終焉の時はなく
Secret6
簡単に食事を済ませてから一度ブリッジに戻った杉崎は、城にフェニックスの補修作業の監督を依頼してメディカルセンターへと向かった。
「お部屋に帰られましたよ」
メディカルセンターで沢口の見舞いを申し入れると、ソニアから薬の入った小さな袋を手渡された。
「お見舞いに行かれるなら、渡していただけますか?」
お使いを言い付かって、杉崎は追い払われるように出て行く。
診療室で仕事をしていたキムが、艦長にまで平気でお使いを依頼するソニアに呆れていた。
杉崎は、お使いも兼ねて沢口の個室へと向かった。
部屋の前に着いて、インターホンを鳴らして何度か声を掛けるが返答がない。
ドアには鍵が掛かっている。
杉崎は不審に思いマスターキーを使った。
職権乱用かと躊躇もしたが、心配なのだと自分に言い聞かせて中へ入る。
室内には沢口がいた。ただ、ぐっすり眠っているのか、声を掛けても反応が無い。
傍に寄ってみると、沢口はベッドにもぐりこんで背中を丸めて眠っていた。
どんな夢を見ているのか、その苦悶様の表情が気になる。
もしかすると、痛みにうなされたまま眠ってしまったのかもしれないと思えた。
杉崎は、ベッドの端に腰を下ろした。
「――沢口」
もう一度呼びかけてみた。
すると、沢口の表情が微かな変化をみせた。
目覚めを期待したが、沢口はふたたび眉間を寄せてしまって。やがて、閉じられたまぶたの内側からじんわりと涙を滲ませた。
どんな夢にうなされているのか。なんとなくでも予想できるだけに、居たたまれなくなる。
沢口の決意の告白をうやむやにしてしまったのだから、泣かれても申し開きもたたない。
残酷だという立川の指摘も、今は痛いほどよく分かる。
しかし、響姫に対する感情を整理できないうちは、まだ何も考えたくはなかった。
沢口に対して独占欲を抱いているか問われたとしても、あまりに曖昧な感情しかなくて。沢口が自分を無心に慕っている事に安心してるからとも考えられる。
もし、そんな身勝手な在り方でいたとしたなら、沢口の想いが自分から離れていった時に、きっと自分は思い知るのだろう。
そうなってからでは、きっと後悔しか残らない。
横になって俯く沢口の額には、ダークブラウンのくせっ毛がふんわりとかかっている。小さなあごのラインと鼻筋が可愛らしい幼さを残して、陽に焼けた健康的な肌の艶が、彼の若さを象徴していた。
十分発達した骨格は、全体の肉付きよりも目立ってしまう。華奢な訳ではないが、まだ大人になりきれない少年の特徴を残していた。
自分の傍にいる沢口は、いつも笑顔でいた。
自分の傍で働けることを、無上の喜びとしていた事も知っていた。
その可愛い部下を、恋愛の対象として見るなど考えたことも無い。
それなのに、じっと寝顔を見つめるうちに、愛しさと同情が入り交じった感情が湧いてくる。
沢口の髪を指で梳きながら、杉崎は自身の複雑な心情を自覚していた。
その感情に任せて、寝顔のままの沢口にそっと唇を寄せた。
静かでありながら熱い寝息が唇に伝わって、沢口の体温を感じた。瞬間、一瞬ためらったものの、そのまま惹かれるように接吻を贈った。
なめらかで熱い唇の感触が思ったより柔らかくて、少しだけ心魅かれる。
このまま沢口の傍にいたら、衝動的に何かをしてしまいそうな自分に気付いて、直ぐに薬を置いて帰る事にした。
その時、沢口の表情が変わった。
嬉しさのあまり泣いてしまいそうな。そんな表情を見てしまっては、折角の決意が揺らいでしまう。
しかし、曖昧な感情でいるうちは、応えない方がいい。
杉崎は、そう自分に言い聞かせて、そっと部屋を去って行った。
杉崎が出て行った後、そのドアの開閉音で沢口は目を覚ました。
まだはっきり覚醒しない頭で、今のは何だったのかと考えながらゆっくりと起き上がった。
「夢か……」
夢にしては随分リアルだった。そっと唇に指で触れて思い出してみる。
ずっと閉じ込めて来た想いの結末が、あまりにもあっけなくて信じられない。
届かなかった想いをどうしたらいいのか。
沢口の想いは、まだ杉崎を求めていた。
ふとテーブルに視線を移すと、そこに小さな袋を見つけた。
重い右足を引きずって近付いて、それを手に取って確認すると、メディカルセンターに忘れたはずの処方薬だった事に気付く。
「誰か持ってきてくれたんだ」
一瞬単純に考えたが、ドアをロックしていた事を思い出した。
そして今もドアはロックされたままだ。
「まさか」
マスターキーを所持している者の存在が浮かび上がる。
「艦長?」
あのリアルだった夢の、どこまでが現実だったのか。
しかし、彼がここに来ていたのは夢ではないと思える。
微かな甘い残り香が、杉崎を思い出させる。
沢口は胸の疼きを覚えた。
タブレットとカプセルをひとつずつアルミシートから取り出して口に含む。
「――苦い」
すぐに水で流し込んでも、薬の苦味は残ったままだった。
さっきまで覚えていた甘い感触は、その苦味にかき消されてしまった。
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