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終焉の時はなく
First contact9





 遮那王の医務室では、負傷兵の治療を終えた艦医清水鷹也が一息ついていた。
 不精してまだらに伸びかかった髭と、中途半端に伸びたボサボサの髪を左右に分けた風貌は、医者というよりも、外見に頓着しない技術者のようで。体格のいい長身に作業衣の上にヨレヨレの白衣をはおっただけの姿は、さらにそのイメージを強くしている。
 彼は煙草で一服しながら、処置室のベットに張り付いて離れない武蔵坊を一瞥した。
「こんな所で油を売っていていいのか?弁慶」
 丸い眼鏡を手にして、白衣の端で拭きながら訊ねる。
「いいんだ……。艦長には断って来たよ」
 悪びれる事なく応える武蔵坊の体たらくに、清水は深くため息をついた。
「おまえさんはいつから美少年趣味にはしったんだ?」
 清水はベットに近づいて、そこに横たわる森の寝顔を眺める。
「まあ、確かにこれだけの綺麗どころはそうざらには居ないが……。首から下がいただけない」
「先生は邪ますぎるよ」
 武蔵坊は失笑した。
「首から下を、どうこうしようなんて思っちゃいない。綺麗な花のかんばせを眺めているだけで満足だよ」
「欺瞞だな」
 清水は武蔵坊のきれいごとなど全く信じてはいない。
 ふたりの会話に刺激されたのか、森の寝顔に表情が戻ってきた。
「――ん……隊、長……」
 苦痛に歪む表情でうわ言を繰り返す。
「声を聴いてしまうともう萎えるな。やっぱ男だぞ」
 清水はもう一度クギを刺す。
「泣きそうな顔がまた可愛い」
 武蔵坊の表情が笑顔で緩んだ。清水の言葉などまるで我関せずといった態度が、清水のさらなる忠告を諦めさせた。
 清水は診察室へと戻った。
 そのドアを開閉する音で、森がうっすらと目を開けた。
「気がついたか?蘭丸くん」
 武蔵坊は嬉しそうに、森の顔をのぞき込んだ。
 森はまだぼんやりとした意識のなかで、それでも自分の命が助かった事を自覚していた。
「あなたが……助けてくれたの?」
 まだはっきりしない声で、森が応えた。
「そういう事になるのかな」
 もう少し早く助けられたら、こんな怪我など負わせなかった。
 そう思う武蔵坊は遠慮がちに苦笑してみせた。
 目覚めて目を開いた後でも想像した通りの美しさで、武蔵坊は魅了される。
「ありがとうございます……」
 折角の美しい瞳が瞼に隠された。
 あふれてくる涙が頬を伝う。
 また、次郎と離れ離れになってしまうところだった。もう二度と逢えなくなるところだった。
 そう思うと、森は涙を抑えることが出来ない。
「助けてくれて……ありがとう」
 涙につまった鼻声で、森は何度も礼を言う。
「いいんだよ、蘭丸くん。君のような若者を死なせてしまっては、隊の責任を担う者として悔しい事だからね」
 この無垢で素直な存在が愛しくてたまらなくなってしまう。こんなひた向きな若者を見るのは久しぶりだ。
 むしろ、自分に対して自然体で身構えない者など初めてのような気がする。
 武蔵坊は、涙に濡れてしまった森の頬をそっと指で拭った。
 穏やかな声に促されて、森はその声の主を改めて見つめた。
 微笑みをたたえる優しい瞳。それでいて強さを秘めた眼差しは森を惹きつける。
 初対面の兵隊にでさえ愛情を見せる懐の広さに、森は憧れを抱いた。
 それは彼の本心を知らない、森の大きな誤解だった。
 思いがけず、心休まるひとときを得た森だったが、不意に現実を思い出した。
 いつまでも穏やかなムードにひたってはいられない。
「ここはどこですか?よろしければ……その、あなたのお名前も……」
 中佐の階級章がなくても一目で高級将校だと分かるのに、見知らぬ相手だった事が悔やまれる。
 森は失礼を承知で恐る恐る尋ねた。
「遮那王だよ。わたしは弁慶」
「弁慶?」
 聴き覚えのある名になぜか嫌な予感がする。
「そう、武蔵坊弁慶……。弁慶と呼んでくれて結構だ」
 武蔵坊は嬉しそうに微笑む。
 しかし森は、その名を伴う数々の逸話を思い出してしまった。
「遮那王の弁慶……」
 森は驚きのあまり、穴があくほど武蔵坊を見つめた。
「――武蔵坊、弁慶中佐ですか?」
「うん……弁慶でいい。中佐はいらない。皆そう呼んでいる」
 そう呼んでいるのは、ごく一部の者だという事ぐらい森でも知っている。森は自分の頭の中から、一瞬にして血の気が引いて行くのを感じとった。
“鬼の弁慶”
 それは航空学生時代に耳にした名だった。
 連邦軍に在籍していた際、武蔵坊は航空学校に非常勤の教務官として配属されていた時代があった。その同時期に学生でいた森は、畏怖の念とともに武蔵坊のふたつ名を思い出した。森が所属していた基地とは違う基地の所属でありながらそれだけ有名だったのは、地獄の鬼教官というサブネームまで持っていたからに外ならない。
 森と同年代のパイロットなら知らない者は居なかった。
 そんな恐れ多い教務官に、弁慶などと馴れ馴れしく呼べる訳がない。森は驚きのあまり全身を凍りつかせた。
「わたしも、君を蘭丸と呼ばせてもらうよ」
 鬼が笑った。
「はい……。でも」
「なに?」
「上官をお名前だけで、お呼びするのは……」
 恐る恐る進言する森に、武蔵坊は意味のない脅しをかける。
「呼ばなければ、軍法会議にかける」
「……そんなっっ!」
 森の動揺を楽しむように、武蔵坊は相変わらず穏やかな微笑みを浮かべている。
「どうして、自分に、そんな……」
 すっかり困惑しきった森は、ベッドの中にもぐりこんで目元だけを見せて尋ねた。
 そんな仕草さえ武蔵坊は可愛らしいと思う。
「わたしは君が気に入った」
 武蔵坊の言葉は、その真意が掴めなくて森は混乱する。
「見目麗しく、名前まで魅力的だ。……出来ればずっとここにいて欲しいと思うくらいだよ」
 武蔵坊の変わらぬ笑顔を向けられて、森はひとつの、あり得そうもない予測を立てた。
「好き……って事ですか?」
「そう」
「同性なのに?」
「う……ん。そうだね。でも、君は特別だよ」
 武蔵坊は少しだけ困った表情をしてから、ふたたび微笑んだ。それは、彼が本来ヘテロセクシャルである事を示していた。
 好意的な微笑みが森を迷わせる。
 面と向かって好意を寄せられるのは、あまり慣れていなかったので恥ずかしい。森の顔は耳元まで紅潮してきた。



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あきゅろす。
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