聖戦の礎 ―決戦編― (完結) NIRVANA1 34.NIRVANA カン高い鳥のさえずりが聞こえると共に、閉じられた瞼を通して眩しい光が差し込んできた。 その刺激で意識を取り戻した静香は、ゆっくりと目を開けた。自分の全身がシートに叩きつけられたように痛む事に気付いて、動く事もままならない状態に半ば諦めて深く息をつく。 それでも、こうやって生きている事だけは実感出来て、多分作戦は成功したのだろうと満足してから、静香はふたたび目を閉じた。 「静香?」 ふと、閉じた瞼の向こうが暗く影を落とした。 大好きな人の声が、自分を呼び起こすように優しく心を包み込む。 不意に、閉じた瞼の奥から涙があふれてきた。 「――敬?」 声の主を確かめると、大きな手がそっと頬に触れてきた。 自分の髪を撫でるあたたかい指先の心地よさに魅かれて、眩しさに目を細めながらゆっくりと視線を向けると、そこには自分を包容するような微笑みを向けてくる大天使がいた。 それは、まるで天国からの使者のようで、静香はくすくすと笑い声を零して、やっと自分のもとに帰ってきた立川を迎えた。 「敬……」 両腕を差し出すと、身体を寄せて抱きしめられた。 触れ合う頬の柔らかさと温かさで、はかないはずの命のしたたかな強さを実感する。 逢いたくて、切なくて、独りが怖くて、死が恐ろしかった。言葉にならない感情が静香を追い詰めて、共に在る今が嬉しくて、どうしようもなく泣けてしまう。 立川は、そんな静香の感情を受け止めて、ただ黙ってその身体を抱きしめた。 葵のフレイアを中心とする少し離れた場所で、焼け爛れたウィザードのコックピットから自力で這い出した次郎が、上空に迫ってくる艦隊を見つけていた。 備わった視力が旗艦を確認する。 「――遮那王?」 次郎は、痛みに軋む身体を動かすのが億劫で、溶けて固まった装甲の上にそのまま座り込んで上空を眺めていた。 「うあぁ……ひでぇな。焼け野原かよ?」 同様にコックピットから這い出てきた聖が、周りを見回して驚いていた。 「よく、持ったな」 周辺のジャングルを焼きつくす程のエネルギー放射から中の操縦士を守った機体に感心する。衝撃はあったが破壊は免れた。それでも、機体の強度だけであのパワーに太刀打ち出来たのだろうかと、少しだけ疑問が残る。 ビームが発射されたあの瞬間、複数の操縦士の精神力がビームコートとして働いて機体を守ったとしか思えない感触があった。 愛する野村は、聖を後回しにして、フレイアの葵のもとに駆けつけている。それを見送ってから次郎に視線を移すと、次郎は何かに魅かれるように空を見上げて穏やかに微笑んでいた。 視線の先を辿ると、リーンフォースが向かって来るのが見えた。 着陸した機体から操縦士が降りてきて真っ直ぐに次郎の元に駆けつけて来る。そして、焼けたガーディアンの機体によじ登って次郎の傍に辿り着いた。 次郎は笑顔を向けてその操縦士を迎えた。 「――蘭丸」 「隊長っっ!!」 次郎の姿を確認した森は、矢も盾もたまらずに駆け寄って、その身体を抱きしめた。 腰をおろしたままの次郎に縋りつく森の背中を、次郎の腕が優しく包み返して応える。 戦場でどうしても銃爪が引けなかった次郎と、例え自分自身が犠牲になろうとも次郎を止めたかった森がいた。 本当は、互いに互いを守りたかった。大切で大好きで、相手を失っては生きては行けないとまで思える。 今なら迷わずに、その気持ちを伝えられる。 ふたりは同様に感じていた。 森は次郎に抱きついたまま思いを伝えた。 「もう、ムチャしないで。すごく心配したんだよ。死んじゃったらどうしよう…って、そんな事ばかり考えて……」 敵の奇襲に遭いながら、遮那王の盾になったギャラクシアの在り方を責める。 そんな震える涙声が、相変わらず可愛いと思えた。 次郎は、柔らかな笑顔を浮かべて、森の身体をさらに抱き寄せた。 「――悪かった。あの時は夢中で……。ただ、遮那王を守る事しか考えてなかった」 穏やかな声が次郎の安定を伝えて、それまで張りつめていた森の感情を和らげた。 