小説
半神
半神
敵と、守るべき愛弟子の居場所は判っていた。
最早一刻の猶予も許されぬことも判っていた。
だが地表にかすかな、今しも消えそうな気を感じ、ピッコロは立ち止まった。何故そんなことをしたのか、自分でもよくわからない。如何なる窮地に追い込まれても、冷静な判断力を失わない―――そんな彼にはおよそ似つかわしくない、否いっそ稀有といって良いほどの行動だった。
とまれ、ピッコロは大地に降り立った。眼前に横たわるものが、彼から常の冷静さを奪った。覚えず口にしていた。
「オ…オレとそっくりだ…。
ナ…ナメック星人か………」
眼前に血と泥に塗れて横たわるものは、緑の肌、とがった耳、二本の触角といった、ナメック星人の特質のみならず、その理知的で精悍な顔貌までもが、ピッコロに酷似していた。
己が血みどろで地面に横たわり、もう一人の自分がそれを見つめている―――そんな奇妙な錯覚を、ピッコロは慌てて打ち消した。そしてその狼狽を抑え込んだが為、彼の口をついて出る言葉は自然、冷ややかなものとなった。
「死にかけだな……」
だがその冷ややかな言葉に、瀕死の相手は反応を示した。血に汚れ、痛々しく腫れ上がった口許を、少しく歪めるようにした。―――それを微笑と、ピッコロは判じた。
「…ち…地球人の言っていたナメック星人か…。
そ…そうか……彼らの願いがかなったのか……。
よ……よかった……」
その微笑、そしてその言葉の根底にある安堵感と、親愛の情のようなものをも、鋭敏な彼は見て取った。
ピッコロは再度狼狽した。そうした感情に手向けるべき反応を、彼はまだ十分に知ってはいなかった。自然、言葉は冷ややかなものとなる。
「ほう…。
いろいろと事情を知っているようだな……。
ならばこのオレがそのガキたちを助けようといそいでいることも知っているだろう…。
悪いが見殺しにしていくぞ」
相手は再び、口許を少しく歪めた。
「ならば何故……わたしの気を感じてその足を…とめた……」
「…………」
狼狽が表に出るのを留めるのがやっとだった。
―――足を止めた理由。それが何故かは、自分でもよくわからない。
…………。否。
薄々は判っていた。だがそれを認めたくはなかった。己の心の中にそんな感情が兆していることを、未だ彼は認めたくなかった。だからわからないふりをしていた。……のでは、なかったか。
そんなピッコロの微妙な胸中を見透かしたかのような、湖底を思わせる深い、穏やかな眼差しを、相手は手向けてきた。
しばしの沈黙――だが決して居心地が悪くはない――の後、相手は言葉を続けた。
「お…おどろいた…。
どう鍛錬したかわ…わからんが、しんじられんほどのパワーを身につけているな……。
そ…それだけに残念だ……。
も…もとどおりのひとりのナメック星人になってもどって来さえすれば、フ…フリーザにでも勝てたろうに…」
「なに!?」
ピッコロの自制心は、そこで途切れた。
「ふ、ふたたび神のヤツと同化してひとりになりさえすれば、フリーザってヤロウの力さえしのぐというのか!?」
そうだと、相手は言った。口調こそ切れ切れで、弱々しくあったが、その根底には揺るがぬ確信のようなものがあった。
「わたしはフリーザに圧倒的にや……やられはしたが、あいつの力はよ…よくわかったつもりだ…」
相手の穏やかな――死を目前にした者特有の――あくまでも穏やかだが、ある種の不可思議な力に満ちた言葉に、ピッコロは吐き捨てる口ぶりで応じた。
「いまさらどうしようもないことだ…。
それにオレはあんなヤツと二度と同化する気はない…!」
彼のいささか子どもじみた嫌悪感に、だが相手は拘泥せず、
「わ…わたしと同化しろ…!
わ…わたしもこの星でた…ただひとりの戦闘タイプのナメック星人だ……」
気付いたら声を荒げていた。
「な、なに!?
きさまと!?」
相手はかすかにうなずいたようだった。
「そ…そうだ…。
お…お前のその力が数倍にもなる………」
―――冷静さ、のみならず力を追い求める気持ちを、いついかなる時でも失わぬピッコロに対して、これは魅力的な申し出だった。
だが……。
「うれしい申し出だがオレはごめんだ!
オレはオレでいたい!
