my happyending 私は、君が何万回泣いたのかを知っています。 君は静かに泣く子でした。 モニターの前、ソファがあるのにも関わらずカーペットの上にあぐらをかいて座り、ソファに持たれてブランケットを羽織ってポトポト涙を流す。 お気に入りのラブロマンスフィルム、何回も見て何回も泣いて(必ず同じシーンで泣いちゃうの)そして最後は泣き顔のままで笑って余韻に浸るんだ。 君の涙は静かにフローリングに落ちて音もなく滲んでいく。ポトポトポトリ、蒸発しない水分の雫はやけにしょっぱい。 ド派手な成りに似合わず君は随分と乙女思考で、あらゆる可愛い類の物を集めるのが趣味だった。 小さなテディベアから大きなキリンのぬいぐるみまで、枕の代わりにベッドに敷き詰めては良く彼に笑われていた。明るい君のオレンジ色の髪の毛を夕焼けと朝日が照らす窓際に位置したベッドはセミダブルで、週末の夜には二人分の重さがベッド上に乗っかるからスプリングがキシリと呻く。ベッドの奴がJesus!って呆れて言っていた。 フライデイナイトには二人で気に入りのジャズバーに行ってさ、ジャジーなソングを聴きながらマティーニを飲むんだ、なんつーか小洒落れてる感が二人には似合わな過ぎて笑ってしまうね。電話越しで笑いながら興味もないスポーツ番組を流してお喋りタイム。金曜の夜を楽しみにして彼は一人で眠りにつく。 サマーナイトが徐々に秋の香りを乗せて肌に冷たく吹いてくる頃には彼から笑顔が消えていった。 数何万回目の涙はとてもしょっぱくて、なんだか根っこから腐ってしまいそうなくらいに切なかった。 私は、君がどうして悲しいのかを知らない。 涙の味と音と数は覚えているのに、なぜ涙を流すのかが分からないことがちょっとだけ悔しかった。 ぽとぽとぽとり、ベッドに横たわって、傍に座る彼の手を握って、ただ声を抑えて泣いていた。静かに。でもやっぱり眼を開くのが怖いから眼を瞑って泣いていた。 ぽとぽとぽとり、残していくのが怖いんだ。 小さな呟きはきっと彼の耳に届いていた。 だから彼も静かに泣いたんだろう。 ぽとぽとぽと、ぽととぽとぽとり。二人分のしょっぱい涙がフローリングに落ちて音もなく砕けた。ああ、しょっぱいしょっぱい、もうお腹がいっぱいだよ。 泣き腫らして真っ赤になった目ん玉と瞼を囲う赤らみがより一層、彼の顔色を悪くしているのに、朝日だけは燦々と輝いてベッドルームを照らし、彼の力強いオレンジ色を輝かせた。 天使の輪っかが出来てるね。 そりゃあそうさ、だって俺、エンジェルになるんだもん。 …、綺麗なエンジェルだ。 神様が惚れちゃうかもね。 ジェラシーだなあ。 ふふふ。 二人分の声だけが充満するベッドルームにはここ数日の間、人の出入りが激しい。 君のダディだったり、可愛いツインズ達だったり、友人だったり、説教たれの婆さんなんて珍しく説教しないでただ「大馬鹿者が」って呟いて君の額に愛しくキスを贈っていた。一番煩いのは友人たちだったね。馬鹿騒ぎも程々に!だなんて階下の大家に叱られていた、その時君は大笑いしていた。 彼と君だけのベッドルームタイムが一番静かで心地よかったけれど、なんだかしょっぱいなあって私は思ったんだ。 囁かな会話の後に訪れる沈黙が少しだけ耳に痛かったから、秋風が吹雪いてサイドテーブルに置かれたグリーンのマグカップを落してくれたらよかったのに。そしたら少しは彼、慌てて掃除しようとするだろう?そうしたら君は笑って彼にこういうんだよ「あんたが掃除だなんて珍しいこともあるもんだ!」お得意のジョークを飛ばして彼を苦笑させるんだ。そうそう、そう言えば彼、数週間前に台所を綺麗にしてたよ。きっと君はそれに気付いていることだろう。 黒猫のミッキーは嫌そうにしながらも彼の元を離れずにずっとくっついたまま。 鬱陶しそうに引っ掻いてたピンクの首輪、実は彼女の大のお気に入りだって事を彼は知らないで眠りに就く。グッドナイトミッキー、きっと明日も素晴らしい一日になる事を願って。呟いた彼の声にニャウと答えたっきり、寝た振りをするミッキーは、主人が眠った後に起きてその血色の悪いほっぺをペロペロ小さく舐めるんだ。 