緑が、外気浴を楽しむ人々に穏やかな安らぎを与えていた。
セントラルシティから北方に位置する大陸側の、さらに広大な敷地内にはHEAVEN防衛軍統合本部が存在する。
統合本部周辺には関連機関も集合しているため、そこはまるでひとつの都市のように機能している。
その中の本部ビル正門前の並木道は、咲きこぼれる桜の花に彩られて、今年もまた大勢の新入職員を導いていた。
1
この季節、毎年恒例の入隊式は、総帥武藤聖を不機嫌にさせる。
音楽アーティストグループ『EXCEL』のヴォーカリストを副業としている聖は、現在芸能活動休止中とは云え、相変わらずの人気は衰えを知らない。
そんな聖の正体を知った新兵たちは、突然壇上に現れたトップアーティストの存在に興奮して、場内は騒然となる。
新兵たちの反応は、馴れ馴れしくて騒がしい。
聖はそれが苦痛で、入隊式と新兵を毛嫌いしている。
今年もまたその入隊式シーズンがやって来た。
聖は、殆ど私物と化した要人宿泊用のスイートルームで、式典に出席するために礼装に着替えていた。
今年度の軍総帥はいつもより機嫌が良い。
総帥付き官房ジェイド・ブロンディはその態度を訝しんでいた。
金色の長い髪を一筋の乱れなく束ねた古の勇者のような美丈夫。ジェイドはその姿と立ち居振る舞いから、彼を総帥と紹介された方がよほど納得がいくと、皆が思ってやまない人物だ。
着付けの介添えをしていたジェイドは、聖に礼服の上着の袖を通させてから、スタンドカラーのホックを掛け合わせて襟元に馴染ませた。房のついた金モールを襟と肩章に飾り、階級章と勲章が並ぶ丈の長い純白の礼服は、結婚式の衣装のようでもある。
聖が仕上がってから、数歩離れて確認する。
ともすると華美と言えなくもない。
それでも、その礼服を着こなしてしまう聖の洗練された在り方に、ジェイドは惚れ惚れと見とれていた。
淡い蜜色のふんわりとカールした髪は巻き毛カナリアのようで、すみれ色の瞳はベルベットのような光沢を秘めている。すらりと背が高く、一見スリムに見えても、鍛え上げられた体は過不足無く美しい。
こんな天使のように美しいのに、なぜ害獣のような毒牙を持っているのだろう……と、内心残念に思えてならない。
そんなジェイドも式典用の礼服を着用し、厳かな佇いを見せつける。
室内のソファでは、ヴァ・ルー・シンクレアー官房補佐官が、聖の着付けを眺めながら寛いで紅茶をたしなんでいた。
彼もまた、ジェイドと揃いの白い礼服で正装している。
事情があってばっさりと切ってしまったさらさらとしたクセのない銀青色の髪は、やっと肩に届く程の長さに伸びてきた。
少しだけ蒼い影を落とす白い肌とガラス玉のような水色の瞳は、純粋な彼にはよく似合う。
ヴァ・ルーと皆に親しく呼ばれる彼は、ジェイドと変わらない長身で。戦場の最前線で戦ってきたSS級の勇猛な操縦士でありながら、穏やかな美しい顔立ちと高度な知性を備え持つ、繊細で美しい異星の種族だ。しかも天然癒し系入りの彼は、総帥執務室の芸術的価値を更に高値にしていた。
オペラグラスで窓の外の並木道ウオッチングをしていた野村貴史は、時折彼らの様子を横目で眺めながら、聖の盛装した姿に見惚れていた。
野村は、聖と知り合う以前から『EXCEL』のファンだった。
HEAVENでフェニックス戦闘機隊に配属されてから、独りで居る事が多かった時期には、いつもプレイヤーで曲を聴きながらすごしていた。
今、こうやって傍にいても、『HIJIRI』と武藤聖とは別人のように見える。聖がアーティストだと思って傍にいた事は、実は不思議な事に一度もなかった。
付き合い始めてから十年経った今も、ずっと変わらず憧れの存在で、慣れや倦怠とは無縁の状態だ。
HEAVENを巻き込んだニルヴァーナと第三勢力との紛争では、様々な事情が交錯していたものの、今は何事もなかったかのように、ふたりは安定した関係を取り戻している。
HEAVENに凱旋してからは、もうひとりの恋人でもある黒木雅美との関係も含めて、また違った関係が始まった。
聖と黒木は、どうやらよりを戻したらしい、と野村は直感している。
しかし、その後彼らとはほとんど会う機会がないまま時が過ぎたため、本当は関係が変わったのかどうかは分からないでいる。
「――なぜ、君がこんなところにいるんだ?」
窓の外を眺める野村に、聖が詰問を向けた。
明らかに場違いだと云わんばかりの冷めた物言いに、野村は気付かないそぶりで振り向いてから、作り笑いで応えた。
「ブロンディ閣下のお呼ばれで」
本部最上階は、たかがいち操縦士が出入り出来るような部署ではない。
そんな事は百も承知しているが、それでもなぜそういう物言いになるのか。
野村は、密かに胸を傷めた。
(おれ、入隊式なかったし……っつか、聖のその晴れ姿見たくてここに来てんじゃん。ブロンディ閣下と入隊式の事話してたら『遊びにおいで』って言ってくれたんだよ。機嫌良かったんじゃないの?)
