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小説
半獣半神 其の七
  半獣半神
  
  其の七 誓い

 何かをすることも、また何かをしようという気力もないまま、閉ざされた扉の内側で、ネイルは日々を過ごしていた。―――自責の念ばかりが黒雲のように湧きおこり、それは禍々しい黒縄(こくじょう)の如く、ネイルの心をぎりぎりと締めつけた。
 ネイルはまず、ピッコロに恐れを抱いた己を責めた。
 忌人として生まれ、「闇と雷鳴に狂わされた者たちの棲む地」に棄て去られ。呪詛に充ちた彼の地で、誰からも情愛を手向けられず――そもそも情愛の存在すら知らず――に生きてきたピッコロ。そんなピッコロが、己の命にも他者の命にも、価値を見出すことが叶わないのは、悲しいことではあるが、当然のなりゆきではないのか。
 そのピッコロが、初めて情愛を手向けた相手は、他ならぬネイルだった。そしてそのネイルを、ガルゼは傷つけた。―――それを目の当たりにしたピッコロの心に兆した激情、その結果出来した惨劇を、だが一概に責めることが出来るだろうか。「オソロシイ」「オゾマシイ」それだけで片を付けることが叶うだろうか。
 ……ネイルの心を苛んだのは、その思いだけではなかった。
『お前の存在はもはや、忌人と同様だ』
『だがお前のその力―――戦闘タイプとして生まれついたお前のその、卓越した闘いの力は、戦う力を持たぬ、我々ナメック星人には不可欠なものなのだ』
 マイマ長老のあの言葉―――あれは、血を吐くような言葉だったのだと、今ならわかる。長老として、私情よりも共同体の秩序を重んじなければならぬマイマの。
 だが自分はそんなマイマ長老に侮蔑の念を抱いてしまった。のみならず、それを言葉に出しもした。……愚かなのは、責められるべきはやはり、己だったのだ。
 ―――そしてネイルは、己を責め続けると同時に、問い詰めもした。
『何が悪かった?』―――と。
 己の望みはただ、ピッコロと共にあることだった。
 ピッコロは、そんなネイルを守ることを切望した。
 マイマ長老は、長老として同胞たちの平穏を望んだ。
 ―――各々の望み。それは、悪くはない。悪くはないのだ。だが、それらは似て異なる方向を向いていた。為に何かが狂った。そして破局が訪れた。
「なにが、悪かった…」
 ネイルは己に問いかける。
 そして疲弊しきった彼の頭が紡ぎ出す結論はいつも同じだった。―――全てが悪くもあり、また何も悪くはなかったのだ、と。

