小説 半獣半神 其の四 半獣半神 其の四 呪詛 ピッコロの言葉は正しかった。 一時間足らずで、二人は「闇と雷鳴に狂わされた者たちの棲まう地」に到着した。風雨もその度合いを弱めていたので、ネイルの衣服はさしたる損害を受けずにすんだ。 のだったが…………。 彼(か)の地に足を踏み入れたネイルは、覚えず息を呑んでいた。 眼前に広がるのは、廃墟だった。半円形の家々が林立するナメック星人の村落を思わせる佇まいをしてはいるが、美しいアジッサの苗木畑は無論、清冽な水を湛える泉さえ見当たらぬ。 雨雲のもたらす薄闇のせいで判然とはしないが、周囲の建物には例外なく亀裂が走り、その上に奇形の獣の鉤爪を思わせるような黒褐色の枝が絡みつき、暗緑色の葉が生い茂っている風だった。 地表の大半は腐臭を放つ汚泥で覆われ、崩れ落ちた建物の欠片や、生き物の骨と思しきものが、至る所に散乱していた。 茫然自失といった体のネイルに、 「どうだ。美しい眺めだろう」 皮肉な声がかかった。 「…あ……。すまない……。案内を乞うたのはわたしなのに……」 「嫌なら今からでも引き返すが?」 ネイルは首を振った。ピッコロと、自身に言い聞かせるかのように。 「そんなことはしない。 わたしはおまえが生まれ育った場所を見たい」 「物好きな奴だ」 ピッコロは笑った。が、その声から先刻の皮肉な色合いは、幾分薄れていた。 「それならついて来い。こっちだ」 相手の言葉に、ネイルは従った。 小雨の降る中を並んで歩きながら、ネイルは口を開いた。 「…ピッコロ」 「なんだ」 「ここにおまえ以外の住人はいるのか」 「今いるのはオレだけだ。 先住者たちの手記を見ると、嘗ては忌人たちが集落を形成していたようだが。いつぞやキサマが話してくれた、90年前の異常気象とやらで、死に絶えたようだ。 まあ、手記から判じる限りでは、自分たちをこの辺境の地へと追いやったナメック星人らの集落を襲い、物品を略奪することでどうにか生き永らえていたような連中だからな。死に絶えたところで、どうということはあるまい」 「……それならおまえは、ずっとここで一人か。幼い頃からずっと」 「それがどうした」 相手を見やりもせず、ピッコロは答えた。 「いや……」 ネイルは口ごもった。今ほど己の口下手を呪ったことはなかった。 ややあってピッコロは、ある建物の前で立ち止まった。 それは周囲に林立する廃墟に比して一際大きく、風雨のため半ば以上崩れかけているが、外壁や窓辺に施された細工、装飾なども精緻なものであった。 「…他の建物とは雰囲気も規模も違うな」 「先住者たちがナトス神の神殿として建てたものだからな」 「…ナトス神?」 「知らんのか。 夢の神ポルンガへの憎悪、ナメック星の破滅、そして殺戮を象徴する、血と呪いと闇の神だ。先住者たちが崇拝していた」 「……………」 絶句した。忌人らの心に宿り、渦を巻く、同胞たちへの憎しみ、呪詛の壮絶さを、今更ながら実感した思いだった。そして、彼らの負の激情がピッコロの心に投げかけたであろう翳りを思った。……胸がじわりと痛んだ。 そんなネイルの思いに拘泥せず、ピッコロは呪文を唱え、「神殿」の扉を開いた。 湿気と黴のにおいが、ネイルの鼻を打った。 無闇と高い天井、広い壁面や床を走る亀裂―――そうしたものがぼんやりと目に入ったが、曇天のせいだろう、物の輪郭こそ辛うじて認められるものの、その細部の判別までは難しかった。 「明りがいるな」 言い、足を踏み入れたピッコロだが―――。 ―――がしょっ。 その足元で生じた、何かもろく軽いものが崩れる音を聞き、 「チッ」 忌々しげな舌打ちをした。 ネイルが件の音の生じた個所を見やると、薄い茶褐色の球状のもの、細長い棒状のもの、それぞれの山があり、そこからピッコロが崩したと思しきものがいくつか、床に散っていた。 