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あした、曇りのち
2-8
子どもを叱り付けるような口調で言われたのであわててそこからおりた。美術部のものだろうか、散らばった絵の具のひとつが有野のズボンについていた。藍色か群青色の絵の具がコロンと流しに落ちる。
 赤、黄色、白、ピンク、とばらばらな色の絵の具は無造作に放置され、ふたのとれたものからは中身がこぼれて排水溝にゆっくり流れていた。汚れたパレットがバケツに突っ込まれている。いい加減な美術部員がやったのだろうか。
「片付けろって言ってるのに……」
ぶつぶつ言いながら吉村は絵の具を拾う。いらいらする吉村はあまり見たことない。手すりにかけていたぞうきんをぬらして有野の尻を拭き始めた。
「あ……ごめんね。なんか」
「いえ……たぶん、うちの部員です」
中身の出た絵の具はまだかなり残っているものだったようだ。グレーのズボンについた青の量は想像以上に多く、下着にまでしみこんでいそうだ。ただでさえ夏場でじとじとしているので、湿ったズボンは気持ちが悪い。
必死にふいている吉村の顔にも、あせりと困惑の表情が浮かんでいた。
「取れませんね……洗いましょうか」
「そこまでしなくていいよ、大丈夫」
ぞうきんを受け取った。吉村は両手をバケツに突っ込んでパレットを取り出し、水を出して洗い始めた。きれいな白い手が汚い色に侵食されていくのを見るのは気が引けた。それに、これは吉村の仕事じゃないはずだ。
「吉村がすることないんじゃね?放置してるやつにやらせれば」
「ほっとくと先生がうるさいんですよ」
静かな水の音が聞こえていた。ぞうきんを再びぬらしてしぼると真っ青な水が流れたのでため息が出た。それと同時に、さっきの吉村の言葉を思い出した。こんなことしている場合じゃなかった。
「それで?ノートの話だけ?」
「……桐山くんって勉強できるでしょ?けど、うちは授業に追いつくの大変ですよ」
確かに、一応「進学校」の部類に入る高校だ。エスカレーターで上がれる大学はないし、授業のスピードの速い。数少ない推薦入試の枠を狙って争う生徒も多い。
哲平はぶっちぎりで中等部への主席入学を果たした人間で、入学早々一目おかれていた。その後も安定した成績を保っている。哲平だって相当な努力をしているはずだ。
「桐山くんと仲よさそうですけど、ノートとってる気配はないんですよね」
「うん……授業自体、聞く気ないからさ」
恥ずかしがる様子もなくケロッとした口調で有野は答えた。ちょっとあきれたのか、吉村はため息のあとかすかに笑った。しぼったままだったぞうきんを有野に差し出す。
「いろいろ考えている時間あるなら、ノートとるのに使ったらどうですか?」
「それは考えてなかったな」
うだうだ考えるもの時間の無駄か。頭のいい哲平のためにできることっていえば、それくらいなのかもしれない。ノートとってなかったら、あとでどつかれそうだし。
あ、でも。三日前までのノートは手元にない。


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あきゅろす。
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