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聖戦の礎 ―ジェイル編― (完結)
模擬戦9





「――水無瀬さん」
 戦車を快走させながら、響姫が一葉を呼んだ。
「はい?」
「その……少佐と呼ばれても実感なくてね。自覚出来ないから、いつものように呼んでくれないか?」
 響姫は戸惑いながら申し出た。
 響姫の階級は確かに『少佐』だったが、それは実戦向けではなく、形象的なものにすぎない。
「あ、わたしもです。あんまり少尉とは呼ばれてません」
 葵はマイペースに近場から撃破しはじめる。
「では何とお呼びしていいのでしょう?」
 一葉が尋ねるとふたりは答えに詰まったが、やはり身近な者からの呼び名を上げてみた。
「そのまんま『葵』です」
「俺は『先生』?」
 響姫はそう答えてから、いまひとつしっくりしない事に気付いた。
「水無瀬さんは? 親しいひとからは何て?」
 響姫の問いに、一葉は即答できなかった。
『水無瀬中尉』もしくは『中尉』と、ずっと階級で呼ばれていた。
「中尉です」
 それでは無味乾燥で全く趣に欠ける。
 女性が形象的にしか呼ばれないなど有り得るだろうかと、響姫は疑問を抱いた。
「では、質問を変えよう」
 途端に問診する医師の口調になる。
「小さい時、お母さんからは何て呼ばれていた?」
「え?」
 一葉は不意を突かれて言葉に詰った。
 幼名を尋ねられた事など初めてだった。
 そんな恥ずかしい呼び名を公表してしまっていいものかとためらいながら、それでも事実を口にした。
「……ひーたん」
 消えそうな声で正直に答えると、ふたりは沈黙してしまった。
 一葉は、やはり言うべきではなかったと後悔した。
 意外すぎる呼び名はコードネームのようで、印象はさらに記号化してしまう。
 しかし、響姫は気に入った。
 可愛くていいではないかと思う。
「ひーたん」
 突然の響姫の呼びかけに、一葉は動揺を誘われた。
「はい!!」
 緊張のあまり声が裏返る。
「俺もアキラでいい。だからこれから作戦中は、君を『ひーたん』と呼ぶ、異存はないね?」
 真面目に提案する響姫の意見を聞いて、葵はクスクス笑い始めた。
「こんな時くらいしかおふたりをそんな風に呼べませんよね。でもいいんですか? ホントにアキラとひーたんで」
 上官をそんな風に名前で呼び捨てるなど普通は有り得ない。
「ええ。なんだかとても恥ずかしいのですけれど。なんとか記号化して考える事にします」
「ああ、それじゃあ『中尉』と一緒じゃないか。だめだ。ひーたんはあくまでもパーソナルネーム」
 響姫のこだわりは、一葉を恥じらいと戸惑いで熱くさせる。
「じゃあ、この調子で片付けていこう。ひーたん、葵にどんどん情報渡してくれ。工場での戦闘には自信がないから、なるべくここで敵を減らしていこう」
「……わかりました」
 冷たく乾いているはずの戦場が、何だか違う感じに変わってゆく。
 一葉はあり得ない感情に戸惑っていた。
 他人からの初めての呼び名があるだけで、今まで培ってきた概念が根こそぎひっくり返されて、階級に支配された一線を引いた関係の壁が崩されていく。
 この不思議な一体感は何なのだろう。
 一葉はときめきを感じていた。
「葵、後方コンマ7キロの車両、ルミナス護衛艦第一艦隊のチームが追いあげてきている」
「オッケー。完膚なきまで叩き潰してやる。身の程知らずが」
 くっくっくっ……と、葵はふてぶてしく笑って狙いをつけた。
「ひーたん。その周辺の車両にフェニックスの身内はいるか?」
 響姫の確認で一葉は更にときめいて、情報を検索していてもわくわくしていた。
「ううん。ルミナス艦隊ご一行サマだけ。ヴァルドル艦隊のチームがこのブロックにいたはずだけど、どうやら沈んだみたい」
 一葉の検索は早い。
 情報のとらえ方に長けているのが響姫には分かる。
 その間、葵は後方と周辺の車両を撃破していた。
「あ……ギャラクシア護衛艦隊?」
 後方から迫る車両の一群を確認して、一葉は驚いた。
 このゲームに彼らが参加するとは予想外だ。
 ギャラクシアの現状からすると、彼らにこのような士気があるとは思えなかった。
「いい傾向だ。随分落ち込んでいたが、奴等だってやっぱり浮上したいんだろう。……ひーたん、アナウンスだ。連中にルミナスの車両から離れるように通達しろ。葵、連中が散開したらルミナスの車両群にデカイのぶち込んでやれ」
 響姫が葵に許可を出す。
 葵は破顔した。
 一葉は何事かと疑問を抱く。
「デカイの……って?」
「でっかいのですう」
 葵はいそいそと準備をして返した。
「早く指示して下さい。逃げないと巻き添えくっちゃいますよ」
 葵の警告で、一葉は急いだ。




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