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かくして、君の世界は


・昴流

お題『記憶喪失』











「知らない」

そのときの白さといったらなかった。
彼の表情も私自身も頭の中も声も部屋もすべてが真っ白だった。











隣には暖かな自分のものではない体温がある。
ベッドで一緒に座ってなにか話すのは、もう日課だった。
昴流は私の頭を撫でながら、ずっとこめかみのあたりに唇を触れさせていた。
何かを思い出すようにおまじないでもしているのだろうか。
私は昴流がそんな行為を繰り返す間、じっとおとなしく座っている。

「主人公」

すごく優しい声色で、私の『名前』を呼んでくれる。
私にはひっくり返ってもそんな声は出せそうにない。
どう受け答えたらいいかわからず、私は首をわずかにかしげた。

「主人公」

昴流は私が少しでも黙ったり、困った様子でいたりすると、すぐに心配そうな顔をする。
平気、と一言だけ呟くと、昴流はなぜか寂しそうに微笑んだ。

よくわからない。











私の頭の中は相変わらず真っ白だ。
記憶だろうと習慣だろうと、欠片くらいは残っていてもいいのに。
少しは私も焦っている。
昴流はいつか思い出す、そのうち思い出すといつも私に語りかけてくれる。
だけど、真っ白の中からは何も生まれない。
もしかしたら昴流が『主人公』だと思っているのは私ではなくて、『主人公』という人物はもっと別にいるんじゃないか、なんて最近はふと思い浮かぶ。
だから私にはこんなに優しくしてくれる昴流のことを何も思い出せないし、未だに知らない人のような気がするのかもしれない。
私がそんな疑問をもって昴流の瞳を見つめると、昴流は決まって寂しそうに微笑んだ。
その表情に私は、余計に昴流は何か隠しているんじゃないかと思ってしまう。
ばかばかしいか。
昴流は嘘つきなら、空っぽの私の世界は全部嘘ということになる。

昴流が見捨てないでくれていることが私にとってのリアル。











ある日、私は泣いた。
誰もいないときに泣いた。
どこにいったらいいかわからなくて泣いた。











あんなに張りつめた声は初めて聞いた。
何かのショックを与えることで記憶が戻ることがあると本で読んだから、硬いもので頭を殴ってみた。
赤くてどろどろしたものがたくさん出た。
衝撃は私の頭の中に響いたけれど、ぶつかった瞬間だけで、後はいつもどおりの真っ白に静まり返ってしまった。
私が困っていると、昴流に見つかった。
すごく怒られた。
取り乱していた。
昴流も色々考えることがあったのか、いっぱい何か言われた。
僕といるのはつらいのか、とか。
だから私も今まで思っていたことは全部言った。
こんなに優しい昴流のことを思い出せないのはとてもおかしい。
だから昴流の大事な『主人公』は私なんかとは違う人なんじゃないのかって言った。
そしたら昴流は泣いてしまった。
私も泣いていたかもしれないけれど、たぶん昴流の方が泣いていた。
昴流は初めて私の唇にキスをした。
少なくとも、私が覚えている限りでは初めてそうした。

もう痛い、よ。











最近私は笑えるようになった。
私が表情を緩めると、昴流も楽になるらしい。
私は努めて明るく振る舞うべきなのかもしれない。











「頼むから、思い出して欲しい」

いつもの通り、笑っただけのはずなのに。
昴流は寂しい顔でも穏やかな顔でもない。
とても苦しそうな顔をした。
私の両肩を力無く掴んでそう言った。

「主人公…」

言わずにはいられなかったという様子の昴流は、すぐに申し訳なさそうな顔になった。
いいのに。
私だって昴流に忘れられたら。
他人みたいな目で見られたら、どんなふうに思うだろう。

「いやだ」
「主人公…?」

感情を覚えた私は賢くなったのだろうか、それとも優しくなったのだろうか。
悲しいのも、苦しいのも、すべて取り除いてしまいたい。
取り除いてあげたい。
そうしたら、いったい何が残るだろう。

「そんなかおは、いやなんだよ」

きっと世界が青ざめるほどに清々しい。
私が私に還っていく。











かくして、君の世界は





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