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小説
With.
  With.

 眼(まな)裏(うら)で夢のように煌めく朝の陽光。そして心地よい眠りの名残に未だ身を浸している己の耳に、これまた夢のように響く、最愛の妻の声。
 
―――というのは、ネイルの主観であって。
 客観的に状況を見るならば、実に実に幸せそうな寝顔で寝台に横たわるネイル。…の傍らに、その2メートルは優に越えようという長身に常のマント、道着をまとい、三白眼を怒りでらんらんと光らせ、徐々に募りゆく苛立ちを内包した声をかけ続けるピッコロ。
「…おいキサマ、さっきから何回、オレ様に同じことを言わせやがる。
 さっさと起きろ」
「…ん〜?……うむ…」
「これが最後の警告だ。さっさと起きろ。
 さもなくばその腑抜けた顔面に、拳を叩き込むぞ」

 新婚夫婦の朝のやりとり…というよりは海軍士官学校のそれを彷彿とさせる会話であるが、事ここに至るまでのピッコロの努力は、それなりの評価を得てもいいものであった。
 結婚式の日取りが決まるや否や、ピッコロは仲間たちの配偶者―――すなわち、チチ、ブルマ、18号らの許を訪ない、「妻たるものの心得」「妻たるもののなすべきこと」について、真剣に教えを乞うたのだった。…それがプライドの高いピッコロにとって、文字通り「血の滲む」ような行為であったことは、言うまでもないが。
 そうして得た情報から、ピッコロは己に出来そうなこと、己とネイルの生活に必要なことを取捨選択し、実践にうつしているのである。
 そしてその「実践にうつしていること」の一つが、「夫より早く起き、夫を優しく起こす」というものだった。
 その筈だったのだが………。

『いいか、ピッコロさ。夫より遅くまで寝てるちゅうことは、妻として恥ずべきことだぞ』
『…そ、そうなのか』
『んだ。
妻たる者、いついかなる時でも夫より早く起き、身支度を整え、それから優しい言葉をかけて夫を起こす―――妻として先ず心得ておくべきことは、これだべな』

 かくも罪作りなアドバイスをピッコロに寄越したのはチチでる。

『そうねー、私もなんだかんだ言って、ベジータより遅く起きたことは殆どないわね。
 ベジータが起きるよりも早く起きて、着替えとお化粧を済ませて、それからベジータを優しいキスで起こしてあげるの』
『……そ、そんなことをしているのか』
『そうよー。ベジータも文句は言うけど、やめろって言ったことは一度もないから、内心では喜んでるんじゃないかな』

 かくも罪深いアドバイスをピッコロに寄越したのはブルマ。

『そうだな。アタシもクリリンより遅くまで寝てたことはないな。
 クリリンよりも早く起きて着替えや何かをすませてだな、それからクリリンを起こす―――まあ、日課みたいなものだな。
 まあ、クリリンがあんまりにも起きない時には、多少手荒な真似をすることもあるが』
『…そ、その手荒というのはどの程度だ』
『頬に多少手加減をした一撃を喰らわすとか、まあその程度だ』