「ピッコロ」 「なんだ」 「この神殿は墓所の役割も兼ねていたのか」 「…そうかも知れん。 が、何故そんなことを聞くんだ」 「あすこに積んであったもの、あれは、骨だろう」 「まあそうだ。 だがああやって積んでおいたのはオレだ」 「…なぜだ」 「ガキの頃の、ほんの暇つぶしだ。 そこらに無造作に放ってあった骨を、ああして積み上げては遊んでいた」 ネイルは絶句した。黙ったまま、その胸が痛くなるような、陰鬱な、孤独な眺めを思った。 ネイルの思いに拘泥せず(むしろピッコロがそれに拘泥することが稀なのであるが)、ピッコロは手探りで何かを探していた。ややあって、日頃から集めていたと思しい、木々の枝々を小脇に抱え、奥へと歩んで行った。ネイルはその後を追った。 神殿の最奥―――祭壇の傍らと思しいところで、ピッコロは足を止めた。 そして先刻の枝々を無造作に床に投げ出すと、指先に灯した火をそれに点じた。 「……………」 火影が周囲の輪郭を際立たせるにつれ、ネイルの驚愕はその度合いを増した。 眼前の祭壇には、崩れかけてはいるが、ナトス神と思しい巨大な神像があった。その胴体は巨竜に似ていた。否、巨竜の示しうるあらゆる醜悪さ、獰猛さ、冷酷さ、寧悪さが、その体躯を形作っていた。そしてその首から上は――なんとも皮肉なことに――ナメック星人のそれを模していた。その面上にはナメック星人が浮かべうる限りの邪悪さ、残虐さ、醜さが刻まれている。両眼に赤い石が嵌め込まれているのも、その像の禍々しさを、一段と強調していた。 だが今ネイルの言葉を奪ったのは、その醜悪な邪神像ではなかった。 それは文字であった。神殿の壁面、天井はおろか、邪神像の祭壇、ネイルの背丈の倍はあろうかという台座にまで、びっしりと書き込まれ、あるいは刻み込まれた。 ―――この地に棄て去られし者、己をこの地に追いやりし者どもを呪え。 ―――同胞ならぬ同胞に、故郷ならぬ故郷に、呪いあれ。 ―――ナメックの星よ呪われてあれ。 ―――永劫呪われよ。 ―――忌人の呪いよ、この星を滅せよ。 ―――ナトス、我らが神ナトスよ、このただ一つの呪い聞き届け給え。 ―――このただ一つの呪い、叶えさせ給え。 「どうだ、なかなかの壮観だろう」 背後から冷ややかな声がかかった。 「…ピッコロ」 「なんだ」 「この文字は先住者たちのものか」 「他に誰がこんなものを刻む」 「おまえが刻んだ文字はないのか」 「?何故オレがそんなことをしなければならん」 少しほっとした。 だがあの毒炎のような呪詛を目の当たりにした今、自分にはどうしても聞いておかねばならぬことがあるのだと思い直し、ネイルはピッコロの方へと向き直った。 「もう一つ、聞く」 「なんだ」 「おまえも……そうなのか」 「なに?」 「おまえはここで、幼い頃からずっと、一人きりで、この凄まじい怨嗟の文字を見ながら、時を過ごしてきたんだろう」 「そういうことになるな」 「そんなおまえの心に、先住者たちのような、ナメック星、そしてその住人への、呪いの念は兆さなかったのか」 ピッコロがうっすら笑った。 「……オレは他人から指図を受けるのが何より嫌いでな。ましてや呪詛のために一生を費やしろなど、そんな下らん指図に唯々諾々と従う程の、人好しでもない」 「そうか………」 ようやっと兆しかけた安堵に翳りを投げかけたのは、他ならぬピッコロだった。 「と、思っていた……。 キサマに出会うまでは」 「………ピッコロ?」 「ネイル」 闇色の瞳が、ネイルを真っ直ぐに見つめた。 「オレはキサマが好きだ。そして、オレがこんな想いを抱く相手は、キサマが最初で最後になるだろう。オレにはわかる。 が………」 「…なんだ」 「時折、キサマが羨ましく、いっそ妬ましくもなる。 