ミッキー、君が流せない涙を毎晩のように流している事を私は知っている。 この部屋はたくさんの涙の跡で汚れているんだ。 数年前に大ゲンカをして彼との別れを予感した時なんてとてもじゃないけどひどかった。 散々っぱら泣いたのにまた泣いて、ウォッカをボトルのまま煽ってはまた泣いて泣いて。ラブユー、ソーマッチだなんて柄にも無く呟いてまた泣いてたりした彼の涙が私の上にボトボトと落っこちる。 そんなに泣いてるのにまだ枯れないのか。不思議に思ったりもした。 悲しい涙もうれしい涙も喜びの涙も悲痛な涙もいっしょくたになって零れて汚すんだけども、透明な汚れは目に見えないから翌朝の掃除機によって吸い取られてしまうんだ。 私は、君が何万回泣いたのかを知っています。 不変しない朝と夜が訪れて、またもや変わらないフライデイナイトがやってきてもベッドルームから彼は出ない。同じく彼も出ない。ずーっと彼の隣に居て本を読んだり時には苦手なジョークを言って彼を苦笑させたり、ビスケットを食べたりカフェオレを飲んだり。 何かお話をして。 何が良い?シンデレラ? そんなに子供じゃないよ。そうだな、…俺がいなくなった後の話。 彼の声が突然途切れた。 ハハ、笑った後で沈黙が訪れる。 「話、して?」 「…考えたくないだけですよ」 「なんで」 「…ワイノット」 「教えて。不安になっちまうよ。朝は6時に起きて帰れる時まで仕事してる。夜はどうするの?ご飯はちゃんと食べなきゃ、ドクターが不健康なのは患者さん達に失礼だし商売アピールもできやしないじゃん。煙草は一日に何本?」 「…5本。でももうやめたよ」 「グレイト、それは俺のお陰だって思ってくれてもいいぜ?」 「はは。…そうだね…うん。全部、君のお陰だ」 「…悲しい顔をするな。泣くな、って言うのは無理なお願い?」 「………」 長い長い沈黙の後でポトポトポトリってお馴染みの涙の音が聞こえた。 落ちてくる雫は今までのどの涙よりもしょっぱい。しょっぱくて、私までも悲しくなってきた。 無理難題だ、彼は苛立った様子で呟く。 小さな小さな怒りを混ぜた声だった。 鼻をすすりながら震えた声でもう一回、無理だよ、と今度は優しく答える。 彼のオレンジ色の髪の毛を撫でて彼を見て、力の入らない手を取って、祈りを捧げるように両手で包んでそこに額をあてて懺悔のポーズを取る。 俯いた彼の顔が見えた。 金髪の髪が顔にかかろうが、眼をきつく瞑ろうが涙は透明だろうが、なんて悲しい顔をするんだろうと言うのは一目で窺える。 なんて、悲しい表情をするのだろう。 コズ、アイラブユーソーマッチ。 君が居ないととても寂しい。 彼の弱音と本音が涙の雫にたーっぷり含まれて私に落ちてくる。 ああそうだ、この部屋はここ数か月の間で随分いろんな人の涙が吸収されている。 ダディの涙だったり、ツインズ達の涙、友人の涙に、上司の涙。彼の涙と彼の涙。数々の涙が私を濡らしてしょっぱくさせている。そうそう、ミッキーも泣いていた。 人生の物語にフィナーレなんて訪れない、少なからず私はそう思っている。 現に今だってこの部屋は別のストーリーが刻まれている。 彼は安らかに笑って病院でエンドロールを流した。葬式はまるでパレードみたいだったと彼は話す。 「幸せでしたか?黒崎さん」 「ああ、なかなかに幸せだった。…悔いが無いと言えばウソになる。」 けれど、まあ…うん。なかなかだったよ。言葉じゃ語りきれないくらいだ。 彼は苦笑しながらも笑ってみせた。 「一時はあなたの涙でしょっぱい気持ちでした」 「はは!悪いことをしたな、泣き上戸なんだ」 「そうそう、酒に弱い癖にウォッカだけは好きだった」 「良く見てたな」 「ええ、だって私は」 あなたのハッピー・エンディングを最後まで見ていましたもの。 「俺だけのハッピー・エンディング。最後までご鑑賞頂き、ひどく光栄です」 彼は英国紳士的にお辞儀をしてフフと笑った。 A little bit of heaven ケイトハドソン主演の「私だけのハッピー・エンディング」という映画を観て。時間があれば観て欲しい映画のひとつです。途中から泣きます。ええ、泣きました。 |