 新婚後のネイルの不幸な運命(ネイル自身は特に不幸と思っていないのだが)は、18号のこの言葉で、半ば決まった…と言っても過言ではないだろう。

 閑話休題(それはさておき)
これらの女性連の発言も十分に罪作りと言えば言えるが、それを真面目、律儀に受け止め、忠実に履行しようとしたピッコロの決意も、ある意味罪作りなものであった。
生まれてからすぐの過酷な放浪が、父親譲りの激しい気性に拍車をかけたものか。常はともかくとして、怒り、苛立ちに駆られている時のピッコロの言葉には、比喩、掛け値の類が一切ない。すなわち、激怒した際にピッコロが「ぶっ殺す」と言えば、その直後には――結果はどうあれ――相手の殺害を意図した行動を起こすのである。
こうした気性の持ち主が、あのような助言を忠実に履行しようとしたならば―――それにより出来する惨状の程は目に見えている。
…そうした経緯を経て、結婚して日はまだ浅いながらも、最愛の妻の行動パターンを熟知している(というより、せざるを得なかった)ネイルである。
ピッコロの「最後の警告」が文字通り「最後」のもの、最悪の場合は自分にとって「最期」のものになりかねないと判じたネイルは、身を起こそうとしたのだが。
最愛の妻の天使のように愛らしい(とネイルには見える)顔が視界に飛び込んでくるや否や、彼の心には一抹の欲望が兆した。
「わかった。起きることにする。
 だがその前に、キスをしてくれ」
 ピッコロが明らかに周章した。
「…キ、キス……だと……?」
「そうだ。ブルマもそうやって師匠を起こしていると言っていたのだろう。
 先達の言うことには従うべきだぞ」
「……わ、わか…った」
 しばしの(ピッコロにとっては身を切られるような)沈黙の後、ぎこちない仕草でピッコロはネイルの頬に、おずおずと唇をつけた。
 しかしながら、ひとたび暴走を始めた「欲望という名の列車」は、そう容易には止まらないもののようである。
 覚えずゆるめかけた頬を、ネイルは鹿爪らしく引き締め。
「ピッコロ」
「…なんだ」
「おまえ、何か勘違いをしていないか?」
「勘違い?オレがか?」
「そうだ。
 ブルマは師匠を『優しいキス』で起こしていると言ったんだろう。そして『優しいキス』と言えば、唇にするものと相場が決まっている」
「……………」
 理屈と膏薬はつく所につく、と言うが、えらい理屈である。
「…つまり、なにか」
「なんだ」
「キサマはその……オレにもう一度、キ、キスを…しかも今度は唇にしろと……こう言っている…のか?」
 その通りだと、ネイルは厳かにのたまった。
「ついでに舌も入れてくれ」
 次の瞬間、ネイルの唇に触れたのはだが、最愛の妻の唇ではなくて、とてつもなく重い鉄拳であった。
 寝台から文字通り「叩き出された」ネイルに、ピッコロの腹の底からの怒声が降りかかった。
「朝っぱらから調子にのるなッ!!このアホンダラ!!」

 ピッコロの怒りはその発露が凄まじい分、いつまでも尾を引くということはない。打たれた頬に片手をあてがいつつ、床から身を起こしたネイルに、
「さっさと身支度をしろ。服はそこに置いてある」
 言い、二人の居間兼食堂になっている隣室に姿を消した。
 ネイルが寝台の脇のサイドテーブルを見やると、ピッコロが魔術で出したのだろう、ネイルが常にまとっているものと同じデザインの――だが真新しい――衣服が、きちんと畳んで置かれてあった。
 打たれた頬が鈍く痛むのも構わず、ネイルはその顔を緩めた。
 隣室からは、ピッコロが二人分のグラスに水差しから水を注いでいると思しい、清涼な音が聞こえた。
 程なくして二人は、居間のテーブルをはさんで向かい合っていた。
 ピッコロとネイルが結婚したのを機に、その恋人時代から、二人に細やかな心配りを怠らなかったデンデは、神殿の母屋から少しく離れた一隅。そこにある比較的大きな二部屋を、夫婦の新たな住まいとして提供してくれたのである。
