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ふああ、と大きく欠伸。目に浮かべた涙がぼやけた白々しさで世界を彩る。
ああ、朝だ。思ったと同時に、アア恋だ。と感じた。
一護の胸の上にふわりと優しく乗っかった恋の色彩は不透明でいて不誠実な色をしている。
いつも通りの朝にいつも通りの日常にいつも通りの帰り道にいつも通りの商店。何ら不変しない日常は平和その物を一護に与えて思考を怠慢にさせる。だからきっと緩みきった神経が恋をし始めたのだと自分勝手に解釈した。
ちゃぶ台に出されたお茶は渋くて美味しい。お茶と共に出された水羊羹だって絶品で言葉を失ってしまう。更に目前には黒猫の体を撫でながら目深く帽子を被って茶を啜る思い人がいる。
きっとこれって最高のシチュエーションなんだろうなあ、だなんて青春気取りをしてみたら自然と口が開いて彼に愛を振りまいていた。
-なあ浦原さん、俺な、今日もアンタの事殺しちゃったんだよ。
背中に射し込む西日が男の上げた表情へと真っ黒い影を作る。
-おやおやこれはまた物騒な。
淡々と言葉を成す男も男だが、背中をジリジリと焼き尽くす西日も存外狂っている。
-いい加減、抵抗しろっての。
-はて?抵抗もなにも。君が卑怯にも背後から襲い掛かるんだ流石のアタシでもあれは避けれそうにないなあ…ねえ?夜一さん
ミニャア、黒猫が気持ち良さそうに肯定した。
-だからってなあ、殺す方の身にもなれよ。肉はぐにぐにしてるし骨は硬いし変な場所切ったら血が噴出するしでお気に入りのナイキのTシャツ…ダメにしたんだぞ
-ふ、なら殺すのを辞めたら良い。殺される方の身にもなって下さいな。痛いし苦しいし切ないし恐いしで堪ったもんじゃない。
-だから抵抗しろっての
-抵抗したら殴られた
-…それは…だってお前が抵抗するから
西日が徐々に徐々に強くなって背中を痛い具合に焦がす。ジリジリ、皮膚が焼ける音と、ミンミン蝉が煩くがなる音が交差する。交差した後に訪れるのは闇ではなく真正面から射抜く男の眼光。鋭い獣のような金色の光。アア、痛い。
-三度目の忠告でアナタが抵抗しろと告げた。だから抵抗したってのにこのザマだ。
-…だ、って…。
-殺される方の身にもなって下さいな黒崎さん。結構痛いんだ。肉体的にも勿論の事、精神的にもアナタには何度だって殺されている。
-だって…嫌だろう?
-ええ。そりゃあ嫌っスよ。殺される事を望む者なんていやしない。
-だから殺したんじゃん望んでないから殺したんじゃん
-答えにもなりゃしない。お子様っスね本当に、反吐が出る。
-ひでえ。
-酷いのはどっち?タンマも聞かず聞き入れず問答無用で振り上げるじゃないか。そのちっぽけな暴力を受け止める大人の身になって考えてみろよ。
ギラリと光る彼の眼光はこんなにも痛々しい物だったろうか。初めて一護がだんまりを決め込んだ瞬間、黒猫が威嚇するようにミャアと力強く鳴く。醜く掠れた声だった。
ふと、気付く。
自身の手に握られているちっぽけなナイフ。
汚れを拭っても拭っても直ぐにドス黒く汚れてしまうナイフの名前はペーパーナイフ。名前通り紙を切る為だけに作られた嗜好品は鋏よりも随分役立たずで見掛け倒しだ。なんたって力いっぱい突き刺さなきゃ皮膚を破いてはくれない。何度も何度も振り上げて振り下ろしてぐにぐにと柔らかい肉を突いて破いて漸く骨に到達する。なんて役立たずな見掛け倒しのナイフ。
見掛け倒しは、俺だ。
手にしたシルバーナイフを握ってフと嘲笑した。
-さて、ここで問題です。
-いいぜ。なんとでも。
-アナタが殺したいのは武装した浦原喜助?それとも、呑気に猫を撫でてる無抵抗な浦原喜助。さあて、どっち?
さっさと答えろよクソガキ。男は二重に影を成してギラギラの獣臭いよっつの瞳を一護に向ける。
フ、一護は笑った。
笑って、手にしたペーパーナイフをちゃぶ台に置き、よっこらしょとじじ臭く腰を上げては黒猫を撫でている男へと歩み寄った。
これは紛れもなく、恋であると頭の隅っこでお節介な理性が呟く。聞き入れまいとした悪魔の囁きが良心の呵責だっただなんて今になって気づいてはちょっとだけ後悔した。
幾度も殺害したはずの浦原喜助は日を追う毎に強く逞しく成長して一護の目前に立ちはだかる。ああ、あーあ、殺したくなんかねーなあ…。何度も思って振り上げてきたペーパーナイフは今は手元に無い。
ギラリギラギラ光る金色が怖いのに綺麗で、生唾を飲み込み震えが止まらない両腕でそうっと優しく男を抱き締めた。
抱き締めたら抱き締めたで涙がボロボロ流れて男の肩を濡らす。
耐え切れない嗚咽が部屋中に響き渡り、いつの間にか西日も黒猫も消えて、武装した浦原喜助も消えてなくなっていた。
部屋とも形容が出来なくなった歪な空間の挟間で、一護と浦原のたった二人。
重なる呼吸に、ひとつだけの嗚咽に、重ならない鼓動に、交わらない熱。
こんなにチグハグであやふやで不透明で不確かであざとくて卑怯で極まりないモノなのに。漸くひとつになれた気がして一護は涙しながら何度も何度も謝った。
ごめんな、ごめん。ごめんねごめん。
痛い思いばかりさせちまってごめんなさい。
辛い思いばかりさせちまってごめんな。
殺されてくれてありがとう。止めてくれてありがとう、殺人者にしてくれてありがとう、殺人未遂にしてくれてありがとう。
-お前を、受け止めるから。ありがとう、そしてごめんなさい…浦原さん。
そこで、目が覚めた。
***
ふああ、と大きな欠伸ひとつ。
白くぼやけた視界は白々しい程の演出をしでくさった朝を見つめた。
大きく背伸びをして、涙をぬぐって、フと笑う。

