Stella
―宿命の女王―
1
それが起こったのはステラが18歳と成人を迎える誕生日パーティーでのことだった。
いつもステラの誕生日パーティーでされるステラの父、アーデルベルトの挨拶。
その内容は、ステラに限らず誰しもが例年と同じステラに対する祝福の言葉だと思っていた。
しかし、始まってみればどうだろう。
ステラの夫ではなく、ステラに国王を即位させるとの宣言。この国に女王は立てられた試しがない。
真っ青になって、ステラは建国からトリシュ王国を支える四家を見るが、知っていたのか表情を帰ることはない。
きっと、ステラが王位を継ぐことを嫌がっていたのでアーデルベルトがステラには秘密に事を進めたのだ。
類を見ない重大発表に皆が押し黙ってアーデルベルトの言葉を聞いている。
女王になんて、なりたくない。
後からいくらステラがアーデルベルトを説得しようとしても、ステラが女王になるという話は決定事項としてその日を堺に広まるのだった。
ステラは鏡の中の自分と睨めっこをしていた。
大丈夫、おかしくない。
庭師の息子から取り上げた服はステラのためにあつらえたようにぴったりである。ステラのトレードマークである燃え立つような赤毛も今は帽子に隠れている。
腰には短剣、そしてナップサックにはランプと厨房からくすねた食料、宝石。
きっとこれだけあればしばらく生きるのには困らないだろう。
時計を見るともう二時半。三時にはまた教育係りのリルがやって来るので脱走のチャンスが潰れてしまう。
ステラはナップサックを背負うと、自室の扉を開けた。幸い、誰もいない。
部屋から一歩踏み出すと、ステラを溺愛している父のことが思い浮かぶ。
きっと、ステラが家出をしたことを知ったら倒れてしまうだろうか。
しかし悪いのはアーデルベルトだ。何と言ったってステラを女王に据えようとしているのだから。
ステラは顔を伏せて歩く。
大丈夫、きっとバレない。
一番目立つ赤毛は隠れているし、今のステラは少年にしか見えないはずだ。悲しいことにまな板というコンプレックスが今は役立っている。
なるべくステラは人通りの少ない道を歩く。
裏庭に出れば、ステラと数人しか知らない秘密の抜け道がある。そこを通れば、もう、城外。
途中見知った顔と何度かすれ違ったがバレていない。
きっと上手くいく。
自分でも驚くほど緊張しているようで、無意識に握り締めていた手の中は汗でぐっしょりしている。
――中庭に出た。
もう少し。もう少しだ。
と。
誰かに腕を引っ張られ茂みに引きずり込まれた。
口を塞がれてしまったため、声が出ない。
見付かっただけならこんなことはされないだろう。
まさか、女王反対派の暗殺者か。
「――ステラ。」
しかし、かけられた声はよく知る声で。
「じ、ジル?」
そこには東の四家、パルファム家現当主のジル=ローダー・クランス・パルファムがいた。
絵画から抜け出してきたような美しい造形の顔。ワインレッドの瞳も魅惑的で、数多くの女性を悩ませる。
全体的に少し長めの黒髪の前髪を、今日は五本ものヘアピンで止めていた。
「ちょ!? なんでジルがここに!?」
「昼寝してた。」
ステラに合わせてか、ジルも元から低い声を小さくして囁くように答える。
「今会議でしょ?」
そう、今日は会議。国の基盤である四家の当主が休んで良いものではない。
でももし急遽中止になっていたら。
せっかく今日を選んだ意味がない。
ステラはそっと下唇を噛む。
「――抜けた。また陛下とウォルグが喧嘩したからな。」
「また?」
ウォルグ――ウォルグ・アーノルド・プレシャス。南の四家、プレシャス家の当主である。
陛下ことステラの父、アーデルベルトとウォルグは幼馴染みらしいが、何せ考え方が合わない。