 先に述べたように、衣服の類は洗濯する代わりに、ピッコロの魔術で新しいものを出し、古いものは消す。食事は基本的に水しか摂らない…といった生活形態の二人に、この住まいは十分すぎる程の広さを有していた。
 そしてこの快適な住まいで、二人は朝、昼の食事を共にし、夕食の際はデンデの許を訪なうというのが、日課になりつつあった。
「それで」
 グラスのよく冷えた水を飲みほした後、ピッコロが口を開いた。
「キサマ今日は、どうやって過ごす心算だ」
「…そうだな」
 ネイルが、これまた空になったグラスをテーブルに置いた。
「書庫で目録作りにとりかかろうと思う。
今手をつけている項目の書物が、なかなか興味深いものばかりなのでな。つい熱が入ってしまう。
おまえはどうする気だ?」
「キサマがその心算なら、午前中は前庭で瞑想をして過ごすか。
下界に修行に出かけたなら、昼飯の支度が遅れるかもわからんからな。そんなことになればキサマだとて、面白くはないだろう」
 ネイルが小さく笑った。
「…なんだ」
「なにもわたしの為に、おまえの行動をそう制限することもあるまい。昼食の支度ぐらい、わたしにも出来る」
 ピッコロが精悍に整った顔をしかめた。
「しかしチチが言っていたぞ。―――夫の食事の支度をするのは、そのつ…いやその、は、配偶者の役目だと」
「おまえは相変わらず、生真面目というか律儀に過ぎるな」
「…悪いか」
「いいや。そんなおまえだからこそ、わたしは妻に迎えたいと思ったのだからな」
「…褒めるかけなすか一つにしろ。
 それからオレをやたらと妻呼ばわりするのは止せ」
 ネイルが闇色の双眸を瞬いた。
「…何故だ?
 デンデの前でわたしの妻となってくれることを誓ってくれただろう」
「あ、あの時はそう言ったかも知らんが!
 が、二十数年来、地球で言うところの『男』だと思って、オレは生きてきたんだぞ。婚礼の儀でほんの数回『妻』と称するのと、日常生活で『妻』扱いされ、そう連呼されるのとでは、ワケが違うっ!」
「…ピッコロ」
「…なんだ」
「やはりおまえは可愛いな。最高に可愛い」
「ぶっとばすぞキサマ!!」
 その顔のみならず首筋にまで血の色をさし上らせ、向かいにいる夫に怒声を浴びせるピッコロ。
 …を、軽くあしらうネイル。
「わかったわかった。それで、さっきの話に戻るがな」
「う…む……」
「妻としての心得を念頭に置いておくのはいいことだが、それに拘泥するあまり、おまえがやりたいことをそう控えることはなかろう。
 ……おこがましい言い方かもしれんが、わたしはおまえに幸せにしてもらう心算もないし、独力でおまえを幸せにしようと、いきがっている心算もない。
 二人で幸せを培ってゆきたいと、こう思っている。それにはどちらか一方の為、一方が自分の望むことを犠牲にするなど、必要のないことだ」
「………………」
 ピッコロは少しの間黙っていた。
 が、グラスにもう一杯水を注ぎ、それを飲み干すと、言った。
「別にオレは、キサマの為に自分を犠牲にしているとは思わん。
 昼の支度も、オレがやりたいから好きでやっていることだ」
「そうか………」
「うむ」
 ネイルの穏やかな瞳が、ピッコロを見つめた。
「…なんだ」
「いや…。
 やはりおまえはわたしの最高の妻だと、そう思ってな」
「…そんな言葉をよく、臆面もなく言えるな」
「本心を吐露するのに、臆する必要などあるまい」
「か、勝手にしやがれ!」
「わかったわかった。
 が、ピッコロ」
「…なんだ」
「おまえにやりたいことがあるのなら、それをわたしの為に抑える必要はないんだぞ。
 何度も言うが、昼の支度ぐらい、わたしにも出来るのだからな。それにおまえが支度をしてくれると言うのなら、その時間が遅れたところで、何とも思わん」
「…フン」
 照れと肯定が入り混じったような返答をし、ピッコロはネイルのグラスに水を注いだ。
 ネイルが微笑した。