野村には言いたい事が山ほどあって、けれどどれをとっても口には出来ない事ばかりだ。
野村は、窓際の壁に肩を寄せて佇んだまま聖を見つめた。
「いい茶葉を頂きまして」
ジェイドが眩しい笑顔で聖を圧倒した。
そして、室内の応接ソファに寛いでいたヴァ・ルーもまた、聖を諭しにかかる。
「とても味わい深い美味な飲み物だ。聖も飲んでみるといい。落ち着くぞ」
白い繊細な装飾を施されたティーカップ。それに相応しく美しい口元が、ふんわりと微笑みをたたえ、水色の目元が穏やかに聖を見つめた。
「よくバカを止めてくださいました。この位はお礼のひとつとして当然でしょう。大統領も結果には満足しておられました」
(いま閣下『バカ』って言ったよね?聖に『バカ』言ったよね?)
涼しい顔でサラリと言ってのけるジェイドの言葉に、野村は敏感に反応して蒼くなる。
当の聖は、あえてその話題を避けるように相手にしない。
「礼なんて必要ねえ。おまえら寄ってたかってひとの邪魔ばっかしやがって」
聖は、ニルヴァーナ本星でのHEAVEN軍勢の横槍に、不愉快な感情を見せた。
(ねえ、気付いてんでしょ?『バカ』って言われたの気付いてんでしょう?なんで何も言わないの?スルーしちゃったら認めちゃう事になるよ?)
野村は在り得ない聖の態度に不安さえ覚えた。
もしかしたら、本当にバカをやったと自覚しているのだろうか……と、何だか疑わしい。この自尊心激高男が、よもや自己反省しているとは信じ難い。
野村は、本気でそう考えていた。
聖への評価は、彼自身を良く理解している身内になるほど厳しい。
「そんな事を言ってはいけない。タカは聖を愛するからこそ割って入ったのだ。美しい献身的な愛の姿を見て、わたしは感動した」
突然うっとりとして、何かに取り憑かれたように語るヴァ・ルーは、どこかに意識を翔ばしてしまった。
ヴァナヘイムの制圧をはかり、聖はギャラクシア艦隊を率いて中央都市に攻め入った。それを阻止するため、ジェイルから追跡してきたフェニックス艦隊が戦場に割って入ってきた。
旗艦フェニックスの戦闘機隊隊長であり、今回の大戦ではフェニックスの士気を高める指揮官のひとりとして力を発揮してきた野村は、前線で戦っていた聖のガーディアンを引き止めて、迷いと孤独から聖をすくい上げた。
そんな、白馬に乗った王子様のような在り方を、オリエントのシステム管理室から見守っていたヴァ・ルーは、野村の愛の姿にすっかり感動して魅せられていた。
大丈夫か?……と、意識を泳がすヴァ・ルーを心配する野村に、ジェイドが気付いた。
「案ずるな。……ヴァ・ルーは基本が乙女だから、よくファンタジーに呑み込まれるんだよ」
HEAVENの文化に触れて、ヴァ・ルーが一番気に入ったのがファンタジーだった。
勇者と主君。王子と姫君。
数々の冒険恋物語に胸を焦がして、自分の恋心をやっと自覚した奥手のヴァ・ルーは、未だ乙女のような恥じらいを見せる。
ジェイドはヴァ・ルーのほうはそっとしたまま、仕上がった聖の姿を眺めて、その出来栄えに満足して微笑んでいた。
「茶」
ジェイドを前にして、仏頂面の聖がいつものように要求する。
ジェイドは笑顔を崩さないまま、入れたての紅茶を聖に手渡した。
「君に、こんな趣味があったとはね」
野村を意味深に見つめる聖は、意外そうに指摘してから、紅茶の香りを楽しんで一口含んだ。
紅茶の種類など野村は知る訳もない。
本当はジェイドの詭弁だと聖は見抜いていた。
確かに、あの混乱した戦場で、野村は仲間を守ってよく戦った。
HEAVEN艦隊とニルヴァーナの命運を懸けて、文字通り命を懸けて戦った彼には、本当はどれだけ感謝しても足りない程だと聖は感じている。
だからこそ、敢えて触れない。
野村も、ニルヴァーナ出征に関しては一切話そうとはしない。
暗黙のうちに出来上がった約束事のように、ふたりは互いに沈黙を守っていた。
不意に、部屋の奥のドアが開いた。
