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空っぽの音色


男は旅を続けているのだと言う。
山を登って降りて、川を渡って海を渡って、人里に降りる事は稀だそうで観光名物所には巡らないと言った。なんとも不思議な旅だ、とこちらが言えばアア可笑しなお噺でしょうな、と笑ってみせた。
背中を覆い隠す大きな木箱を抱えて歩き続けるから、履き潰した草履は今履いているので十揃いなんだそうだ。見栄えは宜しくないが着込んだ着物を見る限りは良い里の出だと一目で分かった。男にしては小柄だが荷を背負って旅をする商人達は一様に猫背だから男も同じくそう見えるだけなのだろう。
重たそうに見える木箱は真っ黒な煤が所々剥げている。きっと山を登った時、そして降りる時に木々にぶつけたのだろう、男は不器用に笑いながら愛しげに木箱を撫でた。カラカラ、中に入る物が音を立てて男の撫でる手に挨拶をする。おや、と浦原は思った。

「空っぽだったりします?」
「おや、分かりますかな?」
「ええ、異様に音が軽い」

季節は紅葉が咲き乱れ冷ややかな秋風が傷を抉る日、木漏れ日の綺麗さに誘われて外に出た先の茶屋で男と会った。暫し噺を聞いている内にその木箱に惹かれた浦原は出された茶を啜りながらチラリと目をやる。
未だに手を木箱へ置いた男はにっこり優しく笑う。

「あとひと登りしたら里へ帰る事が出来るだろう」
「おや、それじゃあ旅はもう?」
「ええ、あの山ぁ登れば終わりですかね」
「里はどの辺で?」
「西の方になります。雪山ん中あるちいせえ村ですが春になればふきのとうが顔を出してくる。美味いんです。おいらの妹が好きだったんでねえ」
「へえ、じゃあ戻るのは来年辺りになるんスかねえ」
「ええ、だけど旅ん続けてた数に比べたら短けえもんですわ」

目尻に刻まれた皺をくしゃりと曲げて嬉しそうに笑う男の背後に彼の妹を見た気がした。浦原には家族と呼べる者がないから分からないが、きっと良い物なんだろうと想定する。母の残像がすっかり消え去った脳内で考えては空を仰ぎ、今の主人の事を思った。あの子はまだ眠っているのだろうか。
朝の稽古を終えて浦原1人だけ屋敷を後にしたのだ、あの子が気付けば怒られるだろう事を想像しながらも呑気に煙管を取り出して吹かした。
からから、木箱が揺れて音が鳴る。

「そいじゃあ兄さん、ご馳走になりました。すっかり腹ぁ膨れた。」
「そりゃあ良かった。面白い噺を聞けた礼として受けとって下さいな」
「ハハ!長い間旅ぃ続けてたが最後に兄さんと噺できて良かった。団子も蕎麦もここは美味いな」

木箱を背負った男が笑う、雪の村で育った彼の肌は今は健康的に日に焼けていた。浦原も笑いながら紫煙を吐き出して手を振るう。からころ、木箱の中身が揺れて音を成した。

*****

さやさやと小川が流れて柳が風に吹かれては冷たそうに葉と葉をこすり合わせる。冬を呼び寄せた秋風は紅葉と共にどこかへ消えていった。
寒い寒い、手をこすりあわせながらパチパチと音がする火鉢に手を翳して暖を取る浦原は、小窓から見える白の景色にふとあの秋口に出会った男の事を思い出した。彼は無事、里への帰路につけただろうか。旅の理由を聞いておけば良かった等と思うも直ぐに忘れ自信の日常を過ごす生活を送って今のいままですっかり頭の奥へと記憶を追いやっていた。
パチパチ、唸る火鉢の音とからからと軽い音が記憶の底から甦る。

「浦原」

襖を開けて入ってきた子供は真剣な面持ちで浦原を呼びつけた。浦原が仕える主君でもあり主人でもある一護は鮮やかな橙色の髪をもっている。真夏にはとても眩しく見えるその髪質は冬に見るととても温かい。

「おけえりなさい一護さん」
「浦原、神山の方で幼子の骨を見つけた。村が騒いでいる」
「…まあたそりゃあ唐突っすね」
「骨と一緒に中指もだ。これは真新しい」
「気味ぃ悪いなあ…」
「茶化すな、ほらさっさと腰をあげる!出掛けるぞ。旅の準備しろよ」
「えー…こんなん寒いのに…行き先は?」
「西だ」

西、と鼓膜が拾い上げて声を漏らした。ア。小窓の外、白い雪がちらほら降り注ぐ白の中にあの男の影が浮かび上がった。

「西…?」

一護を振り返る。
頑として腰を上げない浦原に焦れているのか眉間に深く皺を刻みながら早く、と急かした。

「ああ、中指の方に気が残っていたからな西に向かっていた。ありゃあ…むくろかえりだ」
「むくろかえり?」
「骸返しとも言う。古いまじないだ。遺骸を細かくして荷に詰め名だたる神が居る山を登る」

"山をね登っては下って登っては下っての繰り返しですわ"
一護の声の後ろであの日の男の声が重なった。

「山ひとつひとつに遺骸の一部を置いていくのさ。それで全てが終われば帰路を辿る。来た道を違えずに戻るんだ」
「中指を捨てながら?」

"観光地には寄りつかないからなあ、帰る時にはここに立ち寄るさ"
果たして彼は呪術の通り、帰路を辿ったのだろうか。パチパチと火鉢が唸る音がして浦原の眉間には皺が寄った。