 それからネイルは、ピッコロに告げた通り、神殿の書庫に閉じこもった。
 書物の独特の匂い、虫除けの為の白檀の香の匂いに包まれ。明りとりの窓から差し込む、金色の縞模様のような陽光に照らされ。古色蒼然たる書物の頁を繰り、そこから目録作りに必要な情報を控えてゆくという作業を行うことは、ネイルにとって文字通り「至福の」一時であった。
 気付けば窓から差し込む陽射しは、燦然たる昼間の陽光に変わっていた。
 ―――このままではピッコロとの昼食に遅れる。
 そう思ったネイルは、手にしていた書物を閉じようとした。
 書物をこよなく愛し、その価値を熟知しているネイルである。どんなにか目録作りに熱中している際であっても、書物を汚すことを恐れるあまり、食事を書庫でとることは、絶えてない。
 …もっとも、書物以上に妻たるピッコロを愛するあまり、そのピッコロと共有する時を大切にしたいという思いがネイルの心底にあるのは、言うまでもないことだが。
 閑話休題(それはさておき)。
 立ち上がりかけたネイルの背後から、すらりとした長身の影が落ちた。すぐさま降り返った。
「昼飯の時間だぞ」
「…ああ。
 すまない。わざわざ来てくれたのか」
 隠そうとしても隠しきれぬピッコロへの愛しさが、その声音に滲んだ。
 ……前生のピッコロを己が手で殺め、だが他ならぬピッコロが最期に遺した「約束」の為、死ぬことは叶わず。ともすればその精神が狂いへと奔りかねない程、孤独と絶望に充ちた時を過ごしてきたネイルである。
 そんな己が今、最愛のピッコロを誰はばかることなく伴侶に迎えることが叶い、愛し愛されるという、夢のような幸せの中にいる。
 それを思うとネイルは、ピッコロの細やかな心遣いの一つ一つが、嬉しくて仕方ないのだ。
 そしてそうしたネイルの思いは無論、ピッコロとて熟知している。ピッコロとて無論、それが嬉しくなかろう筈はない。
 のだが………。
 それを素直に表現出来ないのが、前生も今生も変わらぬ、ピッコロのピッコロたる所以と言えようか。
 とまれ、今回もその伝の、照れ隠しの為であろう、
「…フン」
 頬に少しく血の色を上らせ、ネイルが積んでおいた手近の本を一冊、無造作に取り上げた。
 が、元来が知識欲旺盛なピッコロのこと。気まぐれで手にしたその書物に向けられる眼差しが真剣味を帯びてくるのに、さほど時はかからなかった。そして惚れた欲目以外の何物でもないのだが、そんなピッコロの表情を美しいと思うネイル。
「…『東方葬列考――涙に関する伝承を中心に――』か。
 キサマは目下のところ、これを目録に加えることに血道をあげているのか」
「ああ。なかなか興味深い書物だ。
 もっとも、目録に必要な情報は控えてしまったのだが、つい中身に見入ってしまってな」
「フン…。
 少しく面白そうな本じゃないか」
「おまえも読んでみるといい。損はしない」
「気が向いたらな。
 だがオレとしては、キサマからあらましを聞く方がいい」
 言い、ピッコロは床に胡坐した。ネイルの話を聞く構えと見ゆる。
 ネイルは微笑した。陽光が飛び散り、その飛沫が辺りを煌めかせるかのような、そんな微笑だった。
「…ピッコロ」
「うむ」
「ナメック星の葬儀が、『死の祭り』とも呼ばれ、陽気とはいかぬまでも、明るい雰囲気の中で行われること。死者を思って流した悲しみの涙は、死者の魂がポルンガの許へ赴く際の妨げになると信じられている為、葬儀で涙を流すことをよしとせぬ風潮があることは、知っているな?」
「知っている」
「…この本は、ナメック星の葬儀に、ひいてはその根底にある思いに類似した伝承が、この星の東の地方にあることを語っている」
「…ほう」
 言い、ピッコロが少しく身を乗り出した。ネイルはピッコロの、こうした仕草が好きだった。
「…たとえばこの頁のこの話だ。
 東方のある村に住む女が、一人息子を病で亡くした。母一人子一人であった為だろう、女は昼も夜も泣き暮らし、息子の死を受け入れることが出来なかった。思いあまった女は、村はずれに住まう、まじないを能(よ)くするという老婆に、息子と一目会わせてくれるよう頼んだ。老婆は、真夜中に雄鶏を一羽たずさえ、墓所に行くようにと告げた。
 女はそれに従った。真夜中の墓所には死人たちが、青ざめ、陰鬱な形相のまま、無言で集っていた。不思議なことにはどの死人も、手に桶を抱えている。中には水と思しきものが入っているのだが、その量は死人によってまちまちだった。ややあって女は、息子の姿を見つけた。息子は両手に余る大きさの桶を抱えており、そこには縁すれすれまで水が溜まっていた」
「…フン」
「息子は女の姿を認めるや否や、青ざめたすさまじい形相のまま、そのあとを追ってきた。恐ろしくなった女は、とっさに上衣を脱ぐと、それを息子に放った。息子は躊躇せず、それをずたずたに引き裂いた。
 女はいよいよ恐ろしくなり、一目散に逃げ出した。が、息子もまた足を速め、あとを追ってくる。あわや、という時に、女が手にしていた雄鶏が鳴いた。それを夜明けを告げる鳴き声と解したのか、息子の姿は消えた。
 夜が明けるや否や、女は老婆の許を訪れ、一部始終を話した。すると老婆は、息子が持っていた桶を充たしていたのは、その死を嘆くあまりに女が流した涙であること、それが為息子は、地を彷徨う亡霊になっていることを告げた。
 それから程なくして、件の女も死んだ」
「…フン」