「隊長……」 森の両腕が、ぎゅっと次郎の肩を抱きしめて、触れ合うぬくもりを確かめてあたたかい命を実感する。 「一条艦長みたいなアウトローな真似も、もうやめてよ?」 森の訴えに痛み入る次郎は、森の両肩をそっと掴んで自分から引き離した。そして、その泣き顔を見つめて、ばつが悪そうに微笑み返す。 「頭冷えたから、もう大丈夫だ」 穏やかなヴァイオレットの瞳があまりにも綺麗で、森は陶然として次郎を見つめ返した。 次郎は、そんな森に対して自分の真実を向けた。 「――蘭丸。俺はやはりどうしようもなくおまえが大切で、ずっと共に生きて行きたいと思った。過去に何があったにせよ、そんな事はもうどうだっていい」 この間の葛藤と経験によって、次郎は外見だけではなく、その内面からの変化を見せた。 何かを悟ったような穏やかな表情が、森の心を掴んで離さない。 熱い感情も衝動も見えないのに、志だけは熱い。 それは、優しく懐かしい感覚だった。 「例え同じ戦場にいなくても、いつもおまえと共に戦っていると思える。同じ戦線にいたなら尚更だ。……おまえと一緒にいるだけで、俺はさらに強くなれる」 共にフェニックス戦闘機隊に所属していた。 例え短い期間だったとしても、それは奇跡のような時間で、傍にいるだけで幸福だった事を、今になって実感する。 「おまえもそうだろう……。俺たちは、いい相棒だった」 数々の戦場を、共に駆けめぐって生き延びてきた。互いに互いを守る戦いは、時には自分たちの命を危険に晒しもしたが、それは必ずどちらかが危機を退けてきた。 かけがえの無い戦友だと次郎は言う。 森は泣き顔を笑顔に歪めて、やっと自分たちの感情に納得した。 「じゃあ、ぼくも『ジロさん』って呼んでいい?」 顔を付き合わせて、甘えるように尋ねる森が可愛いと思う。 森はいつも、次郎から一歩引いて傍にいた。 次郎は、無理して繕うそんな距離など、もう必要ないと思った。 「遠慮なんかするな。俺とおまえの仲なんだから」 自分たちの間にある感情を友愛という括りに集約する。そんな次郎の穏やかな笑顔を間近で眺めながら、森は不意に吹き出すように笑った。 こんなに体温が伝わる程の触れ合いをしていながら、次郎からは全く衝動的な熱を感じない。 「昔はちゃんと反応したのにね」 「時効だ。バカ」 過去の不埒な混乱の数々を指摘されて、次郎は赤面して渋い表情で返す。 「チューもしないの?」 まさに恋人接近の状態で、森は疑問を向ける。 次郎は呆れた。 「ダチにまでチューすんのかおまえは?」 「昔タカにして、襲われかけた」 森はばつが悪そうに告白する。 そんな事もあったかと、次郎は自分も共に遭遇した過去の事件を思い出して再び渋い表情を見せた。 「バカだおまえは。そういうコトは弁慶としてろ」 呆れつつ、森の頭をクシャクシャと撫でてたしなめる。 やけにすんなりと出てきた言葉が、自分でも信じられなかった。 武蔵坊が森を大切にしている。本当は、そんな事はとっくの昔からわかっていた。彼になら、大切な相棒をあずけてもいいと思える。 そして、次郎は自分の思いを森に告げた。 「いいんだ俺ぁ。……もっとすげー事してやるから」 「なに?」 突然の宣言に驚いて、森は袖口で涙を拭いながら顔を離した。 「俺の命、おまえに預けてやる」 真剣な眼差しが向けられて、森は絶句した。 「また昔のように、おまえは俺の背中を守れ」 次郎は、森に対して全てを預ける覚悟を見せた。 共に戦場に生きる覚悟。 それは何よりも強い絆で、森を心地よく束縛する。 甘い世迷いごとなど通用しない、より強い絆を求められる。 森は次郎から一歩離れて、正座するように両膝をついた。そして、改めて次郎と対面し、遮那王副長としてギャラクシア艦長に応えた。 「――遮那王はギャラクシアを守る。約束します、艦長」 遮那王副長の顔を、次郎は初めて目の当たりにした。今の今までべそをかいていた全く頼りない可愛い存在が、途端に指揮官の顔を見せる。それは森の成長を実感させて、次郎にでさえ挑戦してきた強さの理由を裏付けて、次郎を納得させた。 