キサマの持つ温かさ、優しさ、朗らかさ、己を偽れない一途さ―――そういったものは全て、オレが持ち得ていないものだ。キサマはそういった性質を、ナメックの村人、長老や最長老とかという連中とともに培ってきたのかと思うと―――オレの境遇の惨めさが思われて、やり切れなくなる。 それに、お前と共に時を過ごし、別れる間際にも思う。―――キサマの帰る先は、キサマの存在を受け容れ、共にあることを望む連中のいるところだが、オレの帰る場所はここしかない、ここなのだと。待つ者はおろか、誰もいない、忌人の地なのだと。 そんなことを思うとオレは、キサマが妬ましくなる。そしてここに刻まれた愚かしい呪詛の言葉に、わずかだが引き寄せられそうな気がしてくる」 「………………」 ネイルは黙っていた。 言うべき言葉が見つからなかった。いつぞやの最長老の警告が、脳裏をよぎった。己とピッコロの間に立ちこめる暗雲―――それを呼び寄せたのは、他ならぬ自分なのだと思った。 己の存在を、ネイルはいっそ呪わしく思った。―――その思いはだが、唐突に断ち切られた。 ピッコロがその身をネイルの眼前に投げ出し、両腕を背に回してきたので。 ネイルは相手の背にそっと手を置いた。それは小刻みに震えていた。 「…ピッコロ」 「わ、忘れて…くれ。 オレは今、キサマにひどいことを、聞くに耐えんことを言った。どうかしていた。キサマに忌まれ、キサマの姿を見ることが叶わなくなったなら、オレは……オレはどうしていいかわからんというのに。 あ、謝ったところで許されるものではないが、忘れてくれ。どうか………忘れ…」 「…わかった」 「……ネイル」 「わかったから、泣くな」 ネイルは穏やかに言った。彼自身の声も震え、目縁も濡れてはいたが。 「おまえの話を聞いていて思った。 もしわたしがおまえと同じ状況下におかれたなら、やはり相手を愛しく思うと同時に、妬ましさを抱くことだろうな。それは当然の感情だ。人の心は、美しい思いばかりで作られているわけではない」 「…ネイル」 「……偉そうなことを言ったが、落ち度はわたしにある。 村、そこに住む人々、その人々と共にする生活………そうしたことをいささか無神経に、おまえに話し過ぎてしまっていたからな。 …わたしの話を無邪気に聞いてくれるおまえを見るのが、嬉しかったとはいえ」 ピッコロは首を振った。 「キサマは悪くない。 それに、キサマさえよかったら、これからもキサマの村、そこでの生活のことを話してほしい」 ネイルは微笑し、相手を抱く腕に力を込めた。 ピッコロは仕草こそ素っ気ないが、することは行き届いている。 敷物代わりの分厚な布、自身がまとっているのと同じ白いマントを放って寄越した。それから部屋の片隅の水瓶から、汲み置きしてあった水を汲んで来、その器をネイルに差し出した。 落ち着いたところで、ネイルは問うた。 「ピッコロ」 「なんだ」 「おまえはいつもこの部屋で寝起きをしているのか」 「まあそうだ」 「怖くはないのか」 「もう慣れた。 そんなことより、ここには色々と興味深いものがあるからな」 「興味深いもの?」 返事代わりに、ピッコロは何やら聞きなれぬ――古代ナメック語と思しい――呪文を口にした。途端、背後の壁を覆っていた褐色の帳(とばり)が開き、古色蒼然たる、だが膨大な書物の背表紙、数多の石版、木版―――そういったものがずらりと並んでいるのが見えた。 「……………」 「大半は、先住者がナメックの村から強奪してきたものだ。先住者自身の書いたものも、いくらかはあるが。 ここにも一冊ある」 言い、手近にあった、古めかしい書物を一冊、ピッコロは差し出した。 それを受け取り、中を見たネイルは驚いた。古代ナメック語で書かれていた。 