「…またこの頁には、夫を亡くして泣き暮らしていた妻の許にその亡霊が現れ、妻の涙が大河となり、冥府へ向かう己の妨げになっていることを告げる話が載っている。
 つまり、この星の東の地方においては、遺された者が死者を思い、悲嘆のあまり流す涙は、その死者の死後の浄福の妨げとなる…という考えが、根強くあるのだろうな」
「成程。
 先にキサマが言った通り、涙は死者がポルンガの許へ赴く際の妨げとなるというナメック星の伝承と、よく似ているな」
「…ピッコロ」
 ネイルの闇色の瞳が、その最愛の伴侶を真っ直ぐに見つめた。
「…なんだ」
「何故この二つの星には、類似した伝承が代々伝わっているのだと思う?」
 ピッコロが鼻を鳴らした。
「…先代の神のヤロウが、地上にいた時分、この星の奴らに触れて回ったんじゃないのか?」
「それは違う。
 先代はナメック星からユンザビット高原に降り立った際、その衝撃で故郷の記憶を失っていた筈だ。
 かてて加えて――これはミスター・ポポから聞いた話なのだが――この書物は先代が神となる以前から、この神殿にあったのだそうだ」
「…フン」
 ピッコロが考える面持ちになった。
「すると先代のヤロウが神になる以前――ナメック星が異常気象に見舞われ、科学技術とやらを捨て去る以前――に、この星を訪れたナメック星人らがいて、地球人とナメック星人とは、民間のレベルで交流があった…とは考えられんか?」
 ネイルが微笑した。
「わたしもおまえと同じことを考えている。だが、それを裏付ける資料がまだ見つからないんだ」
「フン…」
 金色の縞模様さながらの陽光に、束の間視線を泳がせていたピッコロ。
 が、じきにネイルに向き直ると。
「…あるいはこうも考えられるな。
 地球とナメック星との間に、交流はなかった。
だが、死者のことだけを思い、悲嘆の涙を流しながら日を送ることに、一種の罪悪感を感じるという考えは――オレは他の星のことを知らんから断言はできんが――ある程度の文明水準を有した連中の間では、ごく自然に発生する、そして普遍性を帯びた考えだった。それ故、ナメック星、地球にこうした伝承が伝わっており、それらが類似しているのは、偶然の結果であると」
「…一つ、聞く」
「なんだ?」
「おまえのその説はなかなか興味深いし、説得力もあるように思われる。
だが、ナメック星人にせよ、地球人にせよ、死者を思って涙を流すことが、どうして罪悪感につながるんだ?」
ピッコロが、形の良い鼻にしわを寄せた。
「キサマらしくないことを言うじゃないか。
 オレはナメック星の葬儀に参列したことはないが、情誼厚い同胞たちに見守られ、死にゆく者の胸中には、遺された者たちの幸福を祈る思いこそあれ、彼らに己の死を嘆き悲しむ日々を送って欲しいという思いが兆さんであろうことくらいは、想像がつく」
「…………………」
「死者が己に託していった願いを果たしたい。が、死者を思うあまりの涙は、容易に止めることが出来ない。
 そういった齟齬が自責の念を生み、ひいては罪悪感につながるんじゃないのか…っておいキサマ」
 ピッコロの最後の「おいキサマ」は、ネイルがピッコロを抱き寄せ、幼子にでもするかのように、その頭を撫で始めたことへの抗議の声である。
「いや全く。
 おまえは強いのみならず、頭も良い。わたしなどは、戦闘能力、知力のいずれをとっても、おまえの足許に及ばない」
 穏やかな微笑を浮かべるネイル。
 と、頬に血の色をさし上らせながらも、とりあえず説教を試みるピッコロ(その験があったためしのないことは、重々わかっているのだが)。
「…そう思うのなら、暢気なことをほざいていないで、鍛錬を心掛ければいいだろう。
 それから、オレの頭を撫でるのを止めやがれ」
「…ピッコロ」
「だから止めやがれ」
「わたしはおまえに謝らなくてはならないな」
「…人の話を聞きやがれ」
 ネイルが小さく、だがどこか淋しげに笑った。
「……わたしは前生のおまえを殺めて以来、ずっと心を閉ざし、否いっそ凍てつかせて生きていた。
 が、その心境に至るまでは長い年月を要した。それまでずっと、わたしはおまえを思って泣いてばかりいた」
「………………」
「…わたしは済度しがたい愚か者だった。
泣くな、というのは、おまえがわたしに遺してくれた、大切な言葉の一つだったというのに」
「………………」
「ピッコロ」
「……なんだ」
「わたしはおまえを思って、泣き続けてばかりいた。その涙は、おまえがこの星に転生する際の妨げになるのではないか、転生した後のおまえに辛い運命を強いることになるのではないかと―――そう思いながらも、ずっと泣いていた。
 それを謝りたい」
 ピッコロが顔を背けた。ややあって、とってつけたような傲岸な口調で言った。
「キサマが謝る必要はない。
 別段オレは、転生の際にさしたる苦労をした覚えもない。それに転生後のオレが奇妙な運命を背負ったのは、奇妙な転生先を選んだオレの責任だろう。……まあ、なんだかんだで今のオレは、この『奇妙な運命』に満足しているのだがな。
 だから、キサマが謝る必要はどこにもな…」
 ピッコロの最後の一言は、ネイルの唇で塞がれた。
 のみならず肩を抱き寄せられたので、真紅の、そして潤んだ双眸をピッコロは当然見開いたが―――抗いはしなかった。
 しばらくの間、ピッコロとネイルはそうやっていた。
 黄金を砕いたかのような陽射しが、二人を優しく照らしていた。