「一条艦長がなんて言う?」 寄ると触るといがみ合うような艦長たちの間に立って、気苦労が耐えない副長の姿が想像出来て、次郎はクスクスと笑う。 森はそれを察して口を噤んでしまった。 実際一条は矛盾している。 エリアゼロを敵に回してでも、次郎を救うために戦いに打って出た。本当は一条も次郎を守ろうとしている。次郎もまた然りで、それをどうしてふたりは認めようとしないのか。 森にとってはそんなふたりの意地の張り合いが不毛な関係に思えてならない。 「まあ……艦長にも、すこしばかり挨拶しなけりゃならないからな。命の恩人だしよ」 次郎は、荒れ地と化したジャングルの焼け跡を目指して、ゆっくりと下降して来る遮那王を見上げた。 その穏やかな横顔と淡い琥珀色の髪が、朝日に美しく輝いて森を心酔させた。 「――ジロさん。僕は本当にあなたが好きだから。だから……僕の全てを、この命も、あなたに捧げるよ」 森も同様に遮那王を見あげて、呟くように決意を伝える。 そんな思いが次郎には嬉しくて、そして少しだけ困ってしまう。 「……んな事言うから、弁慶が妬くんだ」 次郎が森の頭をガシガシと力まかせに撫でながら呆れて指摘する。 憧れて止まなかった次郎との永遠の絆を手に入れて、森は照れくさそうに笑顔で返した。 次郎の機体の隣に倒れているガーディアンの上から、何とはなしに次郎と森の接触を傍観していた聖は、縋るように次郎に抱きついた操縦士の正体を知って、次郎の複雑な心情を理解した。 自分たちは本能的に魅かれ合っていたはずなのに、次郎は理性で衝動を封じた。ふたりの関係は何の進展もないまま、やがて時の流れと共に収束された。 この戦場でシステムを介して共鳴した事で自分の中に次郎の感情が入ってきて、その理由を嫌が応にも理解してしまった。踏み切れない理由は色々ある。そのうちのひとつが、あの森副長だったのだと聖は察した。 森が梵天王艦長と関係がある事くらいは知っている。どんな事情があるかは分からないが、多角関係に二の足を踏んでいた割には、あれも立派な横恋慕ではないかと思う。 しかし、だからこそ次郎は迷っていたのかも知れない。それとも、熱情を殺している訳ではなくて、本当に森とはそんな関係ではないのだろうか。 聖にとっては、次郎の感情はあまりにも複雑過ぎて、システムを通じてさえ理解し切れない。自分自身をも欺いているような次郎のガードは堅くて、深みに触れるのは中々困難だと思い知った。 実際、次郎の『好き』の感情は、おとなし過ぎて曖昧だ。友情と恋愛感情の境目がはっきりしなくて、解りにくくて焦れったい。 そんな事をとりとめもなく考えていると、聖が座り込んでいたガーディアンの機体に響く足音で、自分の背中側から何者かが登って来る事を予感させた。誰だと思いながら後ろを振り返ると、有無も言わせず上から押さえつけられて唇を奪われた。 力強く抱きしめられて、その体重で押し潰されそうになりながら組み伏せられる。抵抗も虚しく、慣れ親しんだ心地よいキスに溺れて、いつしか聖は相手の背中を抱き寄せるように両腕を回していた。 「まさ……?」 煽られた唇が、喘ぐように相手の名を呼んだ。 一体どうしたのかと思う。 黒木がいつもの冷静さを微塵も見せないで、感情のままに聖を抱き寄せる。 「――聖」 何かを思い詰めたような囁きを贈られて、聖の身体が緊張した。 ガーディアンに黒木が搭乗していて、グラディウス隊と共に戦っていた事など知るはずもない聖は、黒木が何故ここにいるのかが理解出来ない。 理由が分からないまま愛しさを見せる視線を注がれて、聖の胸が締めつけられるように疼いた。 「聖……」 刹那に時が遡る。 出会った頃のように、自分を求める黒木がここにいる。 それは、聖を何よりも熱くした。 「 聖は縋って黒木に応えた。 「なんだよ」 「済まなかった」 「なんなんだよ?」 理由は分からなくても、熱い涙が込み上げる。 「おまえを信じる事が出来なかった。