年若ながら、最長老や長老の傍らに侍り、接することの多いネイルは、彼らから古代ナメック語の手ほどきを受けていた。それ故ネイルの古代ナメック語の知識水準は、同年代の同胞の中では一番―――否、長老たちのそれに準ずるものだと言っても過言ではない。 そんなネイルでさえ、否、ひょっとしたら長老たちでさえ、読解が容易でない書物であった。今ピッコロが、無造作に差し出したのは。 「ピッコロ」 「うん?」 「おまえにはここにある書物が読めるのか」 「まあ、大体はな。 少なくとも、今キサマに手渡した程度の本くらいは読める」 「誰に読み書きを教わったんだ?」 「誰にも教わってはいない。さっきも言ったが、オレはここでずっと一人だ」 「なら何故………」 「オレにもわからん。 が、初めて書物を手にした時、その文字の持つ音が、言葉の意味が、すんなりと頭に流れ込んできた―――それだけは覚えている。 …これはオレの勝手な解釈だが、これも忌人の特質の一つなのかも知れん。それ故にナメック星人から忌まれる、一つの」 「なぜだ?」 ピッコロはうっすら嗤った。 「生まれながらにして常軌を逸した戦闘の才覚を有し、なおかつ誰から教えられることもなく難解な言語を解する、かつその性残忍粗暴な者とあっては、忌避されるのが当然だろう」 「…すまん。悪いことを聞いた」 ネイルの謝罪をピッコロは聞き流し、 「こっちへ来たらどうだ? キサマ程度でも読める本をオレ様が見繕ってやろう」 ネイルは苦笑した。 ピッコロは不機嫌この上ないといった面持ちで寝床に横たわり、肘枕をついていた。 無理もなかった。 ピッコロが書物を手渡すや否や、根が生真面目、知識欲の極めて旺盛なネイルは書物に夢中になり、書物を渡してくれた本人への応対はすっかりお座なりなものになったので。 「……ネイル」 「うん?」 「それがそんなに面白いか」 「ああ。ナメック星の史書の類、ナトス神の起源や崇拝史、古代ナメック語で書かれた法令の類も興味深いが、ここの先住者たちの手記―――ナメック星人と彼らとの争いを綴った手記が最も興味深い。これまでは伝承でしか聞いたことのない彼らの姿が、浮き彫りになって見える。実に貴重な書物だ」 「…それをキサマに貸してやったのは誰だ」 「おまえだ」 「それなら、このオレに対するキサマの今の態度に、何か疑念は湧かんか」 「いや別段」 「ぶっ殺すぞ、キサマ!!」 「わかった。だがちょっと待ってくれ、今この章段のこの一文を読み終えてからにしてくれ。……ああ、そうだったのか…。なるほどな……」 「あ〜〜〜〜〜〜〜〜勝手にしろ!!アホンダラ!!オレはもう寝てやる!!」 この場合大目に見て然るべき反応を示し、ピッコロはネイルに背を向けた。 ネイルは少しばかり呆気にとられたが、すぐさま書物の世界に没頭し始めた(このくだり書いていて、作者はピッコロへの同情を禁じ得ない)。 ややあって件の書物を読み終えたネイルは、次なる獲物を探し始めた。そんなネイルの視線が、あるものの上で止まった。 それは色あせ、縁も丸くなり、手触りも荒くもろくなった紙の束だった。誰かの手記と思しいそれは、右上部に小さな穴が穿たれ、糸で閉じられているのだが、その糸はまだ新しかった。…ピッコロが書いたものだ。 そう思ったネイルは、その手記に目を通し始めた。手記、と最初ネイルは判じたのだが、読み進めるにつれ、それはピッコロが幼い頃から綴っていた日記なのだと気付いた。 ―――誰の姿も見えず、声も聞かぬこの土地にいるのが、どんなにか心細くて淋しいかということ。 ―――飢えと渇きに耐えかねて、腐臭漂う泥水を飲んだこと。 ―――雨と風の烈しい夜に、怯えて泣いていること。 ―――何故自分がたったひとりでここにいなければならないのか、人を呪って生きなければならないのかということ。 ―――ナメック星人の村落に足を踏み入れ、石を投げつけられたこと。 読み手であるネイルの胸が痛くなるような出来事が、幼い文字で綴られていた。頁を繰るにつれ、その文字は巧みな、端正といっていい程のものになったが、綴られている内容の痛ましさは、相変わらずだった。 …先刻書物に夢中になるあまり、ピッコロにとってしまった態度を、ネイルは悔い始めていた(もう遅いが)。 そしてその日記は、ある一文を以て唐突に中断されていた。 ―――オレがここでこんなものを書き綴ったところで、オレの運命も、忌人の定めも、何一つ変わりはしない。だから書くことはもうやめる。 ネイルの顔が歪んだ。 空白の頁が続いた後、だが日記は突然再開されていた。そこに思いがけない文字を見出し、日記を握る手に、ネイルは知らず、力を込めていた。 そこにはこうあった。―――ネイル、と。 ×月×日 今日は妙なナメック星人に会った。名前をネイルといった。 会った時はひどい怪我をしていた。見殺しにするのもしのびなかったので、近くの洞穴に運んで手当てをしてやった。 すると恩返しがどうとか、わけのわからんことを言ってきた。さらにわけのわからんことだが、オレの名前を聞いてきやがった。ないものは仕方がないので「ない」と言ってやった。ついでに忌人だということも言ってやった。 オレが今まで会ってきた奴らなら、ここで逃げ出すか、オレを追い払おうとするかのどちらかなのだが、このネイルとかいう奴は違っていた。まだオレの名を聞いてきた。オレは困ったが、とりあえずここの扉を開閉させる呪文、オレが生まれて初めて覚えた言葉でもある「ピッコロ」だと名乗っておいた。 このネイルとかいう奴だが、つくづく変わった奴だと思った。そんなことを考えていると、なんだかこいつとこのまま会えなくなるのは惜しいような気がしてきた。すると奴がまたしても、恩返しがどうこう言ってきたので、じゃあ恩返しにオレに会いに来いと言ってやった。 断られるかと思ったが、奴は承諾してくれた。のみならず、別れ際にオレの肩に触ってくれもした。人から触られるのは初めてのことだが、悪くはなかった。ネイルは本当に変わった奴だと思った。 明日が楽しみだが、ネイルが本当に来てくれるのか、正直に言うとかなり不安だ。 ×月×日 ネイルはやはり変わった奴だ。 オレのような忌人との約束を守ってくれた。のみならず、オレと話をしてくれた。 なんだかよくわからんが、アジッサとかいう植物について教えてくれた。毒茸の傘の色(うすむらさきというそうだ)、空の色、雲の色をした花を咲かせる、綺麗な花なのだそうだ。見てみたいと思ったが、忌人のオレには叶わんことだ。 それからネイルは、オレが寝ている間、肩を抱いていてほしいと言ったら、その通りにしていてくれた。だがこのオレ様の寝顔を「あどけない」とか「無邪気」だとか言うのは、いらんお世話だと思った。 ネイルは変わった奴だが、顔の造作は悪くない。いや、ありていに言えば美丈夫だ。だからオレはネイルの顔が好きだ。だがネイルの顔に傷がつくのは嫌いだ。オレがそう言ったらネイルは、オレの顔が自分に似ていると言った。オレは嬉しくないこともなかったが、ネイルの言葉とはいえ、それを信じることが出来なかった。 オレは忌人だ。そんなオレの顔がネイルのようである筈がない。 ×月×日 ネイルは変わっている。どこまで変わっているのか、もはやオレ如きには見当がつかん。 オレの顔が精悍で美しいことを見せたいからと、鏡を持ってきた。オレがそんなことは信じられんし、鏡も見たくないと言うと、ここには到底書けないようなことを持ち出して、オレ様を脅迫してきやがった。 仕方がないので鏡を見ると、ネイルの言う通りだということがわかった。