 時の経つのは早い、という警句があるが、愛し合う者たちにとっては特に、この傾向は顕著なようである。
 二人が昼食を済ませ、その後ネイルは目録作りを再開し、ピッコロは下界へと修行に出かけた。
 そうこうしているうちに夕方になったので、ネイルとピッコロは例によってデンデ――二人の「夫婦」らしさがその度合いを増してきたと主張する――を交え、テラスで夕食をとった。
 ―――そして今。
広々と開け放たれた寝室の窓の外に、これまた果てしなく広がる闇色の夜空。銀の星々。そして琥珀色の月。
 こうしたものを見るともなく見つめながら、ネイルは寝台の上で、気だるい伸びをしていた。爽やかな夜風が、湯上りの火照った体を優しくかすめる。微かな花の香が、鼻腔をくすぐる。
 一篇の美しい物語にもなりそうな一日を過ごし、一幅の絵にもなりそうな眼前の光景、一篇の詩にもなりそうな風物に囲まれつつ、だがネイルは少しく不機嫌であった。
 理由は至極単純明快であり、かつ至極馬鹿馬鹿しい。…最愛の妻が、入浴を共にすることを許してくれないのである。
常は穏やかすぎる程に穏やかで、ピッコロの振る舞いの一つ一つに、細やかな心配りを絶やさないネイルであるが、「例外のない規則はない」という警句通り、俗にいわゆる「色の道」に関する時ばかりは、この紳士的な分別は霧散してしまうようだ。
 風呂場のある一隅から響く水音が、ネイルの眉間のしわを一層深いものにした。
 …もっとも、物事を公平かつ客観的に見るならば、最愛の妻ことピッコロにも正当な言い分はある。
 目下のところ、風呂場で湯に浸かっているピッコロは、寝室のネイル―――その眉間にくっきりと、傷のように浮かぶしわを思い、何度目になるやらわからぬため息をついていたのだった。
これでよくナメック星の最長老、長老連中の護衛兼側近という鹿爪らしい役目が全う出来たものだと思えるほど、ネイルは――ピッコロが言うところの――「不埒な真似」の愛好者であった。
ピッコロとて無論、愛しいネイルとの「不埒な真似」が嫌いというワケでは決してないのだが、ネイルが「不埒な真似」を望む頻度は、少々度が過ぎているように思えるし、少々…否、ありていに言ってしまえばかなり、時と場を選んでいないように思われてならない。
 今日は幸い口づけ程度で済んだ。が、あれは思い出すのも忌々しいが、結婚して程なくの頃のことだ。今日のように書庫で――よりにもよって貴重書が山積みになっている区域で――書物に関する議論をしていた二人だったが、これまた今日のように、ピッコロのなにげない言葉が、ネイルの心の琴線に触れたのだろう。ネイルはやにわにピッコロを抱きしめ、口づけを寄越し、その身を床に押し倒してきたのである。…ばかりではない。
 ―――あ、あのヤロウ……。よりにもよって書庫なんどで、こ、このオレ様の胸を………ッ!
 湯気の立ち込める広々とした風呂場で、ナメック星人特有の短いが鋭い牙を、きりきりと噛みしめるピッコロ。
 …ピッコロを押し倒しただけでは飽き足らず、その道着をくつろげ、胸元をじかにまさぐってきたネイル。このままでは犯(や)られる!と直感したピッコロは、「オレが上になってもいいか」と心にもない提案をし(窮地に追い込まれるとカッ飛んだ言動に走るのだ)、鼻の下を伸ばした夫の上に馬乗りになると、その顔面に正拳裏拳の往復ビンタをかまし、辛くも難を逃れたのだった(代わりに「難」に遭遇したのはネイルだったが)。
 もっとも、ピッコロの災難はこれだけに留まらない。
 ピッコロが入浴をしようとすると、ネイルは必ず行動を共にしたがり、そして必ず風呂場で「不埒な真似」に及ぼうとするのである。
 もっとも、ブルマあたりが聞いたなら、
「あらあらお盛んだこと。いいじゃない、新婚さんなんだから。ピッコロもそのくらい大目にみてあげなさいよ」
 と一笑に付されかねないことではある。
 が、人に弱みを―――ひいては無防備な姿を見せることを潔しとせず。自制、克己が生き甲斐なのかと第三者の誤解を招きかねない程、自制心、克己心が強く。かつ、ネイルと結婚するほんのわずか前までは「不埒な真似」の手順すら、ろくすっぽ知らなかったピッコロである。ネイルの風呂場での「不埒な真似」を「大目にみる」など、警官がその同僚に己の買春行為を「見逃してください」というより、よほど無理な所業なのである。
 …結果、(ピッコロにとって)血の滲むような話し合いを重ねた結果、ピッコロが「不埒な真似」に慣れるまで、入浴は別々にすること。そして書庫は貴重書を保管するのがその本義の場であるので、そこで「不埒な真似」は断じてしないことが決まったのである。
 が、文字通りピッコロを「溺れるように愛する」ネイルにとって、これはいささか不本意な決まりごとであったのは、言うまでもない。
 かくて、寝室のネイルの眉間にしわが刻まれ、風呂場のピッコロは吐息をつくに至ったのである。

