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クラスメイト2


フルーツナイフで切り込みを入れた瞬間、ブワリとオレンジの香りが鼻をかすめた。あ、思い出すなあ。柑橘系の爽やかな香りを吸い込んで浦原は瞼を閉じる。

1人で越して来てから最初の春は煩いアラームの音で偏頭痛を兼ねての登校となるあまりにも不憫な物だった。
真新しい制服は灰色のブレザーに細いグレイのストライプが入ったシャツ。春と言ってもまだ風の冷たさは冬そのものだからおざなりにマフラーを巻いてマンションを後にするが、いかんせんマフラーがあっても寒いものは寒い、元来寒がりで末端の冷え症な浦原は偏頭痛のせいで発症した目眩をやり過ごそうと指で眉間を摘みながらスローなペースで歩んだ。
現在時刻午前10時40分。大幅に遅刻な時間帯であるにも関わらず浦原は急ごうとはしない。心の中でいっそサボろうかと考えるも数歩先にうっすら見えるオレンジ色が同じ制服に身を包んでいた事もあって辛うじて学校への道を歩んでいる状態だった。
あー、すっげえ頭痛い。
体の不調を訴え続ける忌々しい頭痛はやがてニコチンが欲しいと信号を送りつけた。チラリと横に見た路地裏は街の明るさとは打って違い仄暗い、ちょうど良い隠れ蓑が浦原に手招きし、路地へと足を向けたちょうどその時だ。
目前の人ゴミがザワッと急に騒ぎ出し、前方から1人の男が人の流れに逆らい蹴散らしながら走ってくるのが視界に映し出される。
スーツを着たサラリーマンがおい!と罵声をあげ、財布を片手に持ったOL達がきゃあ!と叫ぶ、血相を変えた男の背後では女性が「その人止めて!」となにやら騒がしくまくし立てている。日常が一変して刑事ドラマのちまっこいフィクションを繰り広げた事に浦原は目をぱちくりと見開いた。視点の定まらない視界に男が近づいて来てるのが分かる。分かるが、何も出来ずに足は地面に縫い付けられたまま。マズイと思った瞬間に鼻を掠めたのは爽やかな柑橘系の香り。
そして次に映ったのは目前のオレンジ色が突進する様に走ってくる男に向けて綺麗な回し蹴りを繰り出した場面。顎下から強い打撃を受けて男は後ろにひっくり返りノックダウン。仰向け状態で倒れた男と対峙するオレンジ髪の子を見て周りの大人は一様に騒ぎ立てた。警察を呼ぶ者、空気を読まずに拍手する者、オレンジ髪の子に向けて冷たい視線を向ける者まで様々だが浦原は目前に突っ立ったまま微動せずにオレンジ色を眺めていた。
一瞬の出来事だった、本当に一瞬だ。場面が急速に変動している、まるで早送りの悪質なムービーを見せつけられている様で未だに目がチカチカしている。これはきっと偏頭痛のせいではないはずだ。クリアではない視界で唯一はっきりと見えるのが真夏の太陽をそのまま映し出したかの様なオレンジだった。

*******

良い香りだったな。思いながらゆっくり歩く廊下はひんやり冷たい。宛がわれたクラスナンバーは1-C。やっと偏頭痛が頭痛に変わって少しずつではあったが和らいできて視界も幾分かクリアになった。ぺたぺた、事前に受けとった上履きなんて物をまんまと忘れてきたので来客用のスリッパを足にひっかけてゆっくりとクラスを探す。ふわり、開いた窓から舞い込む桜の花びらが浦原の目前を通り過ぎた。白なのかピンクなのか分からない曖昧な花弁に目を奪われ追っていたらあの時と同じ柑橘系の香りが鼻を掠めたので前を振り向く。

「あ」

口をついて出た言葉はたった一文字。
教員らしき女性と共に前方から歩んできたオレンジ色はあの時見た同じ色彩だ。色濃いオレンジに日の光が当たってキラキラしている。浦原が歩みを止めれば女性教員も「あ」と同じく一文字だけ発した。

「おい、そこ、あんた浦原でしょ?浦原喜助くん」
「あ、そーっす」

オレンジ色しか目に入ってなかった浦原は突然名前を呼ばれた事に取り敢えず会釈して返す。

「あんたねえ…もう入学式終わったっての…全くどこで油売ってたの。おいで、君のクラスこっちだから」
「…どーも」

呆れたと言わんばかりの溜息を吐いたメガネの女性は手に持つ出席簿をひらひら動かし呼びつける。それに従って歩んでいけば柑橘系の香りは濃厚になった。やっぱりと思う。
数十センチ低い身長、濃いオレンジ、一度だけ浦原を見て首を少しだけ動かし会釈した彼に浦原はもう一度どうもと小さく呟いた。

「あんた達ねえ。結構悪目立ちしちゃうよこれ、遅れてクラスに入るわけだからさ。とびっきりの自己紹介でもして株上げときな」

凡そ教員らしかぬ言葉使いの女性はキビキビと発しながら歩む。彼女の後ろを着いていく形で浦原はオレンジ色の横に並んだ。
全く、とぶつぶつ呟きながら出席簿を確認している教員を見てからもう一度、横に並ぶオレンジを見る。強い柑橘系の香りはやっぱり隣から香ってきていた。浦原の好きな香りだ。

「…まじまじ見てんじゃねーよ」
「え?」
「…これ、珍しいかもしんねーけどな。地毛だし、そっちはどーか知らねーけど」

ふて腐れた様に前髪を摘む仕草でやっと髪の毛の事を指しているのだと分かった。頭痛と柑橘系の香り、そしてあの時の光景が邪魔して思考回路が上手く機能しないでいる浦原は遅れてアアと返答する。

「コレも地毛、って言うか君、オトコノコだったんですね」
「ああっ!?」

彼が声を大きく張り上げドス低く唸ったと同時に教員は教室のドアを開き、驚きながら後方を振り返っていた。静かだった筈の廊下に響く叫び声。

「てめえ!どこをどー見たら女子に見えんだよ!」
「朝は頭痛してて」
「ああ!?」
「メガネ置いて来ちゃって、家に。ド近眼なんス」
「コンタクトしろ!」

凄い速さで胸ぐらを捕まれてるなあ、と呑気に思ったが口をついて出てくる言葉達はペラペラと彼の問いにそれ以上の返答をして眉間に皺を深く刻ませた。距離が近ければ近い程、柑橘系の香りは強まる。オレンジだろうか、グレープフルーツだろうか、それでも浦原の好きな果物の香りに間違いない。
あ、シャンプーかな?
ふわりと目前で揺れるオレンジの髪から香ってくる。呑気に考えを巡らせていたら手痛いストレートが右側から降り掛かってきた。
突如目前でらんちき騒ぎをおっぱじめた生徒の止めにも入らず、出席簿を抱えた教員は呆れた眼差しをメガネ奥に隠しながら深く溜息を吐いて「初っ端から青春か。」と呟くだけだった。
春の木漏れ日が目に暖かでオレンジ色がやけに印象的な出会いの春だった。


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