「夢ん中まで意地悪だなあアイツ」

昨日、殺さずに居た男は最後の最後でニッコリと優しく微笑んだ。
殺さなくて良かったなあと思えたことなんて一度もない。なぜなら一護は全ての浦原喜助を殺していたからだ。夢の中に現れた彼を何度も何度も殺害しては目覚めを良い物に変えていった。自分勝手に殺した彼の遺骸は胸中で白骨化している事だろう。
そして、今日初めて殺さずに居た浦原喜助の笑顔を見ながら目覚めた朝は予想通りにムナクソ悪い物だったが、不変しない日常を毎度の様に繰り返すよりはなんだか清々しいとさえ思えてきた。だから一護は皮肉気に笑った。

「…しゃーねえなあ…伝えてやるか……」

きっと夢の中の意地悪な彼は最後の最後でこう言ったかもしれない。
-そろそろ、素直になって認めちゃあどうですかね?
全ての責任をこちらに押し付けて選べと、そして受け入れて実行しろと彼は告げたに違いない。だから性質が悪いのだ彼は。
やっぱり殺しておくべきだったか?今更後悔してももう遅い。
一護はトキトキ可愛らしく唸る鼓動を右手で抑えながら忙しなく朝支度を終えて家を飛び出した。
向かう先は意地悪な男が待つ商店。
朝日が眩しくて清々しいサンデイモーニング。かつての加害者が蝉のラブソングに包まれながら恋を伝えに走るのを、塀の上の黒猫は呑気に欠伸なんてしながら見守っていた。














一寸物騒なラブストーリーの幕開け




あきゅろす。
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