 しかしてネイルの眉間のしわであるが。刻まれる理由が極めて単純であると同時に、それが消える理由も実に単純なのである。
 湯上りのピッコロが寝室に入って来た途端、件のしわは霧散し、その頬は明らかに緩んだのであるから―――これ程その心底がわかりやすいナメック星人もないだろう。
 月影を浴びた桜もかくやと思われる、純白に、あるかなきかの薄紅色が混ざった―――そんな色合いの寝巻きを、ピッコロは身につけていた。
派手派手しい色合いの衣服より、落ち着いた、品のある色彩の衣服を好み、またそれが均整のとれた長身の体躯に、よく栄えるピッコロである。
 湯上りの為であろう、常より少しく上気した肌に、淡い桜色のその寝巻きは、一抹の艶美を与えていた。だが、ピッコロが持って生まれた精悍さ、凛々しさの為であろう、桜の艶美よりは品位の方が、その度合いをいや増しているように見える。
 ピッコロのその出で立ちに、ネイルが見惚れているのは言うまでもない。が、それと同時に、己の選んだ衣服が最愛の妻の魅力をこうも引き出していることに関して、ネイルは少しく得意であった。
 …先に述べたように、着替えはお得意の魔術で簡単に済ませてしまうピッコロである。
そんなピッコロにある時、カメハウスのクリリン夫妻の許から借りてきた、ファッション雑誌を見ていたネイルが、
「常の道着もいいが、おまえにはこの服も似合いそうだな」
 となんの気なしに言ったところ、ピッコロは魔術で、それと寸分違わぬ服に着替えたのである。…なんだかんだでピッコロにも、新婚の夫を喜ばせたい、あるいは夫に常の自分と違った姿を見てもらいたい、という気持ちはあるのだろう。
 それに味を占めた…というワケでもないだろうが、目下の所、寝室で「不埒な真似」に及ぶ際の、ピッコロの寝巻きを選ぶのは、ネイルの役目になっている。
ネイルは自分の身なりに関しては、「相手に不快感を与えなければそれでいい」程度の認識しか持っていないのだが、事がピッコロの衣服のチョイスになると、話は変わってくる。数多の雑誌、数多の服のモデルの中から、ピッコロに最も似合うものを、即座に選び出すその有様は、「愛のなせる技」と言うべきか、「愛ゆえの業」と言うべきか。
とまれかくまれ、ピッコロもネイルのそうした手腕は認めているので、ネイルが「これ」と提案した衣服は、大人しく着用に及ぶのが常なのである。
…もっともたった一度だけ、ネイルがアイボリーの地にハイビスカスをあしらったキャミソールワンピを提案してきた時はさすがに、調子づいた夫を文字通り寝室の窓から「叩き出した」のだったが。
 閑話休題(それはさておき)。
 ピッコロが寝台に腰を下ろすや否や、ネイルはその手首を優しく掴んだ。
「…なんだ」
 こうした場合の夫の魂胆(表向きの態度がいかに紳士的に見えても)が、文字通り「嫌という程」わかっているピッコロは、わざと素っ気ない答えを返した。
 がネイルは、この際大目に見て然るべきピッコロのささやかな抵抗に気付くようなタイプではない。
「それは、この前選んだ衣装だな。よく似合う。
 次の春が来たならおまえを、満開の桜の中に立たせてみたい」
 ネイルの闇色の目が、ピッコロを真っ直ぐに見つめた。
…これは、いつもと少しく雰囲気が違う。ネイルの頭の中にあるのは「不埒な真似」への欲求だけではないなと気付いたピッコロであるが。
 それを素直に認められないのが、ピッコロのピッコロたる所以で。
「…と、もっともらしいことを言ってはいるが。
 今のキサマの頭の大半を占めているのは『不埒な真似』だろうが」
 ネイルが声をたてて笑った。
「いや全く、その通りだ。否定はできない。
 だがそれも、おまえがどこもかしこも綺麗に出来ているのが悪いんだぞ」
 …と、男のする言い訳の中では最低の部類に入る言い訳をしながら、「不埒な真似」を敢行しようとするネイル。
「なっ……キサ…マ……」
 ピッコロの残りの言葉を唇で塞ぎ、舌で絡め取った。
 そうしている間も、ネイルの指先はピッコロの襟元のボタンを外していた。ややあってそこから片手を差し込み、引きしまった胸元をまさぐる。
「……ッ…ん………」
 ピッコロの声が少しく甘やかさを増したと見るや、ネイルは唇を離した。そのまま舌先が尖った耳を、血の色がさし上った頬を、首筋を、丹念に這う。
「…ふ……う…ッ………」
 吐息を、ピッコロは必死で押し殺そうとした。これもピッコロのピッコロたる所以なのだが、艶を含んだ自分の声を聞くことは無論、それを他者――たとえそれが夫であっても――に聞かれることには、どうにも抵抗があるのだ。
 そんなピッコロに、
「何故、声を押し殺すんだ」
 ネイルが問うた。
「……こ、んな妙な声…ッ」
 この期に及んでまで毒づこうとする根性は、ある意味見上げたものである。
「…聞きたくもないし、……聞かれたくもない…ッ!」
「そうか。
 わたしは聞いていたいがな」
「ばか…やろ……ッ。
 ―――ッあ…」
 ピッコロの言葉が宙に浮いたのは、悪口雑言の種が尽きたからではない。ネイルの指先が――ピッコロにはその内側が濡れて始めていることがわかっている――陰裂にかかったので。衣服ごし、探り当てられた突起に軽く爪をたてられ、とうとうピッコロは常の自制心を手放した。