そこから現れた人物を見て、野村は驚いて目を見張った。
真新しいユニフォームに身を包んだ黒木が立っている。
「来ていたのか……貴史」
何の違和感もなく室内の風景に溶け込んで、優しく笑顔を向けてくる黒木は、野村にとっては別人のように見えた。
いつも逆立てている髪は、ナチュラルにスタイリングされ、ネクタイを締めたシャツの上には、ワイドラペルのジャケットを馴染ませている。
オリーブドラブのユニフォームは、今までのフェニックス海兵隊での戦闘服とはあまりに違っていて、飾られる階級章と勲章の数々が野村を圧倒した。
どこから見ても高級な将校であるそのユニフォームには、辛うじて黒木が承諾したのであろう大佐の階級章が飾られていた。
実際の彼の権力が、そんな程度のものではない事くらいは皆が知っている。ただ、黒木自身が階級に縛られる事を極端に嫌がるために、人事部は仕方なく佐官クラスの階級を与えるだけで引き下がっていた。
野村は、息を呑んで室内に現れた黒木を見つめた。
どうして黒木がここにいて、こんな姿で執務室と言う場所に馴染んでいるのか。
野村にとっては好ましくない予感があふれてきて、複雑な感情に陥ってしまった。
黒木を迎えた聖は、彼の接近に気付いて揺らぐ感情を見せる。
ほんのりと顔を赤く染めた聖の変化を、野村は見逃さなかった。
黒木が奥の部屋から現れた理由は、野村にとっては色々と憶測出来てしまって、聖の動揺の理由さえ手に取るように分かってしまう。
そんな自分の立場が、少しだけ残念に感じていた。
ジェイドが、テーブルのティーポットから紅茶をカップに注いで黒木に手渡した。礼を言ってカップを受け取ってから、黒木は野村に向き直った。
「やっと昇進する気になったのは殊勝だな。……聞いたぞ、貴史」
黒木は、掴み所のない笑顔を向けて野村の昇進を祝う。
自分の事を棚上げして言うか?……と野村は内心で呟いた。
尉官クラスと佐官クラスでは、率いる隊の規模が変わる。
本当は、艦隊全軍の戦闘機隊を背負う気にはなれなかった。
それでも、守りたいと思う時に守る権限がない事の悔しさをニルヴァーナで実感した野村は、密かに昇級試験に挑戦して優秀な成績でクリアしていた。
それはひとえに、ジェイルのスノウホワイト基地での、沢口艦長やコバッチ提督との格闘の日々の賜物だと野村は理解している。
決して戦闘向きではなかった野村は、沢口に毎日のトレーニングと組手を強要され、食事も強制的に高蛋白食に変えられてしまった。
またたくまに体重が増えて、メディカルセンターからは『いい身体』の太鼓判を押され、組手の方もコバッチのセクハラを抑止出来る程には成長していた。
その代わり、ユニフォームのサイズがひとつ大きくなって、それまでのスリム体型に別れを告げるはめになってしまった。
「式には貴史も出るのか?」
黒木は、航空隊上級士官の制服姿でいる野村を見て察した。
色は所属艦隊によって識別され、野村が着用しているジャケットとパンツは光沢のあるやわらかなモスグリーンで、優しい顔立ちの野村にはよく似合う……と、黒木はその制服姿を嬉しく思う。
入隊式の後に、認定式が予定されている。
前年度に昇級した者の階級章授与が行われるその式典には、野村も出席しなければならなかった。
「……うん」
黒木の問いに、野村は戸惑いながら応える。
「――黒木さんこそ。そのユニフォームは……」
ためらいがちな野村の言葉に、聖が気付いた。
黒木の姿は、その真の姿を暗示しているように見えて、野村にとっては好ましいものではなかった。
「大佐は本業に専念してもらう事になった。フェニックスは降りてもらう」
聖が先んじて疑問に答えた。
ジェイドもヴァ・ルーも、その人事は勿論知っているようで、野村はひとりで動揺を見せた。
「フェニックスを降りるって……海兵隊はどうなるんだよ!?」
驚きのあまり素になってしまった野村は、縋るように聖に詰め寄った。
