: 「………貴、治…」 釈然としない自分の気持ちに、綾一はまだ戸惑っていた。 和也を好きだと感じた時と、今のこの気持ちは、似ているようでどこか違う。 言葉にするのなら、これを『恋煩い』と呼ぶんだろうか。 それにしたって貴治は、想像がつかない相手。 遠過ぎるくらい論外の場所にいる気がしてならない。 貴治は、気づけばいつも傍にいた。 傍にいたと言うよりは、『ただ、そこにいた』と言うべきだろうか。 大好きな二人の兄の友人として…。 立ち位置はすこぶる曖昧。 必ずしも、ベッタリくっついている訳じゃない。 それでも、ここ一番には必ず姿を現す。 頼りにはなるのかもしれない。 でも、何を考えているのかはわからない。 和也より、竜樹より、いつも爽やかに笑っている分、本当にポーカーフェイスと言うのなら貴治こそそれ。 綾一からすれば、何をどう恋い焦がれたものか…それこそが想定外なくらいに、貴治は関係ない場所にいた。 それなのに、何故こんなに貴治について悩まなければならないのか――それこそが、なんとも腑に落ちない。 貴治からは生活感が感じられない。 トップレーサー。 風紀委員長。 二人の兄の友人。 それ以外の顔がわからない。 ――それ以外の、顔…。 貴治には、いるんだろうか。 その人を想うだけで、胸が締め付けられるような誰かが…。 『忘れられない人、ねぇ』 思いの外、広かった背中。 思いの外、強かった腕。 思いの外、高鳴った自分の鼓動。 「………貴治は…違うもん」 綾一は独り言のように小さく呟いて、手にあった書類を見るともなしにぼんやりと見つめた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |