: 「春日…?」 「……」 その呼び名に、望の胸が痛む。 わかっていても線を引かれたようで苦しくなる。 古賀はいつも顔色一つ変えずに大人の判断を下す。 それは手放しに甘えてはいけない暗黙の約束のようで、古賀は教師なんだということを教えられる。 貴方の本音が知りたくて『ちょっと試してみただけ』、なんてあり得ない。 そんな気持ちで足を踏み外せば、そこには地獄しかない。 「具合が悪いなら、保健室へ行きなさい」 「っ…」 古賀の表情のない低い声に、望はグッと唇を噛み締めて拳を握った。 ――わかってる…。 古賀は決して隙を見せたりはしない。 ちょっと試してみただけ、なんて通用しない。 「古賀ちゃん!?」 「荒井、お前は席に戻れ。HR始めるぞ」 思いの外冷たい態度の古賀に、渉は驚いて声を荒げた。 が、古賀は涼しい顔で渉の肩を叩くと、白衣を翻して教壇へと戻っていく。 「出席とるぞ〜」 渉は俯く望と、ポーカーフェイスの古賀を交互に見たが、結局は何も言えずに自分の席へと戻った。 「相田」 「は〜い」 「浅野」 「ほい」 「荒井」 「…はい」 いつもと変わらない古賀の穏やかな声が教室に響く。 ――また、やっちゃった…。 望は俯いたまま、自分の行動今更ながらに後悔を募らせた。 情けなくて、悔しくて涙が出そうになるのを必死に堪える。 『ちょっと試してみただけ』、なんて軽い気持ちでは、自分が手痛いしっぺ返しを食らうだけ。 はっきりとした境界線を見せつけられるだけ。 わかっているのに…時々、間がさす。 「上原」 「はい」 「大竹」 「あーい」 「春日」 「…はい」 こんな時望には、古賀が他の誰よりも遠い存在のように思えた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |