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終焉の時はなく
再会4



 フェニックスの主任航海士である橘翔は、三年前に他界していた姉、静香と再会し、生活を共にしていた。
 いつの間にか自分と同じ年齢となっていた弟にいささかの戸惑いを覚えた静香だったが、それでも可愛い弟に変わりはない。血の繋がりはなくとも、長年姉弟として過ごしてきた事をいまさら白紙に戻すことはない……と、静香は以前と同様に橘を迎え入れた。
 それは、橘にとっては最も幸福な日々となった。
 部屋に帰ると、愛しい女性が笑顔で迎えてくれる。たとえ自分の思いが叶わずとも、今は傍にいることができる。なによりも欲しくてやまなかったものが、現実のものとなった。
 最も近くにいながら、決して手の届かない相手である事は分かっている。
 自分の気持ちを伝えたとしても、弟としてしか愛してもらえないだろう事も。愛する者が外にあるという事も知っている。
 ジリジリと焼け付く胸の痛みを抱え、それでも諦めきれずに、往生際が悪い自分を嘲笑しながら、橘は、時折起こる衝動を自制していた。



 帰宅した橘は、食欲をそそる香りに誘われてダイニングを覗いた。
 魚からとった出汁の匂いが懐かしい。
 対面式キッチンの向こうに静香の姿を見つけて、胸が熱くなる。
 カバンを床に置いて、そのままキッチンへと入った。
「ただいま」
「おかえりなさい。早かったのね」
 静香は振り返って、いつもと変わらぬ笑顔で橘を迎えた。
「うん。今日は会議ばかりで」
 静香の肩越しに、鍋から漂う香りを楽しむ。前髪を揃えた背中まである長く艶やかなストレートヘアが、サラリと静香の肩を撫でた。
「いい匂い。なに?」
「煮物」
「……それはわかってるけど」
 なにもそんな身も蓋もない言い方をしなくても……と、橘はがっくりと項垂れた。
「それは筑前煮というものでは?」
「分かってんなら聞かないの」
 静香は、手にしていた『おたま』で橘の額をコツンと叩いた。
「痛……」
「あ、汚れちゃった」
 静香はすぐにおたまを流し台で洗う。
「ひどい……」
 橘は情けない表情でじっと耐えていた。
「俺が何をしたって言うの?」
「邪魔してないで早くお風呂に入ってらっしゃい。髪にコンニャクの切れっ端ついてるわよ」
「誰がつけたんだよ」
 橘は心で涙した。
 本当に、どうしてこんな女に惚れてしまったんだろうと、自分の悪趣味に辟易しながらバスルームに入る。
 根はとても優しいはずなのに、どうしてああやって粗暴なんだろう。
 コントロールパネルに触れてから洗い場に立って、降り注ぐシャワーに身体を濡らしながら橘は思いを巡らせた。
 あまり考えたくはないが、静香にはやはり幸せになってほしい。
 あのままでは、大切にしてもらえるとは到底思えない。
(彼の前では、どうなのかなあ)
 そんな事を思った時、突然バスルームのドアが開いて、無遠慮に静香が現れた。
「翔」
 橘は驚いて、咄嗟に背中を向けてうずくまった。
「シャンプー切れてたでしょう?」
 事もなげに詰め替え用パックを投げてよこすと、何事も無かったようにドアを閉めて去って行く。
 うずくまった橘の頭の上にはパックが丁度馴染むように乗っていて。表情を凍りつかせたまま愕然として、しばらく立ち上がる事が出来なかった。
 いくらなんでも、ここまで男として認めてくれないなんて如何なものか。 
 確かに自分は同僚たちに比べると体格は良くないけれど、民間人に比べたらそれなりに鍛えていると自負している。
 それなのにこの扱いだ。
 橘は、膝を抱えてじっと屈辱に耐えていた。





「え?何処行くの?」
 髪をタオルで拭きながらバスルームから出ると、静香は外出のための装いで真新しいハイヒールを手にして、橘の前を横切っていった。
「デート」
 あっさり応える静香に、橘は食い付いた。
「誰と!?」
「そんな相手、ひとりしかいないでしょう」
 静香は呆れ顔で一瞥する。
「こんな時間から?」
 静香を咎める橘だったが、あっさりとたしなめられた。
「あなたってオヤジくさい事言うのね」
 橘はずっしりとショックをうけた。オヤジくさいという言葉が、頭の中でリフレインしている。
 こうなったら、とことん引き留めてやる。
 姑息な手段にまで手を出す橘だった。
「俺に独りでごはん食べろっての?」
 うんと寂しそうな表情をつくって訴える。
「明日は休みだから、ゆっくりできると思っていたのに」
 すねて見せたりもする。
 しかし静香は無表情で、半ば呆れながら橘を眺めていた。
「あなた、いくつになったの?」
「23」
「そういうセリフは自分の彼女に言いなさい。いい年して、それじゃあまるっきりシスコンじゃない……。軽くキモいわ」
 静香は橘に、全く事実無根な意見を突き付けた。
「シスコン?」
 橘は驚きすぎて二の句が継げない。
「いいかげん、おねーちゃんから卒業しなきゃだめよ」
 静香は、玄関に置いたハイヒールに爪先を通して、橘に向き直って応えた。
 絶句したままの橘を見上げ、軽く肩をたたいて微笑む。
「食器は明日わたしが洗うからシンクに置いといて。じゃあね。いってきます」
 静香は、引き留める橘の工作も空しく、ウキウキと出て行ってしまった。
「…………シスコン?」
 橘はショックから立ち直る事ができずに、呆然と立ち尽くす。
「この俺が、シスコン?」
 今度は、シスコンという言葉がリフレインしている。
「冗談じゃない!そんなレベルのもんじゃないんだぞ!!……つか、ああああっっもうっっ!!これから臨戦かよォォォォ――――ッッ!!!!」
 悶絶しながらの空しい叫びは、愛しい静香に届くことはなかった。





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あきゅろす。
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