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レナード・コーエン


アテイションプリーズ・アテイションプリーズ
キャビンアテンダントの少し棘のある柔らかな声色で浦原は目を冷ました。まだ薄暗い旅客機内は所々でぼんやりとしたオレンジ色の明かりが点く。キャンセル待ちで取った席はエコノミークラス。もう少し段階を踏めばビジネスクラスのチケットが取れたが最短でも一週間後と言われたので笑いながら無言で首を降った。早る気持ちが手先に現れる。細かく震えた指先は浦原自身を叱咤しているみたい。情けないにも程があるじゃないか浦原喜助。震えがそう伝える。
浦原はくああと小さく欠伸をし、目尻に浮かんだ涙の粒を指先で弾く。放送ではどうやら雨模様らしい。LAはあんなにも晴れ渡った色を見せていたと言うのに。
雨…。考えて軋んだ足を前の座席下の僅かな隙間に入れて形ばかりの背伸びをする。体のあちこちからミシリと音が鳴った。これは…11時間余りも良く耐えた物だ。もう二度、エコノミーになんて乗らないと心に決めて持ち込んだiPodの電源を入れた。
黒のイヤフォンをかけて選び出したフォルダから音楽を再生させる。
Pennyroyal Tea,
ニルバーナのunplugged in new yorkに収録されている曲でもある。アコースティックギターのAmから始まる。本来ならエレキギターでロック調に演奏される曲であるが、1994年にニューヨークのソニースタジオで収録され、MTVアンプラグド出演時、そこで演奏された浦原の一番のお気に入りだ。
学生時代、少しだけコピーバンドなるものを組んでいた時に出会った曲でもある。彼のしゃがれた声とサウンドに大層惚れ込み、今思えば恥ずかしいが、彼の真似をしてワンレンにした事もある。それくらい、彼はカートコバーンに恋をしていた。
敬愛するカートの年齢を越した今も変わらずに浦原の中で上位にランクインしているバンドだ。
Throughout you know the same,
おどけてみせるカートの姿が瞼の裏に浮かんだ。世界を愛して止まなかった筈だ、彼は。
ギターソロに入った歌の佳境でそうっと瞼を開く。簡単なコードに聞こえて実は難しい。絶妙な力加減と基礎技術を数多に使い分け、そして即興で生み出したコードを無視したメロディの進行は、素人によるアコースティックギターでの演奏には不向き。流石と言うべきか一護は簡単にPennyroyal Teaをそれは立派に演奏しきってみせた。
浦原は思い出す、暖かな西日が射す部屋の中で響いたギターのメロディを。そして一護の声を。



「おや。ペニーロイヤル・ティーですね」
「え、知ってんの?」

撮影はいつも2時間と決まっていてそのほとんどがスケジュール最後であるから、撮影が終了した後は二人で珈琲を飲みながら談笑する。
いつ頃から始めたブレイクタイムだったろう。拷問に近しい彼の、びっしりと詰まったスケジュールに組み込まれたひと時。本来なら直ぐに帰って睡眠を貪りたいだろうに。一護は自ら足を留めて浦原の淹れた珈琲を飲む。長い時で一時間、短くて30分程度の談話を浦原も凄く気に入っていた。
手に持つマグカップのひとつを一護に渡し、黒の革張りのカウチソファに座る。一護はソファには座らずラグ上に胡座を掻いて座りソファに凭れていた。

「アタシは彼の大ファン」
「知らなかった…」

カップを手にサンキューと言って口を付け恐る恐る流し込む。淹れたての珈琲は白い湯気を燻らせ一護の舌先を焦がした。あちち、一護が舌をちろりと出したのを見て浦原は笑う。

「熱いから気をつけてって言ったのに。」
「…っせー…。いつから?俺もすげー好きなんだ、ニルバーナ…」
「うーん。15?16だったかなあ…学生の頃ですよ」

ふーん。一護は考えながらマグカップの中を覗き、これはまだ飲める段階では無いなと判断して浦原が用意してくれたトレイの上にカップを乗せ、共に出されたチョコレートを一粒口に入れてから再びボロンと弦を弾く。

「なんつーか…やっぱりあんたの学生時代って想像出来ねー」
「酷いなあ。アタシだって人の子っすよ」

煙草に火をつけて笑う。ラグ上のマグカップ二つは白い湯気をそれぞれに燻らせ、そして浦原は紫煙を燻らせた。

「…学ランとかすっげー似合わなそう。ブレザーだった?」
「ブレザーですよ。こっちの学校じゃないから私服に近かったっスけどね」
「ああ。ならまあ…うん。想像は出来る、かな…」

顎に手をあてながら考える素振りを見せる一護の頭を目一杯撫で回す。やめろ!叫んだ一護の頬は少しだけ赤い。

「一護さんは?学ランでしたか?」
「そうだよ。だっせえ黒学ラン」
「ああ…いや…凄いしっくりくる」

顎に指をあて考えて、うんうんと首を振ってみせれば眉間に皺を濃く刻む。

「なんつーかヤン」
「ヤンキーじゃねえからな」

遮られた言葉にクク、と喉で笑って睨みあげてくる一護をソファに腰を下ろしながら見た。お行儀悪くも片足を上げ乗せ、ゆったりと寛ぐ。これ以上は何も言わねーぞ、尖った唇がそう告げてるのを見て今度は笑いを押し殺した。気を抜くと口角が緩んでしまいそうだ。
ボロン。アコースティックギターの優しい音色が夜を染める。窓の外では小雨が世界をしっとり濡らしていた。

「やっぱり。学生の頃から?」

煙草の煙を燻らせながらコーヒーを飲む。

「音楽?…まあ、そうだな。修兵に誘われて」
「同じ学校だったんだ?」
「いや違う。つーか近所なんだよ。家…」
「…ふーん」
「なんだよ」
「なんでも」

ピックを弦の間に挟み僅かに睨む。少しだけ困惑した様な面持ちに浦原も態とはぐらかした。
鳴り止んだアコースティックギターの音色が雨音に変わる。



サアア。耳を澄ましたら聞こえてきそうな雨音に浦原は瞼を開ける。また寝ていた様だ。僅かに残る耳鳴りの音が右耳を重たくさせ、喉を痛めつけた。
なんとも、子供っぽい感情だったらしい。
例えば、自分が日本で育ち、一護と同じ街で産まれ年も近く尚且つ同じ学校へ通っていたら。同じ音楽を好きになり歌をこよなく愛し創作意欲に長けていたら。彼の名前では無く僕を呼んでいただろうか。そう考えたら心が痛んだ。そんなガキっぽい感情で言葉は勝手に意図と反する事を告げてしまう。ちぐはぐな心とざわめく感情。なんだ、これが恋か。しっくり来る感情の名前に、あの時は心底怯えてしまっていた。否、今でも少し怖い。
あの時も確か雨だった。浦原は閉ざされたブラインドを少し開いて外を見る。曇った光が射し込み旅客機内を白く染めた。後少しで到着、耳に残るカートの声が甘く掠れては胸を締め付け鼓動を早める。焦燥感にも、高揚する音にも似ている胸の鼓動があの日の雨を思い出させては一護の笑顔を曇らせた。
笑うと…彼は笑うと左口端に可愛いえくぼが出来る。どこでもドアがあれば良いのに。いつか冗談めいて話した事を今度は切に願う。今すぐにでも側に行きたい。震えた小指が再び浦原を叱咤した。


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