終焉の時はなく
いつか2
森が意識を取り戻した。
天井の眩しいライトが疲れた感覚を逆撫でする。
身体を動かそうとしても、あちこちが痛んで思うようにならない。
しかし、その痛みが自己の生への執着を知らしめる。
激戦だった。
フェニックスの援護から、敵が最も集中していた哨戒艦の支援へ向かったものの、そこでは自分自身を守るのが精一杯な状況だった。
被害を最小限にとどめ、なんとか均衡を保っていた戦況は、クロイツの撤退命令とともに緊張の糸を解いた。
しかし、撤退時、クロイツのゲオルグが置き土産を落としていった。広範囲に四散するスクエアミサイルが、フェニックス第1小隊を襲ったのだ。
スクエアミサイルはすぐには爆発しない。標的に深く刺さり込み、その衝撃を受けてから10数秒後に爆発する。パイロットの脱出時間を考慮したものではなく、救出に向かう味方までをも巻き込み、成果をあげるための兵器であり、例に漏れず、第1小隊も被弾した以上の被害を出した。
森の機体は、不運にもコックピットに被弾した。エルフのハッチが裂けて歪み、彼の脇を押し潰した。救出に来た次郎を巻き込みたくはないと、エルフを後退させようとまでした彼だったが、結局は強引な次郎に助け出された。
「大丈夫か?」
自分に掛けられた声に反応して、森は視線を移す。
少し離れたベッドから、次郎が横たわったまま、穏やかに微笑みかける。
「隊長」
森は思わず軋む身体を起こそうとした。
「よせって。ちゃんと寝てろ」
森の行動が次郎を動かす。
素肌をさらした上体に施された、左腕から肩にかけての包帯が痛々しい。自分を救うために負った傷だと、森にはすぐに分かった。
「隊長……」
差しだされた森の手を握って、次郎は傍に腰掛けた。
「隊長、ごめんなさい」
握った手を頬に寄せて、零れる涙と震える声が、森の動揺を示していた。
次郎は、その痛々しい様子に、切ないほどの胸の疼きを覚える。
「俺の指示に従わないからだ」
「隊長を巻き込みたくなかった」
「おまえはそんな事を考えなくてもいい。俺の言うことを素直に聞いてりゃいいんだ」
言葉で叱咤していても、優しい口調が森を安心させる。
「──ごめんなさい」
いつも森は次郎に素直に従っていた。あのとき、自分に従わなかったのは、危険から遠ざけたかったからという事も分かっている。
命懸けで、いつも自分を守ろうとしてきた森の在り方がたまらなく愛しい。
こんなにはっきり分かってしまっては、もう自分の想いを認めざるを得ない。
決して失いたくはない大切な存在。ふたりで居るときの穏やかで心地よいこの時間を、誰にも邪魔されたくはない。それは、兄が指摘していた一種の独占欲だと、次郎にも分かっていた。
上官として慕われている自覚はある。
今は、それだけでいい。
この時間を壊してしまわないように、大切にしたいと次郎は願う。
武蔵坊との事を確かめる事はできなくとも、森が彼に思いを寄せているのは明白だ。
しかし、森が幸せならばそれでいい。
失恋によって自分の気持ちに気付いてしまったのは、何とも間の悪い話だと思うが仕方がない。
今まで、誰にも夢中になれなかった理由も、今ならよく分かる。
「いいから……。ほら、休んでろ」
寝具を肩まで掛け直して、次郎は森が焦がれて止まない笑顔を向けた。
「俺は先にフェニックスに帰って報告してくる。おまえはしばらくここでゆっくり診てもらえ」
次郎の言葉に、森は疑問を抱く。
彼は、ここがフェニックスのメディカルセンターだとばかり思っていた。
「フェニックスまで後退する余裕なんて無かったから、近くの哨戒艦に緊急着艦させてもらったんだ」
仕方がなかったという表情で次郎が答える。
そのタイミングで、ノックとともにドアが開いて艦医清水が現れた。
「……どうだ、目が覚めたか?」
相変わらずの風貌で作業着のまま治療についていた清水は、森のベッドサイドにやってくると森の額に手を当てた。
「熱も出てないな」
笑顔を向ける清水を、森は茫然として見つめた。
「相変わらず君は運がいい。肋骨が折れていても、間一髪で肺への穿刺は免れたぞ。だが気胸を起こしているんで、しばらくは動けないからそのつもりでな」
森は落胆した。次郎とともにフェニックスに帰れないのが残念だった。
しかもこの時点で、森はまだ気づいていない事があった。
「ここは、どこですか?」
その質問で、次郎の表情があえかに変化した。
清水は呆れて笑う。
「何を言ってる。俺がいるんだ。遮那王に決まってるだろう」
哨戒艦遮那王。
森はそれを知って複雑な表情をした。
ふたたび負傷して運び込まれたところが、また同様に清水のもとだったとは、偶然は随分と残酷な事をする。武蔵坊のひざ元にやってきた事が、はたして良かったのか悪かったのか……。森は困惑していた。
「じゃあ、俺は行くから」
パイロットスーツの片袖だけを通して、次郎は立ち上がった。
「隊長」
自分から去ろうとする次郎を、森は袖を引いて引き留める。
傍にいて欲しい。置いて行かないで欲しい。
そんな想いを込めた瞳が次郎に向けられたが、次郎は森の髪をクシャクシャと撫でてから微笑み返した。
「退院できたら迎えにくる。それまで、いい子にしとけよ」
そう念をおすと、次郎は清水に森を託して病室から去って行った。
清水がそれに同伴する。
「なあ、杉崎」
清水は、言いにくそうに次郎に切り出した。
「おまえとあの伍長なんだが……」
次郎は立ち止まって清水と向き合った。
「おまえはその……。あ、いや」
頭をボリボリ掻きながらなかなか言い出せないでいる清水に、次郎は尋ね返した。
「なんでしょう?」
次郎に促されて、清水は単刀直入に訊ねた。
「君と彼は、いい仲なのか?」
次郎は一瞬答えに詰まった。
これは一体どういう意味なのか。
表情が固まったままじっと意味を考える。
「あいつは、学生の頃からの後輩で、仲はいいと思いますが」
清水は期待はずれの答えを返されて、腑におちないといった表情を見せた。
「……恋してないか?」
およそ似つかわしくない清水の言葉に、次郎は青くなった。
なぜ、ばれたのだろうと、次郎は動揺する。
「いや。違うならいいんだ。最近、彼にちょっかいを出している不埒者がいるから、もしそうなら堂々と邪魔だてが出来たんだが」
「武蔵坊中佐ですか?」
「あ……いや」
清水は逆に指摘されて、いささか気まずさを覚えた。
次郎は苦笑した。
「伍長も、中佐の事は好いているみたいですよ。自分にはそれを邪魔だてする権利はありません。そっとしておいてあげてください」
次郎はそう応えてから医務室を出て、フライトデッキへと向かった。
疑いつつも予測していた事実を知らされて、次郎の心は重く沈んでいた。
「違うのか?伍長の様子じゃ、本命はあいつだと思ったんだが」
清水は、ふたたび腑におちない表情で次郎を見送る。
森の、次郎への縋るような視線が、次郎を求めているように見えたのは自分の気のせいだったのか。
清水は、釈然としないままデスクチェアに腰かけた。
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