「今度は自身の体の一部を置いていくんだ…間違ったまじないだ。」
「間違い?」
「行きはよいよい帰りはこわい。聞いた事ない?」

襖を開けたまま、淵を踏まずに一護は戸へ寄りかかる。口から口ずさむ音が冬の風と共に鼓膜を突き抜けた。
通りゃんせ 通りゃんせ,
ここはどこの 細通じゃ,
天神様の 細道じゃ,

「通っても良いが、帰りは困難だ。」
「そう、帰りは至極困難。人の記憶ってのは曖昧だ、行き慣れてる道ならまだしも旅路なんざ一々把握は出来ない。地図を持ってたら少しは楽だがそれも当てにはならない。失敗が前提のまじないなんだ」

浦原がそろりと重たい腰を上げるのをみて一護も踵を返した。寒い寒い、腕を裾の中に入れながら猫背の彼が隣を通る。二人して廊下に出ては冷たくなった床を裸足で踏みならす。アア、寒い。吐く息はまっちろ。
失敗が前提って?と浦原が聞き返せば、数十センチ違う子供な彼は下唇をキュっと弾き結んだ。

「虚になる為のまじないなんだ。」
「…こりゃまた…」
「言い伝えでは死人が甦らんとされてるけどな、違えずに自身の体の一部を切り落として帰路を辿った場合、足跡が一本の道を結ぶ。あの世とこの世の境目、境界線、鬼門。真っ黒くドス黒いぜ。見てみる?」
「えーんりょしておきましょ。と言うかそんな物騒な呪い、誰が広めたんだか」

こちらからしてみたら迷惑極まりないなあ、浦原が呟けば一護は苦笑した。

「人ってのは執着するからな。それに欲も深い、無い物ねだりなんざ日常茶飯事。心に隙間が出来れば何かで埋めようとすんのが人間だった場合、」
「隙間を埋めるのが虚無、すなわち虚ってわけっすか…」

虚は心臓箇所が空洞で物の怪でもなければ妖でもない、ただの怪奇の塊である。

「隙間ぁ埋める為に虚になってしまったんじゃあ本末転倒。止めるには?」

うつむき加減の子供の表情を伺う為に背を縮めて目前から彼の琥珀色の瞳を伺った。

「術がない」
「おや、珍しい。いつもなら血相変えてこちらの意見も待ったも聞かずに疾走するキミが」
「お前だって珍しい。今日に限ってヤル気じゃねーか」
「フ、もしかしたら見知った男かもしれなくてねえ」

にんまり顔をして見せたらビードロの様な眼が大きく見開いて口をぱくぱくさせた。

「おま、なんで言わないんだ!」
「確証が無い事は言いたくないっス」
「言えよ!」
「えー…だって術が無いんでしょう?男と出会ったのはフラっと市場に出た頃合いだったしそもそも秋口だった。確かに荷を背負っていたから旅商人だと思ったが彼は観光地は巡らないと言った。そこでおかしいと思ったんだ、なぜこの男は」

過去形で話を進めるのだろう、って。
浦原の唇が動く、彼と件の男との間にどんな会話があったのかは知らない、けれども観察力の鋭い彼の事だ、今の今まで思い出せなかったとしても一護が話た段階でその男を思い出したと言う事は何かしら引っ掛かる点が男にはあったと言う事だ。
一護が見えている世界を浦原は見えない、と同時に一護では見落としてしまいがちの現世を隅々まで視界に収めている。

「…急ぐか、」

風が止んだ気がした。
対峙した時に見上げる金色は酷く冷たい冬の風景を映し出して尚も冷え切っている。綺麗だと思う反面、彼の中の小さな鬼が芽を出さないかと一護は少なからず恐れていた。
冬ってーのは芯まで冷やしちまうから嫌ぇだ。心中で毒を吐き出して眉間に深く皺を刻む。

「術は?」
「…ないが、虚になる前に……斬らなきゃ」

険しく寄せられた眉間の皺がアンニュイになったのを見定めて浦原は一護の手を取る。

「生身の人間を?」
「半分、向こうに置いてきちまった人間だ」
「ならアタシでも斬れる筈だ」
「俺がやる」
「キミには出来ない」

なんせ箱入り坊ちゃんなのだ、彼は。
怪奇を斬る事は出来ても生身の人間を斬る事に関しては無学でいて素人。それなら私が、と役を買って出た浦原は幼少期において鬼として生きてきたからどの部分を切断したら息を絶やせるか細胞レベルで熟知している。
掴んだ手首はほそっこい、こんな腕では人の骨と肉は断ち切れないだろうと踏んで、それでも押し止まる頑固な子供の横を通って背を向けた。
アア、冬は寒い。
体の芯から凍り付きそうになる、ふきのとうが芽吹くのはまだまだ先。あの男は何を思い、何を見て、心を捨てるのだろうか。
浦原の心の臓が寒さで縮こまる冬、トンビが侘びしい空を飛びながら泣いた。
ピーヒョロロロロ、ピーヒョロロロロ。
からから鳴るのは空っぽの寂しい音色。空になる心の寂しくも侘びしい音色。










からころからころ、空っぽの音が響く

◆夏に出したオフ本「じんいゆぬなだぐゎ」の二人です。短編集みたいな感覚で書きました。ちょい寒気がするだけの話が書きたかったけどやっぱ難しいです^^;冬にシリーズとして2冊目を出すつもりでしたが予定変更して5月くらいに出す予定です^^




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