 ネイルがマイマ長老から呼び出され、最長老の館に行くよう命じられたのは、そんな陰鬱な日々のさなかのことだった。

 ―――最長老は、ネイルを責める言葉を、一切口にしなかった。
 ただ、ひどく悲しげな眼差しを、ネイルに向けた。百万言を費やした罵倒よりも深く、それはネイルの心に突き刺さった。
「やはり忌人は、我らと共にあることが叶わぬ存在のようですね」
「そうだと判じることは、まだ出来ますまい」
 己の言葉が無礼なものであると、ネイルにはわかっていた。だが激情の吐露を、ネイルは抑えかねた。
「ピッコロは確かに、集落を破壊し、同胞を殺めました。ナメック星人の掟を鑑みたなら、これは許されぬことでしょう。
 ですがこうした行為は、わたしの身を守ろうとしたが為のものです。ピッコロの心底には、わたしへの情愛があります。
 ……しかし根底にある思いが何であれ、事態がここまで悪化した以上、ピッコロがナメック星人らの村落に足を踏み入れることは、もはや許されぬでしょう。そしてそれは、ピッコロへの想いを断ち切ることが叶わぬ、わたしも同様です。
 ですからわたしは村を出、ピッコロと共に忌人として、忌人の地で生きてゆきます。そしてピッコロの激情が同胞を傷つけることがないよう、見守り続けます。そして万一そのような事態が出来したなら、わたしはそれを、この命を賭して止めます」
 言い放ったネイルを、最長老はいよいよ悲しげな目で見つめた。
「ネイル……お前の気持ちはよくわかりました。
 ですがお前がピッコロと共にあることは、もはや叶わぬでしょう」
「……なぜです」
「この星を襲った90年前の異常気象……あれは、殺戮と破壊の悦びに狂った忌人がその力を暴走させ、星の核を傷つけたがために、生じたものなのです。力の暴走に精神と肉体が耐えきれなくなったその忌人は、やがて死にましたが。
 ……当時の私と最も親しい同胞であったカタッツ。そのカタッツを私の眼前で殺めたのも、その狂った忌人でした。そしてその忌人の双眸は、禍々しい真紅でした」
「……………」
 ネイルは絶句した。視界に真っ黒な亀裂が走ったと思った。
 そんなネイルに、最長老はゆっくりと言葉を続けた。それはネイルのみならず、己自身に言い聞かせるような口ぶりでもあった。
「……忌人の中でも、とりわけ激烈な破壊衝動を有した者、常軌を逸した戦闘能力を有した者は、何かのはずみで破壊と殺戮の悦びに目覚め、それ以外のことは念頭にない、狂った破壊の権化と化してしまうのです。そして先にも申したように、真紅の双眸は狂った忌人のあかしなのです。自然、その心から、他者への情愛は消えます。
 そのようして忌人が真の忌人となり、『闇と雷鳴に狂わされた者』が真に狂ってしまったなら、その狂気に充ちた破壊衝動は、その忌人の死を以てしか、止めることは叶わないのです」
「……………」
 ネイルは黙っていた。亀裂から溢れた重苦しい闇は、今やネイルの心を冷酷に絡め取っていた。
「ネイル、情愛という、それ自体は罪のない、時としては美しく発露する感情が契機であったとはいえ、お前は我々の共同体の秩序を脅かす、『罪』を犯しました」
「…はい」
「そして、罪を犯した者は、その償いをしなければなりません。
 ………ネイル」
「…は」
「私が今からお前に言い渡すのは、お前にとって最も過酷な『償い』であり、また過酷な『使命』でもあります。
 ネイルよ、このナメック星最強の戦士として、その忌人を殺すのです」
 ………いっそ切り捨ててしまいたい程に重い手足を引きずり、ネイルは最長老の館を出た。

 ピッコロの気は、すぐに見つかった。「闇と雷鳴に狂わされた者たちの地」に、それはあった。ひどく不安定な、己の内の猛々しく寧悪な衝動を、必死で抑え込もうとしている―――そのような気であった。
 ネイルは全力で、その気の許へ向かった。

「来たのか」
 邪神像の前、傲岸に腕を組んだ長身の人物から、これまた傲岸に冷ややかな声がかかった。その気から先刻の不安定さは消え、揺るぎない邪悪さと冷酷さがそれに取って代わっていた。狂った真紅の双眸が、ネイルを嘲るように見つめていた。
 そうだ、とネイルは言った。
「自分でもわかっているのだろう。
 全てを――たとえそれがこのわたしであっても――殺し尽くし、破却し尽くしたいという、取り返しのつかぬ衝動が、己の内に生まれたこと。
 そしてそれは、己の死によってしか収まらぬことを」
 ピッコロはうっすらと嗤った。
「それを止めに来た」
「最長老に命じられたからか」
「それもある。
 だがそれ以上に、おまえが狂った破壊の化身となり、この星を壊してゆく様を、見てはいられないからだ。
 ……忌人としての狂気に目覚めたお前に、勝ち目がないことはわかっている。だが刺し違えてでも、わたしはおまえを止める」
「いい覚悟だ」
 ピッコロはまた嗤った。
「…表へ出ろ、ネイル。
 同じ死ぬにしても、忌人の地で死にたくはあるまい」
 二人は無言で、「闇と雷鳴に狂わされた者の地」を後にした。

