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黒の雨が降ってきた。赤の番傘がくるくる回った。ケタケタ下駄の音が雨音と一緒に籠の鳥のうたを奏でる。寂しいメロデイが流れる。

「逢いたさ見たさに恐さを忘れ,暗い夜道をただ一人」

真っ赤な番傘と真っ赤な女用のベベを黒の着物の上に羽織って男は上機嫌に下駄を鳴らして歩く。ケタケタからころケタケタからころん。花街遊郭街道を闊歩する男を見てるのは夜の天狗烏だけ。明け方近くの薄暗い闇夜を物ともせずに男は下駄を鳴らし、赤い羽織をゆらりゆらゆら揺らしながら番傘をくるうりと器用に回してみせる。誰に見せるわけでも無く、ただの遊び心で。
お天道様から降り注ぐ冷たい雨はどっかの誰かさんの涙だと風の便りで耳に入れた。嗚呼、あなたが泣いてしまわれてる。たったそれだけの為にこうして花道街道を闊歩している。
建ち並ぶ見世小屋のひとつ、金色の装飾がなされた小屋の前で立ち止まって、からんとひとつ下駄を鳴らした。
遠回しに書いたあなたへの想いを汚らしく詰めたあざとい郵便は届いただろうか。男はフと自嘲気味に笑んだまま番傘をくるうり回す。

「逢いに来たのになぜ出て逢わぬ,僕の呼ぶ声忘れたか」

流行歌は小さく響きながら明け方のアコウクロウに乗って漂いながら舞う。舞ったメロデイはきっと彼の可愛らしい耳に触れて口づけしているだろう。

「僕の可愛いあなた」

顔を見せちゃあくれまいか。昔、遊び言葉を交わしていた記憶が徐々に呼び覚まされる。初々しく振る舞う彼の幼い顔付きもまだ憶えている。頬を赤らめ綺麗なベベの裾で顔を隠しながら見せておくれと言えばちらりと横目で視線を向ける可愛らしいあなた。

「あなたの呼ぶ声忘れはせぬが,出るに出られぬ籠の鳥」

切なげに三味線を弾きながら紡いだ歌のなんというあてつけさ加減。気に入ったのは肝の据えた眼差しと恨みがましいと下唇を噛み締める仕草。それと目映いばかりの橙の髪の毛。
ふたりで心中しましょうか?嘘っぱちも吐いて涙させた事もあった。
"朱い鳥は幸せをもたらすんだそうな"
幼子へ聞かせる噺を信じるまでにあなたは盲目になってしまわれた。

「籠の鳥でも知恵ある鳥は,…籠の鳥は…」

からり、開いた小窓から覗いた橙が目に眩しくて男は目を細めてしまう。ああ、やっぱりあなたは眩しい。まるでお天道様みたいだ。
ビードロの目ん玉が大きく見開かれて着飾った男娼はアの文字に口を開きかけ閉じた。

「…化けて出たんか旦那」

番傘をくるくる回す手がキシリと軋む。体のあちこち、つぎはぎだらけの成りでは到底不格好で、あなたに逢う事は出来ないからホレこの通り、めかし込んで今あなたの目の前に居ます。アピールする様にひらりと赤の羽織を翻す。
いつぞやの朱い鳥みたいに。

「籠の鳥でも知恵ある鳥は,人目忍んで逢いに来る」

流行歌を紡げば可愛い人は眉間に皺を寄せる。遠目からでも見て分かる涙目は酷い物だ。三日三晩、いいえ、きっと何十日も泣き腫らしたのでしょう?

「旦那、自惚れちゃあいけねえ。わっちは何も望んじゃなかった」

嘘おっしゃいな。あんなに縋る様な目で人様を睨んでおいて、今更惚れた腫れたの戯れ言もなかろうて。

「心中しようの言葉も手練手管の見せ所さあな、それくらいわっちに熱上げてたんわ旦那の方さ」

これもまた嘘だ。あの時贈られてきた小指は大事に戸棚の奥へ奥へ隠しています。僕はそれが怖かった。

「…今更どの面下げてこっちに居るんさ、化けて出るだなんて旦那らしくねえじゃねえか」

ええ、本当。こっちまであなたの熱に犯されちまったみてえだ。アタシらしくもないじゃないか。
自嘲気味に笑うも男は番傘を捨て、ボロ布と化した両腕をめい一杯広げて見せた。
男娼の表情が崩れる。真っ赤に染まったベベが綺麗にひらりと舞い、捕らわれ籠の中の鳥が飛び出した。

「浦原、浦原、浦原浦原浦原…喜助さん…」
「寂しい思いをさせちまってごめんなさい」

抱き締めた体は軽い。こんなにもすり減るまであなたは泣き散らかした。衰弱しきった体はもう何も欲す事なくただ男の抱擁を愛しいとばかりに満たされていく。もう何も心の中に入り込む事はないと思ったがしんみり沁みてきた男の昔と変わらぬ香りに満たされた。
ああ浦原、浦原。
はい、一護さん。
皆が俺の事気が違えたって言うんだ。
いいえ、君は賢い子ですよ。
本当?
ええ、アタシが保証しましょう。
良かった。
太陽みたいな髪にキスをして枯れ木の様になった体を優しく抱き締めた。













籠の鳥,籠の鳥,もう鳴き止んだ




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