69 彼には気立ての良い彼女が居る事は知っていた。それでも、彼に恋せずにはいられなかった。ヘイ、ハンサム。俺がお前にフォーリンラブだって知ったらアンタはどんな風に顔を崩すんだろう? 「こんなにっ、酒が弱いなんて聞いちゃないっスよ!」 ばふんっ、唸ったベッドのスプリングがやけに卑猥じみて聞こえて一護はううんと声を吐き出した。 なんだか凄く良い香りがする。ぼんやりと鮮明にならない視界に入り混んできた黒と灰色の2色に危うく目眩を起こしかけ、クラクラし始めた頭を起こそうとすれば額に冷たい手の平があてがわれる。あ、気持ち良い…。大人しくしてなさいだなんてまるで母親みたいな言い草でそう伝える男の声がすんなりと耳に入り混んできてこれもまた心地が良かった。 「ネクタイ、緩めても?」 「ん…苦しい…」 「ねえ…そんなに弱いならなんで無理に飲んだんスか」 ネクタイを緩めてそれから第一ボタンを外される。アルコールで上昇した体温がリンパ腺を圧迫して、尚且つボタンなんかで締め付けられていたから窮屈さが一気に無くなり、呼吸がしやすくなってホウっと息を吐いた。 呆れた声が耳に届くも、うっすら瞳をあけて見た浦原の表情は予想とは少々違っていた。珍しくも眉間に皺を寄せ、少し呆れ気味に瞳を細めている。あ、そんな顔も出来るんだなお前。思うも、上手く声にならなくて仕方無しにヘヘヘと情けない笑いを見せればペチンと額を叩かれた。 「水、飲む?」 「ん…今はダメかも…吐いちまう…」 「…吐けるなら吐いた方が良い、楽になるから」 今度は優しく頬を撫でられる。手の甲でさする様に撫でられたら弱っていた神経が一斉に震え上がって泣いてしまいそうでヤバい。酒の性にして甘えてみても良いだろうか?お前、許してくれるか?彼の愛用する香水が鼻を擽って涙脆くさせてしまう。 「どうした…気持ち悪い?」 「ん…お前の手、気持ち良い…」 「…こうしてる?」 「…良いか?」 ベッドに腰かけながら心配そうに見つめてくる金色が優しくてうっかり泣いてしまいそうだ。浦原の手を取ってすり寄る。少しだけビクリと動いた手の平にくすりと笑って横向きになった。少しだけ、彼との距離が近づいた気がする。 「彼女もさ…こうしてくれんの?」 軋む心を無視して声を振り絞った。 「…あの子は一滴も飲めないんス。一緒の時は飲まない」 「それは…面白くねーな」 恋は隙あらばなんちゃら、横向きになったせいで左脳が良からぬ事を考えはじめ、いつの間にか繋ぎ止めた手は指と指が絡みあっていた。 「潰れた君が何を言うか」 「いて、…俺、今弱ってるのに…」 空いてる方の手でデコピンされて痛いと少々演技臭くも訴えればフと小さく笑われる。あ、今日は上機嫌っぽい。段々分かる様になってきた彼のひとつひとつの仕草に今日は機嫌が良いと知る。そうして調子にのった心はアルコールの助けも入って一護を甘ったれに仕立てあげた。 RRRR,RRR。 二人っきりの室内に鳴り響く無機質なコール音、浦原のジャケットのポケットから聞こえたコール音に一護の眉間には皺が寄った。 「はい、ええ、今?うん…大丈夫だよ」 2コール目で取った電話の向こう側、きっとそこに居るのは可愛らしいアノ子で、電話の向こう側に居る彼女に向けて発せられる声は一護に対して投げかける声の何百倍も優しい。 ツキン、痛み始めた心が音も無く涙をこぼす。 先程まで一護を見ていた金色は反らされ、まるで目の前にアノ子が居る様に笑う。お前の指が触れているのは俺なのに、酒に溺れてしまったハートが溺死してしまうくらいには呼吸が苦しくなって一護は手の束縛を解き、浦原に向かって背中を向ける様に寝返り打った。 どっか、行っちまえ。 恋心とはとても厄介だ。ドキドキしたかと思えば途端に仄暗い気持ちにさせる。自身の心に自身が踊らされるのが1番嫌いだった。 「あー…今日はちょっと、…また今度ね」 こっちに来るって言ったのか?俺、邪魔して悪かったな。背中で訴えた。 「うん、大丈夫っすよ。…え?お酒は…まあ飲んだね。うん、…」 「っ」 背後から聞こえる優しい声、それと同時に項付近を冷たい指先でなぞられる。つつつ、ツツー。ぞくりと背筋に得体の知れない感覚が沸き上がってしまいビクリと体を揺らしてしまった。 「じゃあ、…うん、お休み」 少しだけ含んだ笑いの後で電話が切れて沈黙が舞い戻ってきた。背中を見せているせいで浦原の今の表情が伺えない。ギシリと唸ったスプリングが二人分の体重を乗せた事を知らせる。再び寝返りを打てば目前に優しい金色。ア、と息を飲んだ後には二人の距離はうんと近づいていた。 「…まだ、気持ち悪い?」 無言で首を横に振った。 冷たい手の平が再び頬を撫でる。キスしてしまえる距離まで近づいてきた金色にキュっと目を瞑れば鼻先を摘まれた。 フガ、変な音が鳴る。 「水、やっぱり飲んだ方が良いよ。ね?」 頬を撫でる手と、見つめてくる金色と、かけてくる声が優しいから素直にコクリと頷けば良い子、と頭を撫でられた。子供じゃねーよ、言いかけた言葉を飲み込んで寝室を後にする彼の背中を目で追う。 後に残されたのは一護と、鳴り止んで機能を停止させたモバイルフォンだけ。 ベッド脇に転がった端末を指で小さく弾いて少しだけ謝罪した。 ごめんなさい、貴女と同じで、彼に恋心を抱いてしまった。 ごめんな、もう一度伝えて、ゆっくり瞼を閉じた。 ごめんな、ごめんなさい |