俺は大馬鹿者だ」 「だから、なんなんだって……」 贈られる抱擁とくちづけが、聖を暖かく包んで夢見心地にさせて続く言葉を奪った。 リウシンの存在によって『武藤大尉』の所在を確信した黒木は、もう聖を離さない。それは、甘く切ない記憶と感情を再燃させて、ふたりをさらに強い絆で結びつけた。 甘い交歓は、状況を忘れさせるほどに陶酔させて、ふたりは、本当はずっと欲しかった熱い体温を求め合った。 一方、葵の無事を確認した野村と武田は、葵をコックピットから引き上げて、そのままフレイアの機体の上から周辺を見回した。 一面焼け野原の戦場跡には、多数の生体融合兵器が焼け爛れた鉄の塊と化して、一か所に寄り集まっているように見える。 それぞれの力と心がひとつになってニルヴァーナを護った。 そんな実感が湧いてきて、三人は充実感に包まれる。 自分たちの場所から離れて存在している、ガーディアンの機体を眺めていた武田が、ふと野村に確認してきた。 「総帥……黒木隊長に手込めにされているようですが?」 あまりに意外過ぎる関係に、武田は驚いて混乱していた。 野村の感情は、この戦場でシステムを通じて、十分に武田に伝わってきた。 野村は孤独ではない。 総帥を愛する野村の思いはひたむきで、戦いで見せる強さは、愛情に支えられている自信によるものだったと理解した。 一方、総帥の思いは深過ぎて、手の届かない奥底にやっと少しだけ触れる事が出来ただけだったが、それでも、微かに見えた野村への想いは暖かで、安心を与えられた。 しかし、武田にとっては、好きな相手が自分以外の人物と愛情を通わせている事を知って、どうして安心できるのかが分からない。加えて、野村と情を通じ合っているはずの聖は、信じられない事に黒木の求愛を受けてなすがままなのに、野村は平静を保っている。 以前、友情と憧れと恋の区別がはっきりしなくて大変だと、城が話していた事があった。誰もが圏内で在り得る環境が紛らわしくて仕方がない……と、あのストイックで理性的な城でさえぼやいていたのを思い出した。 それに同感してしまうと、自分のこの感情はどこに起因するものなのだろう。と、武田は分からなくなってしまう。ただ単に献身的でストイックな片恋だと思っていたこの感情は、もしかしたら何か別な類のものなのかと疑い始めた。 そんな武田の数々の混乱を余所に、視線を聖に向けた野村は、指摘されたその現場を目撃して彼らの関係に納得した。 黒木と聖は、長年連れ添ってきた仲のいい夫婦のようにしか見えない。 愛しさと優しさを注ぎ合う、信頼に繋がれた関係が見えていた。 どうして黒木はその関係を否定していたのか、と疑問に思えてならない。 以前、そんなふたりの関係に嫉妬した事もあった。 今は、ふたりの熱い関係を見せつけられても、ふたりが本来あるべき姿に戻ったのだと安心を覚える自分がいる。 「いいさ……。どうせ合意なんだ」 自分に起こった変革を、野村は不思議に感じていた。 自分が大切に思っている相手が、同様に自分を大切に思ってくれている。 それだけで満足できるようになった自身の変化は、自分の心と相手との関係の成長なのか、それとも別な何かの兆しなのか。本当は、後ろめたい心当たりがあり過ぎて、複雑な気分にさせられる。 失笑する野村は、機体に腰を下ろして、大きくひと呼吸してから雲一つない青空を見上げた。 「おまえもな。『篤士さん』が好きなら、怖がってばっかいないで努力しろよ」 システムを通じて流れ込んできた葵の感情は、土井垣への様々な想いばかりで、どれだけ土井垣の事を好きなのかが手に取るように解ってしまった。 知られてしまった葵はばつが悪い。 「いつまで一緒にいられるか保証なんてないんだから。生きて傍にいられる今、ちゃんと向き合って、気持ち伝えておかないと……」 自分を含めて、ふたりに伝える野村の想いは、葵にも武田にも真っ直ぐに伝わった。 空を仰いで、着陸して来るフェニックスを、万感の思いで見つめる。その野村の視線を追って、葵と武田は、仲間の迎えがやって来た事を知って、笑顔で顔を綻ばせた。 [次へ#] [戻る] |