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女が欲しくなる夜がある。
生殖本能ではなく、ただ単に悦楽が欲しいだけの衝動が体を走り抜ける夜がある。そう言う時はどうしても欲を抑える事が出来ない。気難しい言葉なんて嫌いだから本能に忠実になるのみ、今は行動する。
三日月が綺麗な夜、と情緒に胸を膨らませる余裕などないし寧ろ夜空にも月にも浦原は興味なんてない。今はただ下卑た夜に下駄を鳴らして花街へ足を進めるだけ。
馴染みの遊郭は浦原の金髪をお月さんみたいだと揶揄するも彼は何の感慨もなく彼女を引き寄せて少々手荒に口を奪う。彼等の間に会話らしい会話なんて存在せず、彼女は彼が望むままに足を開いて悦楽を与えるのみに存在している。それを確り、彼女は弁えているから浦原のお気に入りであった。
無駄口を叩く女、あからさまな声を出す女、探りを入れてくる女、慕情を盾に絡む女は嫌いだし彼は女を心の底から愛しちゃいない。愛せない男なのだと彼女は初めの逢瀬で悟った。長年、この職に手を染めちゃあいるが、なんとも空っぽな男だと女は思うた。
月色のくすんだ美しき金色も、この国の新緑を濃く映した彼の瞳も、技巧的で無愛想な端正な顔も何もかも。空っぽだと感じながら彼女は今宵も空っぽな男に足を開く。

"今夜は月が綺麗"、女が煙管を吹かしながらそう言ったので縁側付近に腰を下ろしていた浦原は小窓からそうっと顔を覗かせて天を仰いだ。月なんて遠の半刻程前に消えてしまっている。あの空の向こう、遠く遠く、うっすら涼しげな秋の雲に覆われて鈍い光だけで輪郭を象っているくらいで姿をはっきりとは表していない。
彼は一息紫煙を吐き出しながら「見えないっス」とおざなりに呟いた。
一瞬だけ寄せた彼の好奇心、たったそれだけで彼女は満足だったのかもしれない。彼を視界に居れず、目の前で揺れる紫煙だけを見つめながらフと笑った。
そうかい、そいつぁ残念だねえ。女は呟いた。それっきり、彼と彼女が会話する事はなかった。

***

かららんころろん、下駄の軽い音が夜を染める。
帰路についた浦原の体を包むのはくすんだ緑色の甚平と秋の刺さるような夜風。末端の冷え性な彼の指先は冬でもないのに凍てつき感覚を根こそぎ奪う。浦原は感覚を呼び覚ます様、握っては開き握っては開きを繰り返す。からんころろん、ころろん。酒も抜けた体は真っ直ぐと帰るべき場所へと進むものだから、面白味をやや半減させた。
ふと、もう一度気になったので夜空を見上げる。
"またお越しくんなんし"
乱れ髪を直そうともせず彼女は気だるげに手を振るう。袖から伸びた華奢で真っ白い手首を思い出したから浦原は夜空を見上げて彼女が呟いた月を探した。
矢張り、月なんてどこにも見当たらない。
立ち止まって探すのも億劫で浦原は早々に興味を無くし歩みを進めた。
帰ってゆっくり眠りたい。くああ、大きな欠伸を噛み殺す事などせずに大口開いて酸素を吸っては吐き出す。渦巻く欲が発散されれば到来するのは惰眠で、そのせいか体内を駆け巡る睡魔が体の中央部分だけを暖かくした。厄介な火照りではなく、やや心地の良い火照り具合に浦原の足は速まった。
からんころん、かららころん。
死んじまった蝉に代わり鈴虫が鳴く秋の夜。久方振りに下駄の侘しい音が辺りに響き渡る。

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