ネイルの方がオレより、少しばかり美形であるという違いはあったが(あくまで少しばかりだ)。しかしながら、この鏡というのは便利だと思った。オレとネイルは満更似ていないわけでもないから、オレが鏡を持ってさえいれば、ネイルと離れている時でも、鏡を見てネイルを想うことが出来るからだ。 オレがそう言うと、ネイルは鏡をオレにくれるといった。オレは断ったが、奴はオレに、鏡を持っていてほしいと言った。自分にとって、オレは忌人じゃないとも言った。自分の一番の望みは、オレと共にあることだとすら、言ってくれた。 オレはこんな性質(たち)だから、オレの一番の望みもネイルと同じだということを、言いそびれてしまった。いつか必ず言おう。 ―――日記の最後の頁を読み終えたネイルは、知らず微笑していた。その笑みはネイルが未だ嘗ていかなる同胞にも――限りない尊崇と敬愛を捧げる最長老にも、その無邪気さを愛でている幼いデンデにさえも――見せたことのない、穏やかな、優しい、情愛に溢れたものだった。 日記をそっと傍らに置くと、ネイルは己に背を向けて眠っている、ピッコロの傍らに近寄った。小さくはあるが、規則正しい寝息をたてているピッコロを起こさぬようにして、ネイルは同じ寝床に身を横たえた。そしてその広い背にそっと腕を回すと、目を閉じた。 「おい起きろ、キサマいつまで寝ている」 ぶっきらぼうな声と、ほおを軽くはたかれる感触で目が覚めた。 「ああ…」 「ああ、じゃない。もう村へ帰る時間じゃないのか」 「……そうだ」 「なんだ、まだ寝惚けているのか。 このオレをそっちのけにして、カビくさい書物なんぞに夢中になっているから、そういう醜態を晒す羽目になるんだ」 「ピッコロ」 半身を起しながら言った。 「なんだ」 「わざわざ起こしてくれたのか。すまんな」 「…フン」 ピッコロは言い、かすかに血の色をさしのぼらせた顔を背けた。 ネイルは小さく笑うと、身支度を整え始めた。―――すると、声がかかった。 「…ネイル」 「なんだ」 「………また来てくれるか」 「なにがだ?」 「……オレがキサマを誘ったなら、またここへ来てくれるか?」 「無論だ」 「ほんとうか?」 「ああ。 ここには興味深い書物がたくさんあるからな」 「はったおすぞ、キサマ!!」 ネイルは笑って、ピッコロの肩を抱いた。 「なにより、おまえがいる」 「…それを先に言え」 居心地悪気にそう呟いた相手の唇に、ネイルは唇を重ねた。 ピッコロは一瞬目を見開いたようだったが、この間のような抗いはしなかった。 ―――柔らかな雨音が、二人の耳を打った。 ピッコロとの再会を約し、「闇と雷鳴に狂わされた者たちの棲まう地」を後にしたネイルを待ちうけていたのはだが、思いもよらぬ事態だった。 地へ降り立ったネイルはまず、村の出入り口に佇むマイマ長老、副長老格のメマ、リヤから、射るような視線を投げかけられた。 重苦しい沈黙を、マイマ長老の氷刃のような言葉が切り裂いた。 「ネイル……。お前には失望したぞ。 忌人の地に足を踏み入れるとはな……」 「…は…」 「いい気なものだな、ネイル」 副長老メマの口調もまた、マイマ長老のそれに劣らぬ、鋼の冷ややかさを有していた。 「お前が彼(か)の地で忌人と睦み合っている間に、我らは同胞(はらから)を一人失ったのだぞ」 「!!それは……一体……誰が…」 「ネイル」 マイマ長老が言った。冷ややかに。 「ともかく、裏山の『ポルンガの泉』で、その身を清めて来い。 忌人の汚濁をまつわりつかせた者には、『死の祭り』に加わることは無論、村へ足を踏み入れることも許されんからな。 …くわしい話はそれからだ」 ………重苦しい足取りで、ネイルは裏山へと向かった。 つづく。 [*前へ][次へ#] [戻る] |