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聖戦の礎 ―出征編―  (完結)
出征10





「では、本当に旨いものを……。沢山食べていってください」
 彼は、沢口に慈愛の視線で応えた。
 杉崎はその視線の意味に気付いた。
 それはそれで有り難い。
 事情を知ってもてなしてくれるのなら、余計なことを話さなくて済む。
 折角の食事なら、何も考えずに楽しませたい。
 杉崎は、そう沢口の事を慮る。
「あの、源さんの本名って『源さん』じゃなかったんですか?」
 唐突に沢口が質問した。
 ネタを切り分けていた彼は、突然の振りに失笑した。
「本名は源内義経といいます。自分が祇園の料亭にいた頃から、一条艦長から『源さん』と呼ばれていましたので、それが定着してしまいました」
 彼の解説で、沢口は更に興味を抱く。
「祇園に?」
「ええ」
「もしかして、その頃からこの人も顔馴染み?」
 沢口は、隣の杉崎を指して尋ねた。
 彼は苦笑した。
 そんな個人的な事を暴露しては、後々問題にならないとも限らない。
 沢口は、無言の肯定と受け取った。
「じゃあ『桔梗』も、もしかして……」
 梵天王戦闘機隊第一小隊隊長、嵯峨野桔梗。
 彼女の経歴を沢口は知っている。
「いい芸妓でした。彼女の舞いを一度だけ見た事がある」
 彼は、ふたりの前に、出来上がった握りを並べた。
「――一流でした」
 沢口の目を見て、まるで自慢のひとつでもあるかのような表情で『桔梗』を語る。
 その様子から、ここにも色々と事情を抱えた人生がある……と、杉崎は察した。
 人の縁というものは、全く以て測り難い。
 ふたたび出会う事などなかった方が良かったかもしれないふたりの縁は、これからどのように紡がれてゆくのだろう。
 多分、見守る事しか出来ないであろうこの男の在り方は、杉崎にとっては不器用で、そして計り知れない大きさを感じさせる。
 源内義経。
 その名の通り大物そうだと思えるが、如何せん一条によって飼い殺しの目に遭っている。
 本来なら、遮那王の厨房などに納まっている器ではないはずだった。
 何があって、遮那王に甘んじているのか。
 酔狂な男だと思う。
「ああ、美味い!」
 沢口が、鮨を口に入れて感嘆する。
 じっくり噛み締めて、しっかり味わってから、名残惜しそうに飲み込む。
「さすが『源さん』の味だぁ。美味ぇ〜!」
 両手で頬を包んで、感動の味を幸せそうに反芻する。
 そんな様子を見て、杉崎まで思わず笑顔になる。
「……っていうか、義経ってカッコいい。俺も『義経』って呼んでいい?」
 突然、公的立場も何もかもを全て忘れて、すっかり素に戻ってしまった沢口が『義経』に懐いていた。
 意表を突かれた彼はたじろぎながら、拒否するいわれもなかった為、沢口の自由にさせた。
 ユニフォームを脱ぐとすぐこれだ……と、杉崎は呆れた。
 この妙に懐っこく無邪気な言動に、周りは振り回される。
 本人には全く他意がないにも関わらずあまりにも人懐っこいので、外見の愛らしさも手伝って相手に要らない情を抱かせてしまう。
 公務中は、少なくとも階級による境界線が引かれている為、沢口のこの性格が抑圧されているが、近くにいるブリッヂのオペレーター達とは境界線が薄いために良からぬ感情を抱かせているようだ。
 杉崎の心労は絶えなかった。
「一条艦長のところって、弁慶と義経が居たんだ。なんかすごいよね」
 沢口がまた訳の分からない事で、感心している。
「――今は、蘭丸どのもいらっしゃいますよ」
 義経は二貫目の握りを差し出して応える。
 白身が虹色に輝くネタに、沢口の視線が釘付けになった。
 すぐに頬張って、黙々と噛み締める。
「旨い……。これ何?」
 沢口はもぐもぐ言いながら尋ねた。
 杉崎は沢口の横で、黙って味わっている。
「旨いでしょう? 似たような魚はいるもので、これは鰈に近いかな。新鮮なのが仕入(はい)ったので……。刺し身が美味いんです」
 鮨も板前もすっかり気に入った沢口は、上機嫌で義経との時間を過ごしていた。
 そして、丁度よい腹持ちになった頃合いを見計らって、大将が秘蔵の冷酒をふたりに振る舞った。
 繊細な文様を削り出したボヘミアガラスの無色透明なぐい呑みに、澄んださらりとした酒が注がれる。
 ふたりはグラスを手にして、互いに見つめ合った。
 それまで屈託のなかった沢口の表情が、決意を持った男の顔になる。
 目の前までグラスを掲げてから、ふたり同時に一息で呑み干した。
 義経は、その儀式めいた行為のなかに、ふたりの覚悟を見た。
「いい飲みっぷりだ。どうぞ」
 大将がすぐに、かわりをグラスに注いだ。
「美味い酒だ。……ありがとう」
 杉崎は、大将の振る舞いに感謝した。





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あきゅろす。
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