 ネイルの「不埒な真似」が一晩一回きりで終わるということは、まずない。
 今夜もその伝で、じきに次の「戦闘」を開始する算段だろうと、心地よい気だるさに浸りながら、寝台の上でそんなことを考えていたピッコロ。
 …の肩に、ネイルの手がかかった。
「…少しは休ませろ」
 ネイルが明らかに苦笑した風だった。
「わたしはそこまで、『不埒な真似』しか念頭にない男じゃない」
「だったら、なんだというんだ」
「……今更、こんなことを言っても笑われるだけかも知れないが。
 見えるだろう?夜空が綺麗だと思ってな」
「…フン」
「闇色の空を見ているといつも、婚礼の日のおまえを思い出す。
 あの日のおまえの礼服は、暮色を僅かに残した夜空の色だった」
「………」
「もう一度でいい、あの礼服をまとったおまえを見たい」
 やにわに、ピッコロがネイルに向き直った。
「…バカかキサマは」
「……まあ、否定はできんな。
 だがどうして、急にそんなことを言うんだ?」
「考えてもみろ。
あの礼服は、婚礼の儀の時にしか、身につけることが叶わんものなんだぞ」
「それは…そうだな」
「だからもう一度オレがあの礼服をまとうとしたら、その時のオレの夫は、キサマじゃないということになる。
 …そんな事態は、考えることさえ我慢がならん」
「…………………」
 驚愕で丸く見開かれていたネイルの双眸が、穏やかに細められてゆくのに、さほどの時はかからなかった。
「…そうだな。
 確かにわたしはバカだな」
「今更という気がせんでもないが、自覚したなら結構なことだ」
「だからおまえを抱いてもいいな。
 急におまえが愛しくなった」
 と、やにわに背後から抱きすくめられ、ピッコロは周章した。
「なっ……おいバカ!どこをどう考えたらそういう発想になる!とにかく離せ!離しやがれっ!」
「それは出来ない算段だな。
 何しろわたしは『バカ』だからな」
「……っ。本気ではったおすぞキサマ!
 …って、止めろアホンダラ!!ど、どこを触ってやが……」
 
 広々と開け放たれた寝室の窓の外に、これまた果てしなく広がる闇色の夜空。銀の星々。そして琥珀色の月。―――こうした一篇の美しい詩にもなりそうな風物に囲まれ、上機嫌のネイル。
 その腕に抱かれたピッコロは程なくして痛罵の列挙を止め、「不埒な真似」がもたらす歓楽を享受することになったのだった。

  おわり。


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あきゅろす。
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