 ……辿り着いた先は、彼の地から小一時間ほど離れた所に位置する、荒涼たる荒野だった。二人が嘗て、出会いの場にしていた洞穴から、程近い。
 ―――ネイルの胸が、ずきりと痛んだ。
 そんなネイルの感傷になど拘泥せず、
「始めるか」
 ピッコロは言い、ターバンとマントを無造作に放り捨てた。紅い双眸が、ネイルを見据えた。
 次の瞬間、ピッコロはネイルの眼前にいた。
 いったん地に片膝をつき、そこから上体を起こす力をばねにし、手刀を放つ―――ガルゼの時と同じ動きだった。その速さはだが、桁違いのものになっていた。
 致命傷を負うことこそ辛うじて免れたものの、上衣と、胸元を切り裂かれた。紫色の血の飛沫が、散った。
 崩れた体勢を立て直すことさえ叶わぬうち、相手はネイルの背後に回った。力任せに振りおろされた拳が、ネイルの背をしたたかに打った。
 身を苛む激痛のため、呻き声すら出せず、地に倒れ伏したネイルの背に、ピッコロは片足をかけた。
「どうした、もう仕舞いか。
 ナメック星最強の戦士の腕前がこれでは、この星の命運も知れたものだな」
 その言葉を言い終えるか終えぬうち、ネイルの右手首をピッコロは鷲掴みにした。そのまま力を込め、ピッコロはその骨を粉砕した。骨の砕ける不快な音を、ネイルの絶叫がかき消した。
 が、ネイルはやはり手練の戦士だった。左手から放とうとした光弾をだが、ピッコロは難なくかわした。そのまま上空に上がる。
 そのわずかな隙をついて、ネイルは立ち上がった。全く力の入らぬ足許が恨めしかった。それでも渾身の力を込めて、砕かれ、用を為さぬ手首を、ネイルは引き千切った。その切断面から手首を再生させる。
「無駄なことをする」
 頭上から嘲弄の声がかかった。
「そんな真似をしたところで、もうキサマに、オレと戦える程の力は残っていまい」
「―――ほざけ!」
 ネイルの放ったエネルギー波を、ピッコロは片手で払いのけた。
「下らん小細工ばかりをするヤツだ。キサマの相手をするのも、飽きた」
「何ッ!」
「戦えんヤツに用はない」
 言い、ピッコロは両手を頭上にかざした。そのままそこに気を集中させ、先刻ネイルが放ったものとは比較にならぬ程の、巨大な光弾を作り上げる。
「これで終わりだ」
 光弾が放たれた。と、同時に―――。
「―――右によけろ、ネイルッ!!」
 血を吐くような叫びが降り注いだ。
 何が起こっているのかわからぬまま、ネイルは咄嗟に、その叫びに従っていた。
 轟音が轟いた。砂埃が、巻き上がった。

「……………」
 先刻ネイルがいた場所には、抉られたような巨大な穴が開いていた。ピッコロの言葉に従っていなかったなら、今のネイルの命はなかったろう。
 呆然と立ち尽くすネイルの眼前に、ピッコロが下り立った。その動作は下り立つというよりも落下に近く、ひどく弱々しかった。
 覚えず抱きとめにかかったネイルを、
「寄るな……ッ!!」
 苦しげなピッコロの叫びが制した。その気が再び混乱した、不安定なものになっていることに、ネイルは気付いた。
「やっと……やっと抑え込んでやった……。
 オレに戻れ……た」
「…ピッコロ」
「……だがもう時間が………ない。オレがオレでいられるのは、これが……最後だ。
 ………ネイル」
「なんだ」
「オレを殺して………くれ」
 顔が無様に引きつったのが、自分でもわかった。
「な……にをしている…。
 オレが………オレでいられるうちに、オレがこいつを抑えこんでいるうちに……。
 オレを殺せ!!」
「……………」
「キサマはその為に来たのじゃなかった……のか。
 この腑抜けめ……ッ」
「…………ッ!」
「さっさとしろ!!」
 その叫びが終わるか終わらぬうち、ネイルはピッコロに飛び掛かっていた。そして最後の力を振り絞って、相手の胸元を貫いた。
 ………………。