生真面目なアーデルベルトと、不真面目なウォルグ。真っ向から意見が衝突するのは度々である。
と、またジルはステラの手を引っ張った。ジルは身を屈めて歩いているのだからステラも自然とそうしなければならなくて、歩きにくい。
「ちょっとジル!」
ステラは小声で怒る。
どこに行くつもりか知らないが家出を邪魔されたらたまったものではない。
「何だ?」
「どこに行くの?」
「外。」
と、ジルは急に立ち止まった。
「家出、するんだろ?」
「へ?」
ステラは固まってしまった。
何でバレたのだろう。
ってまぁいつもと違ってこんな格好していたら時期も時期だし当然か。
しかも外って――。
「――手伝ってくれるの?」
ジルは頷いた。
「陛下に置き手紙書いたか?」
「書いてないけど――?」
と、ジルは黒いローブのようなマントの中から神とペンを出した。いつもジルのマントの中身には驚かされる。
そしてジルは、
要求
女王却下
と書いて二つに折り、近くの葉っぱに前髪からヘアピンを一本抜いて止めた。
――ジルのすることは不思議である。
「そんなところに止めたら見付からなくない?」
「さぁ?」
すると、またジルは身を屈めて歩き出した。しかし、ステラの目指していた抜け道とは違う。
「ね、ジル。あっちの抜け道行こう?」
ジルはステラの指差した方に視線を向けたが、首を振った。
「あっちはリルに気付かれている。」
「じゃあどこから出るの?」
ステラは抜け道をあれ一つしか知らない。
まさか門から出る気ではないだろうか。
とても嫌な予感がする。
「枯れ井戸から出る。」
その言葉に鳥肌が立った。
あの井戸には恐ろしい話が沢山ある。冥界に繋っているだとか、突き落とされて死んだメイドの幽霊が出るとか、中を覗くと死者が手招きしているとか。
「こ、怖いのは嫌だよ!」
「大丈夫。全部俺が流した噂だから。」
と、急に横抱きにされた。ジルの足元には、井戸。
いくらジルが流した噂だと言われても、怖いものは怖い。
「ね、あっち行こ?」
「逃走経路は割られない方が都合が良い。」
ジルはステラの意見を無視してもう使われていない水を組むための桶に手を掛けた。
一方そのころ――。
リルは壁に掛かっている時計を見た。二時五十分。ステラに世界史を教えに行く時間まで十分。
リールイーディケは今まで読んでいた本を閉じる。
彼――リールイーディケ・ジェッターム・プレシャス。南の四家、プレシャス家の次期当主にしてステラの教育係りである。
天才でも勤勉家でもある彼はステラの相手をする時以外はほとんどを図書館で過ごしている。
リールイーディケは栗色の髪を結んでいた髪紐を解いた。髪紐を結べるような長さではないが、なぜかジルに結ばれたのである。読書の時間が惜しいので今まで解かなかったが。
今からステラの部屋に向かえば丁度良いくらいの時間になるだろう。
リールイーディケは立ち上がって歩き出した。
――歩き出してほどなく。
「リルー!」
リールイーディケの愛称を呼ぶ、大柄な男性が走ってきた。
老いたわけでもない生まれつきの白髪、子犬のように純粋な翡翠の瞳。
深緑の軍服がよく似合う彼は、もう成人したのに子供のようにリルに手を振っていた。
「ハル、もう訓練は終わったの?」
何を隠そう彼――ハルジオン・オーガスト・ファングもリールイーディケと同じ西の四家、ファング家の次期当主である。
ファング家は代々騎士団長をしている。ハルジオンも今年、成人と同時に副団長に昇格し、父親が引退すれば団長になる。
「終わって帰るとこ。リルは?」
「僕は今からステラに勉強を教えるところだよ。」
「俺も行く!」
ハルジオンは瞳を輝かせた。
ハルジオンはステラの世話係りという名の遊び相手で、そのせいかいやに仲が良い。