「それに、本業って……」
黒木がフェニックスを降りてしまえば、本当に会えなくなってしまう。そんな懸念に囚われて、しかも今まで自分が知り得なかった情報まで暗に突きつけられた野村は、混乱しながら縋るような視線を黒木に向けた。
「黒木大佐は、軍情報管理局の局長として、役職に専念して頂く事になりました。後任は既に決定していますから、フェニックスの機能には影響しませんよ」
ジェイドがさらりと疑問に答える。
エリアゼロやニルヴァーナとの確執が解消された今は、情報部の存在は表舞台へと姿を表した。
それは野村にとってはショックな事実だった。
「情報部……?」
野村の表情を目の当たりにして、居合わせた全員が野村の事情を察した。
野村は、今まで何も知らされてはいなかった。
この十年間、真実を知らないままで、野村は黒木の傍にいる事によって、命を危険に晒される事もしばしばだった。
「経済界の黒幕ってのは……?」
それまで隠されていた野村の疑問は、機会を得て一度に吹き出した。
「それも続けるよ……。世の中の必要悪だ」
黒木はさらりと言ってのけた。
自分たちを狙う敵から聞かされていた様々な情報が、今事実として本人の口から語られる。五百年以上もHEAVENに君臨しているというのも、あながち全くのでたらめではなさそうだ。
それまでの疑問が一遍に明らかになり過ぎて、野村の心が押し潰されそうな重圧を感じていた。
黒木は野村にとっては身近な存在だった。
同じ艦で、同じユニフォームを身につけて、戦場での日常を共にしてきた。それが、いつのまにか遠くて手の届かない存在になっていくのが怖い。野村は、無意識に聖の顔を無躾なほど見つめた。
この人事は、きっと聖にとっては嬉しいに違いない。
聖と自分の立場が対極している事を改めて知った野村は、愛する者の昇進を素直に喜べなかった。
「なんだ?」
訝しむ聖の様子に気付いて、野村は我に返った。
「いや……」
遣り切れない感情に戸惑って応えられない野村は、そのまま疑問を返した。
「――黒木さんの後任って?」
焦点を逸らすためだけの歯切れの悪い質問に、聖は訝しんだまま答えた。
「シヴァと健一朗だ。……もう逢っただろう?」
今更な事を今更答えて、聖は何を今更……と思う。
野村はその答えに驚いて反応した。
彼らは操縦士だ。それをなぜ海兵隊に……と信じられない。
「ふたりは戦闘機隊のメンバーだ!」
やっとまっとうで優秀な部下を持てたと喜んでいた。
ニルヴァーナ出征によって、さらに強化された二人組の存在は、野村にとっては本当に嬉しかった。
「連中は開発研究部所属の兵隊だ、君にやるとは言ってない」
聖が冷たく言い捨てた。
傍観していたジェイドが、聖の態度に呆れた。
冷たくするつもりなんて微塵もないくせに、野村への罪悪感からあんな突き放すような言い方をする。
実際、黒木をフェニックスから降ろす事も、ふたりのパイロットを野村から引き離す事も、野村への感情からすれば聖の本意ではない。
ジェイドは聖を庇うように、野村に事情を説明した。
「彼らはフェニックスに出向という形式をとっての配属でした。執務室付きだからこそ、グラディウス隊としてのヴァナヘイム出征にも参加したのですよ」
ジェイドの説明によって、野村はいささか拍子抜けした。
しかし納得は出来ない。
彼らはパイロットだ。
なぜ、あれほどの優秀なパイロットの翼を奪ってしまうのか。
不審感が野村の中に育っていた。
その野村の表情を読んで、ジェイドはさらに応えた。
「彼らは秀逸な兵器です。どんな戦局にあっても、最良のミッションで目的を達成出来る。……黒木大佐の後任には、彼らが最もふさわしいと判断しました」
HEAVEN防衛軍の頭脳、ジェイド・ブロンディが評価する。
それは、兵士として受ける最高の賛辞だ。
ジェイドの言葉を聞いて、珍しい事もあるものだ……と黒木はその感情に好感を抱いた。