「よ…くやってくれ……た」
 唇の両端から血をしたたらせ、それでも弱々しい笑みを浮かべながら、ピッコロは呟いた。
 胸元を貫いた拳を引きぬくと、ピッコロの身体はそのまま地に崩折れかけた。ネイルはその身を、両腕で抱きとめた。
「…ネイル………」
「馬鹿!これ以上喋るな!!」
「……ネイル……。これだけは……オレの最後の頼み…だけは聞いてくれ……」
 切れ切れに言うピッコロの身が、青い光芒を帯び始めた。
「聞いてやる!!なんでも聞いてやるから!!」
「……今、この星から遥か離れた………彼方の青い星……で。
 死にゆくナメック星人が………いる。そいつ……は最期に、己の分身を産み落とそうとして……いる。オレ……にはその様が見え…る」
 ネイルはうなずいた。青い光芒はいつしかピッコロの全身を包み、その輪郭を曖昧なものに変貌させていた。
「……オレ……は、そいつの分身にこの魂を……宿す。そして…生まれ変わ……る。
 生まれ変わったオレ…は必ず………この、星に戻っ…てくる。そしてキサマ…と出会う……かなら…ず。
 だからその時ま……で、生きて……オレを待ってい…て……」
「わかった!!必ず待っている!!わたしは生きて、生きておまえを待っているから!!」
 ―――だから、死ぬな。わたしの腕の中から消えるな。
 理に叶わぬ、それ故に烈しく、切実な言外の想いを、ピッコロは察したらしく。
「……おまえにしては…聞き分けのないことを………言う。
 オレは死ぬわけじゃな……い。魂を別の身体に宿す………だけ…だから」
 ―――泣くな。
 青い光に包まれ、消えゆこうとするその指が、ネイルのほおをそっとなぞった。
「………生きていろ……よ、ネイル………」
 それが最期だった。
 青い光芒が、消えた。―――乾いた音をたて、砂地に転がったものがあった。ネイルはそれを拾い上げた。
 銀の腕輪だった。共にあることを約したその日、ネイルがピッコロに贈った。そしてその内側には、何か尖ったもので彫りつけたと思しい、細い文字があった。虚ろな目で、ネイルはそれを見た。
『ネイルと共にありたい』
 ―――嗚咽と、拳が砂を打つ鈍い音が、荒野にこだました。

「忌人を、殺して参りました」
 最長老の許を訪れたネイルは、それだけを口にした。何の感情もこもらぬ声だった。
 最長老もまた、うなずきだけを返した。
「では、わたしはこれで」
 言い、深々と頭を下げると、ネイルは踵を返した。
 ―――その後ろ姿は影のように頼りなく、淋しげに、最長老の目に映じた。

 館を辞去したネイルは、「闇と雷鳴に狂わされた者の地」へ向かった。
 表向きはどうあれ、ネイルの心はまだ混乱していた。ピッコロがこの星にいないということが、まだ信じられなかった。―――信じたくなかった。
 「闇と雷鳴に狂わされた者の地」の神殿、あの奥の間に、いるのだと思った。そして傲岸な仕草で腕を組みながら、ネイルに皮肉な言葉を投げかけてくるのだと、思った。―――思いたかった。
 しかしネイルの願いは、無残に砕かれた。
 神殿には薄闇と静謐だけがあった。
 泣き腫らした目で、うつろな視線を彷徨わせていたネイルだが、その眼差しがある一点で止まった。ピッコロの寝床。―――その傍らに、ネイルが贈った鏡。そして手紙と思しきものが、置かれてあった。
 ひったくるようにして手紙を取り上げると、ネイルはその文字を追った。
 そこにはこうあった。

「ネイル。

 オレがオレでいられる間に、これを書いておく。

 ネイル。
 オレはキサマと出会って、共にいる間だけを、生きていた。
 キサマがいなければ、オレはここに転がる骸の山と、何ら変わりはしなかった。

 キサマがオレにくれた全てのもの―――形あるものも、そうでないものも、全てが大切で、懐かしい。
 
 だがオレは、キサマに何もしてやることが出来なかった。
 キサマが言葉に出さず望んでいた、共にアジッサを見るというささやかな願いさえ、叶えてやれなかった。
 ………繰り言を言っても仕方がない。それに、そんなことを言っている時間は、オレにはもう残されていない。

 だからネイル。
 オレが言うべきだったのに言えずにいたことを、今言う。

 ありがとう。

 ―――夢の神ポルンガよ、ネイルにあらん限りの幸福を」

 石畳に伏し、声をあげ、ネイルは泣いた。血が滲んで、皮膚がやぶれてもなお、拳で床を打ちすえた。荒野で声が枯れ、涙も枯れる程に泣いたのに、未だ涙が両の目縁から溢れるのが、不思議と思えるくらい、泣いた。声を放って泣いた。
 泣き続けた。

 つづく。


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