互いに成人した今でも同性の友人のようによく遊んでいる。
「邪魔しないでよ?」
「わかってるって!」
と返事だけは良いものの十中八九邪魔をするだろう。
そうしたら――。リールイーディケの銀色の瞳が歪に光る。
二人まとめて苛めてやろう。
「今日は何の勉強すんだ?」
「世界史。」
「ふぅん。世界史止めて地理にしろよ。」
「君に指図される意味がわからないけど?」
「だって地理だったら戦争の時に兵法考えるのに役立つじゃんか。」
「自分でしろ。」
地理をしたとしても、五分で飽きるくせに。
そうこうしているうちに、ステラの部屋の前に着く。
リールイーディケは扉をノックした。
「ステラ?」
しかし返事が無い。
「スーテラー!」
ハルジオンも乱暴にノックする。
「寝てんのか?」
「それは困る。」
と、リールイーディケは顎で扉を指した。
「壊して。」
「おぅ!」
喜々としてハルジオンは扉を蹴破ろうとした。が、鍵がかかっていなかったので簡単に開き、前に倒れる。
「ステラ。」
「ぐふっ!」
リールイーディケはステラに呼び掛けながらハルジオンを踏む。もちろん故意的に。
と、リールイーディケの目に脱ぎ散らかされたドレスが目に入る。今日ステラが着ていたものだ。
「――。」
嫌な予感がした。
「ハル。」
「何?」
ハルジオンはリールイーディケに踏まれた腰を擦りながら立ち上がる。
やや恨みの籠った目で見てみるがリールイーディケはどこ吹く風。
「ステラに何もないのに衣装替え、なんて女の子らしさあったっけ?」
「無い。」
ついでに胸も無い、と本人には聞かせられないようなことを言ってハルジオンは豪快に笑う。
「――。」
リールイーディケはハルジオンに向き直った。
「騎士を動かして城内でステラを探して。」
「へ? なんで?」
「家出したかもしれない。」
そしてステラとジルは――。
ステラはジルの背中にしがみついて馬に乗っていた。
井戸の通路から出た先は、王都の寂れた宿屋の一室に繋がっていて、ジルが近くの貸馬屋で馬を借りて来たのである。
そして今は王都を出て少し。どこに向かっているのかは知らない。
「それにしてもあんな通路誰が作ったんだろうねぇ。」
意外と整備されていた通路。そして出た先は宿屋の一室の暖炉。通路の途中には誰かが使っている雰囲気の部屋もあった。
少しおかしな話だ。
「俺。」
「――。」
ステラはジルの返事を聞かなかったことにした。
「隠れ家が欲しかったから作った。」
ステラは何も聞いていない。
「そ、それにしても景色が綺麗だねー。」
嘘だ。褒めるほどの景色ではない。
「――そんなに信じられないか?」
「うっ――。」
ジルは見え透いた話題の転換には乗ってくれなかった。
「し、信じられないわけじゃないけど――」
むしろ信じられる。だから怖いのだ。
「証拠の設計図とか領収書もあるぞ?」
「誰と作ったの?」
「――秘密。」
一人で、と言われなくて本当に良かった。
「ところで、ジルはどこまでついて来てくれるの?」
「ん?」
「どこか適当な町で降ろしてくれたら一人で行くよ?」
「俺も一緒に家出してるんだけど?」
「え?」
ステラは急に不安になった。
手伝ってくれているのではなくて、一緒に家出しているとは。
しかも、ステラは一応王族なわけで、いくら四家の当主と言えども誘拐に問われないだろうか。
と、そんな考えが見透かされたのだろうか。ジルはステラに言った。
「俺がステラに誘拐されてるんだ。」
「いや、年上の男誘拐する女がどこにいるのよ?」
ステラは溜息を吐いた。
「でも、それなら言い訳立つかも――。」
「だろ?」
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