「連中は、幹部学校の講習と特殊訓練受けまくって、短期間で昇進試験をクリアした。資格も十分。……で、改めてのフェニックス入りだ」
聖が紅茶を口に運びながら横からつけ加えた。
特殊訓練を受けまくって昇進という荒っぽいやり方は、彼らのプライドの成せる業か……と、野村は感じていた。
元は、フェニックス艦隊提督と参謀という地位にいたと聞く。その彼らが新兵扱いなど、我慢出来る訳がないか……と半ば諦めた。
「彼らは、それで納得したの?」
パイロットであるふたりの心情を考えると、なんとなく割り切れない。
「辞退するなら、開発部で永久にテストパイロットだと言ったら、喜んでフェニックス入りを引き受けたぞ」
それは明らかにパワーハラスメントだ。
野村は聖の強引なやり口に呆れて、改めてふたりに同情した。
「――で、ふたりも認定式に出る訳?」
野村は、高官たちに巧く丸めこまれた自分たちの立場を実感しながら、その事実を受け入れつつ確認した。
その問いに、ジェイドが応えた。
「彼らは新たな力をHEAVENにもたらしてくれる存在だ。その姿を式典で披露する……軍の戦力を広く知らせるにはいい機会だろう」
プロパガンダか……と野村は感じる。
実際、グラディウス隊とヴァルキュレイ隊は絶大な戦力であり、軍の内外で絶対の支持を得ている。
式典での彼らへの表彰式は、今期一番のセレモニーになるだろう。
「君と同様にね……。野村少佐」
厳かなジェイドの笑顔が向けられて緊張する。
「今日の本当の主役は君だよ、少佐」
突然の宣告に戸惑う野村は、ジェイドが告げる言葉の意味が理解出来ない。理由を求めて聖を見ると、聖は少しだけ顔を赤らめて視線を外す。
野村は何事かと狼狽して、今度は黒木に答えを求めた。
黒木は、相変わらずな余裕の笑顔で野村を見つめ返した。
「今回の大戦では、各隊の不明瞭な動きが黙認されている。あってはならない事が多過ぎて、それらは形式的には『無かった事』にされた」
総帥執務室自体が、この大戦の裏で暗躍していた。
ニルヴァーナの惑星委員会『オリエント』を制圧しようと画策し、それぞれが違った角度からアプローチした。
総帥はギャラクシア艦隊を率いてヴァナヘイムに宣戦布告。総帥付官房は現情報局長と結託してオリエント攻略を後方から支援した。
官房補佐官に至っては、極道と共にオリエントに殴りこみをかけている。
そんな彼らの暴走行為に比べれば、フェニックスの規定外行動など何のトピックにもならない
「それでも……真実は曲げられない。隠れた英雄は、皆がその正体を知りたがり、愛して止まないものなのだよ」
ジェイドはにっこりと笑って、祭り上げられて逃げも隠れも出来なくなった野村の立場に同情した。
「君はフェニックス戦闘機隊隊長として、総帥とギャラクシア艦長の機体も率いてまとめ上げ、自らの意志を以て最後の戦線に参入した。総帥を敬愛し、護り、ニルヴァーナの命運まで背負った。……それは、誰もが真似出来る事ではない」
ジェイドの穏やかな口調から、欺瞞の匂いが立ち込める。
「何ですかそれは?」
あまりの美談に野村は唖然とした。
「皆の大好きな『噂』だよ。ちなみに、フェニックス艦長と副長のバージョンもある」
フェニックスのニルヴァーナ出征は、公になっていないとはいえ裏では有名なエピソードであり、軍専用ネットワーク上のトピックとヒットは最大数を誇り、フェニックスの三悪人の好評はうなぎ登りになっていた。
勿論、その評価の背後にはジェイル駐留組が関与している。
野村は納得出来なかった。
落下する移動要塞を破壊するミッションには、大勢のパイロットが参戦している。
「みんなあの場所にいたじゃない!?」
黒木も聖も、ヴァ・ルーもそのミッションに荷担していたのに、どうして自分だけが取り沙汰されるのか。野村は不服だった。
しかし、黒木はそれには応じなかった。
「自分はあの場には存在しなかった。フェニックス海兵隊は、オリエントをへルヴェルトから奪還してナイトメアから守った。……という事になっている」