人格まできさまなどとは同化したくない」
苛立たしげに応じた。心の奥深くにかすかに、だが確実に兆した恐れを、そうして隠そうとした。隠したかった。
気位の高いやつだと、相手は小さく、だが満足げに笑った。年の離れた兄が、やんちゃではあるが、愛しい弟に向けるかのような微笑だった。自分が愛弟子の悟飯にのみ手向ける笑みを、ピッコロは眼前に見たと思った。
ピッコロのそんな思いを全て察し、それら全てを包み込むかのような―――穏やかさと不思議な力強さを宿した眼差しで、相手は言葉を続けた。
「じ…時間がない……。わ…わたしはじきに死んでしまう…。
は…はやく、わ…わたしのカラダに手をおけ…。
し…心配するな…。
じ…人格は、お…お前のものだ…。
わたしは、た…ただのきっかけにすぎない…」
恐れは少しく軽減された。だが無にはならなかった。
ピッコロは恐れていた。
同化――いわば精神と肉体の共有――を機に、己の心の弱さ、醜悪さに気付かれるのではないかと。
神への憎悪、嫌悪に。悟飯との出会いを契機に薄れつつあるとはいえ、地球を己が手中に収めたいという野心に。そして、優しさ、無邪気さ、親しみ―――そうした感情に素直に応じる術を未だ知らず、冷ややかさ、あるいは子どもじみた苛立ちで応じてしまう不器用さに。そして己の心を暗い水のように満たし続ける―――。
「…………」
ピッコロのそうした思いを、相手はやはり見透かしていたようだ。声をたてずに笑うと、血に塗れ、爪が半ば以上はがれ、ずたずたになった左手を、立ち尽くすピッコロに差し伸べてきた。
常の彼ならば毒舌で応じるところだが、今のピッコロはそうしなかった。無言のまま、相手の傍らに片膝をついた。弱々しく差し伸べられた左手をとった。
その手を温かいと、彼は思った。形状は成程、己のそれに酷似している。だがそのぬくもりが、己と相手が別個の存在であること。そしてその存在が己を温かく受け入れようとしていることを示している―――そんな手だと思った。
そしてその手はピッコロの胸元に触れようとしていた。ピッコロは無言のまま、その手を望みの場所に導いてやった。
掌が、黒衣に触れた。
白光の奔流が、相手に流れ込んだ。ほんの一瞬の出来事だった。
「キサマ、このオレになにをした?!」
声を荒げたピッコロに、相手は湖底の静けさで応じた。
「お前の………心、過去を………垣間見せてもら…った」
「なんだと?!」
恐れが現実になったと思った。
そんなピッコロの胸中を知ってか知らずか、相手は言葉を続けた。あくまでも穏やかに。
「半身に強いられた………別離………半身が神に…なるために……。
別離の……前に…お前たちが目の当たりにした………地球人の邪悪さ」
―――ユンザビット高原での孤独な生活。
―――幾度も、幾たりも読み返した、親からの手紙。
―――失われた記憶。
―――父の死。
―――生まれ落ちてすぐに強いられた、孤独な流浪。
―――愛されている子どもへの妬心。
―――己の力への恐れ。
―――悟飯との出会い。
―――それによって芽生えた優しさ。
―――だが………。
「だが………お前の心を…暗い水のように満たす………寂しさは、消えはしない」
「うるさい!!」
「お前が培ってきた孤独……寂しさは………あまりに…深かった……」
「黙れ…」
その声はひどく弱々しかった。もしかすると死に臨む相手のそれより、弱かったかもしれない。
「黙れ……」
先刻垣間見せた弱さを払拭するかのように、ピッコロは繰り返した。だがその声は先刻の声よりも弱かった。震えてさえいた。
「すまなかった、な………」
相手のつぶやきで、我に返った。
「いくら残された時間がないとはいえ……わたしがお前にしたことは………無遠慮だったようだ……」
「まったくだ」
素っ気なく応じた。常の口ぶりに戻っていた。
相手はそんなピッコロを、相変わらず穏やかに見つめていた。
「なんだ?人が下手に出ていれば調子に乗りやがって。
言いたいことがあるならさっさと言え。
時間がないんだろう」
「ピッコロ…………」
やにわに名を呼ばれ、驚いた。
…否、驚愕の原因は名を呼ばれたことではなかった。束の間とはいえ心を、過去を垣間見た相手だ、名を知っていて当然だ。
己の驚きの理由は、己の名を呼ぶその口ぶり、その口ぶりに溢れた温かさにあるのだと、思い当った。
「…なんだ」
ようよう、応じた。声の震えをこの程度で抑えられたのは、上出来だと思う。
「わたしと……同化すれば……。
わたしはずっと、お前と共にあることが………できる。
お前はもう、……ひとりではなくなる…。
寂しさがお前の………心を苛むことは、もう…」
ピッコロは空を見上げた。二、三度大きな瞬きをした。
胸を満たす熱い塊が、両目から溢れなくなるまで。声の震えがおさまるまで、待った。
風がほおをなぶった。
「…おい」
「なんだ……」
「さっきの…お前と同化したならオレの力が数倍にもなるという話、うそじゃあるまいな………」
相手は小さく笑った。
「そ…そうおもうなら、このまま行って、フ…フリーザに殺されるがいい………」
「…………」
どうあがいても自分は、口でも度量でもこいつに敵わないのだと、ピッコロは思った。
「いいだろう…。ためしてやる……。
だが少しでも気にいらなかったらすぐに追い出すぞ……!」
それでも口先のあがきはやめないピッコロに、相手は苦笑し、
「い…いってくれるぜ…。
人が好意ですばらしいプレゼントをや……やろうというのに……」
「いそいでいる!するんならさっさとしろ!」
言い、ピッコロは相手の手首に触れた。
「…ぜ…ぜったいに、フリーザをた…たおせ…。
いいな……」
「きさまにいわれるまでもない。
できればそうしたいぜ……オレのためにな…」
相手が笑った。今までの穏やかな笑みとは違い、常のピッコロのそれににた、何処か不敵な笑みだった。
「…ま、待て」
気付いたら口にしていた。
「なん……だ」
「まだきさまの名前を聞いていなかった」
「…………」
「か、勘違いするなよ!
名も知らんヤツが、オレの中に居座るのは不愉快だからな!」
相手はもう一度笑った。
「…ネイルだ」
「……そうか」
うなずいた。
光の波動と衝撃が全身を襲ったのは、次の瞬間だった。
「…………!!!」
だがそれもほんの一瞬のことで、気付けば眼前に相手の姿はなかった。
残されたものは、全身に満ちる果てしない力と―――。
『ネイル』
新たな半身の名だけだった。
おわり。
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