「嘘くせぇ……」
軍上層部の事情で、丸く納められた歪んだ事実は、野村にとっては不信感を育てるだけで、理屈で分かってはいても、そんな欺瞞に取り込まれる自分の立場が嫌でたまらなかった。
「まあ、黙って担がれてやれ。神輿は華やかな方が見映えがいい」
黒木は、からかうように野村の肩を抱き寄せた。
「担ぐなら杉崎提督だ。おれはそんな器じゃないよ」
戸惑う野村の感情を、ジェイドは真っ正直だと感心する。
「彼はあの出征に於ては特別な功績など残してはいない。それならむしろ、一条提督の方がよく働いてくれた」
ジェイドが企みを思わせる微笑を浮かべて、野村を黙らせた。
ナイトメアが存在した事実を、寄ってたかってもみ消そうとする。
野村はだんだん嫌気がさしてきた。
この高官たちは、とことん事実をねじ曲げて真実に蓋をするつもりだ。
そう感じて、野村は半ば愚痴と化した厭味を垂れ流した。
「おれがおかしいの?……おれが記憶障害なの?どう見てもナイトメアの正体ってあのひとだよね?……吸血鬼か獣人みたいに生まれ変わってたよね?」
杉崎が暗殺されて、再生された事実を指摘する。
「……って言うか、なんかヤクザっぽいひとたちも傍にいたよね?」
ケダモノが更にふたりほど存在していた。
そういう真実をうやむやにして、一番差し障りの無さそうな自分が祭り上げられる羽目になるなんて絶対に御免被りたい。
野村は黙ってはいられなかった。
「貴史。それ以上言うと、その口……塞ぐぞ」
黒木が野村の饒舌を咎める。
欺瞞を感じていながら、ブラフを含む黒木のセクハラ宣言には降伏せざるを得ない。
「ごめんなさい。勘弁して下さい」
野村は、上部からの圧力によって、軍高官たちの詐偽を黙認するはめになった。
統合本部ビルの12階全体を占める広いセレモニーホールでは、入隊式に続いて就任式と認定式が執り行われていた。
人事部が取り仕切る就任式の壇上に、軍総帥である聖が現れた。
舞台映えする聖の姿に、新兵たちのため息がわき上がり陶酔した視線が集中する。
認定される列席者の中にいた野村は、いつも見てきた姿とはまた違った壇上の聖を、新兵と同じ視線で見つめていた。
ただ、どうしても心酔できない。
それは、来賓席に並んでいるフェニックスの指揮官たちの姿に起因していた。
本部組艦隊の指揮官は、本部主催の式典には可能な限り出席する事を義務づけられている。
セレス艦隊、遮那王艦隊、そして野村が所属するフェニックス艦隊の指揮官たちが珍しく一同に会している。
それぞれの提督と参謀。各航空母艦の艦長と副長。
列席する彼らは、皆一様に歴戦の勇者たちであり、新兵の憧れが集中する。
各報道の取材陣も、彼らの姿をファインダーに納めようとカメラを向けていた。
最近の野村にとっては報道との関わりは頻繁な事になって、とりたてて緊張するような場面ではなくなってしまった。報道陣の取材は、フェニックス戦闘機隊の長ともなるともう一つの仕事であるかのようでもあり、カメラを向けられるのにも慣れてきた。今は、自分たちの思いを知ってもらうためにも、大切な仕事のひとつだと思える。
問題は来賓者の中にあって、久し振りに会うフェニックス艦長沢口俊の存在だった。
約半年前のニルヴァーナでの大戦は、自分たちの心にも大きな波紋を残した。
沢口の恋人、フェニックス艦隊提督杉崎志郎。
その杉崎が出征先で暗殺されたとの報告を受けてから、沢口は慟哭に呑まれて自分を失いかけていた。
野村は、揺れる沢口を支えながら副長橘翔と共に、三人で提督不在のフェニックスを率いてきた。
終戦を迎えて、沢口は杉崎を取り戻した。
それが、全ての終焉へと繋がって、自分たちの関係は何事も無かったかのように、以前と同じ日常に収束されていくものと思っていた。
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