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夢を見た。
ステージに立って見る観客席は真っ暗。沢山の観客が居るのは知っていた。闇の中で蠢く影がそれと分かるくらい煩く動き回って居る。後方で鳴るベースとギターとドラムのバス。聞き慣れた音響が渦の様に巻いて耳に流れ込む。マイクスタンドは一本。照明は一護一人だけをライトアップし周りを黒に染め上げた。
ひとつひとつの弦が音を何重にもして奏でて歌を生み出す。口を開いて初めの音を紡ごうとして失敗した。音が、声が、出てこない。メロディーは鳴り続ける、中断する事のない音響は一護を焦らす訳でも責める訳でもなくただの音として周りに充満した。闇の中で充満した。ああそうだ元から声なんてなかったのだ。感じる事で絶望を甘く変化させ、マイクスタンドから手を外して諦めた。なら、歌う事もしなくていい。響かない心の声が自身の脳内にだけ響いた。観客席の真ん中、唯一一箇所だけライトアップされた所に浦原を見る。あ、と思った時には目と目が合っていた。
浦原。浦原。
口は名前を象るのに声は変わらず響かない。鳴かない虫になった様だ。羽音だけを響かせ意思を伝えんとする声無き虫。
浦原は笑った。ステージの真ん中で歌う事を諦めた一護に向かって優しく微笑んで見せた。瞬間、一護の心を襲ったのは今までに感じた事がない焦り。
駄目だ、行くな。本心が足を動かす。動かすのに距離が縮まる事なんてない。浦原はただ笑っている。声をかけるでもなく近寄る訳でもなく。柔和な笑みに浦原の背中を見た。
駄目だ、行くな。
同じ事を何度も何度も思った。違う、叫んだ。出ない声を吐き出そうと躍起に藻掻いた。
少しで良いんだ浦原、少しだけで良いからお願い。俺の声を聞いて、聞いて下さい。
何時の間にかステージは2人だけの世界になっていた。二人ぼっちなのにこの距離はなんだ。世界に二人だけなのに、何故、触れ合う事も言葉を交わす事も、思いが伝わる事もないのだ。切なくなって苦しくなって歌った。声無き声で必死に歌い上げた。

そこで目が覚めてアアと口を開いた。声なんて出ないのになんて無様か。夢で良かったと心底思い煙草の香りがする枕を抱き締めた。
修兵が開けたのだろうカーテンの向こう側で太陽は燦々と輝く。目に見える暖かさを裏切って外は良く冷えてるだろう。冬の温度を思い出して身震いをひとつ。借りたラグランとスウェットが外気を吸収して寒い。靴下を買おう…。布団から出した裸足がフローリングの冷やかさに泣いたので眠気眼のまま、再び身震いしながら洗面所へ向かう為に寝室を後にした。

修兵は仕事だろうか?しんと静まり返るリビングに人の気配はない。一人暮らしにしてはやけに広いシステムキッチンを通り越し廊下左にある風呂場へと足を運ぶ間に見たリビングソファの上。放置しっ放しの新しい携帯は蛍光緑の発色を点滅させて着信を知らせている。そう言えば…思い出して一人で赤面した。馬鹿みたいに感傷的になった夜が鮮明になりふやけた脳内をきっちりとした目覚めに誘った。
少しだけ暖かい室内は肌に心地良く、ふかふかなソファの誘惑に負けて洗面所へ向かう前にソファへと腰を下ろしていた。
こんなにのんびりと過ごすのはいつ振りだろうか。何かと忙しい日々の繰り返しで朝がこんなにゆったりとした空気を纏っていただなんて初めて知る。
あ、今…。
静まり返る室内に射し込む冬の陽射し。そして朝の音が脳内に言葉を浮かばせた。
一護は咄嗟に携帯を開き、メモを作成して文字を打ち込む。思い描く言葉は常にあちらこちらに文字として記憶する。その都度思った事が積み重なって歌となるのだ。この脳は容易く歌を生み出す。職業病と言ってもおかしくないがこれは一護の趣味でもあった。
カチカチ、未だ慣れない指使いで文字を打ち込みながら思った。いつ、この声は戻ってくるのだろうと。徐々に打ち込むスピードが落ちる。
そうだ。いつ。戻ってくるのか?ストレスだと医者は言った。自身の溜め込んだストレスが声を押し殺しているのだと言った。
そうだ、いつ?打ち込む指は完全にストップし、一護の瞳は冬の陽射しが作り出す影を見た。
空を見つめる素振りが眼球に付着し脳内をあやふやにさせては虚無に似た絶望を植え付ける。駄目だダメだ。ハッと息を吐いて首を横に振った。気持ちが暗くなると世界も暗くなる。単純な心理動作に自分の心を誤魔化しては再度携帯を見て今度は着信履歴を開く。
AM9:34。しゅうへー
AM10:44。オッサン
一護は口を開いてクハっと笑った。声は出ないが雰囲気だけでも味わった。馬鹿じゃねーの声でねーっつーの。究極のブラックジョークに自分一人ででウケていた。きっと二人ともハッと気付いてメールをしたに違いない。新着を知らせる表記もあったからだ。
メールを確認、とボタンに指先が触れた所で見慣れた文字を目が捉えて動きを留めた。なんだ…?一護はゆっくり瞬きを繰り返して表記された文字を目で追う。
AM3:14。浦原
深夜に響いたであろうバイブレーションの鈍い音が鼓膜で鳴り、低く掠れた声が共鳴した。そう、少しだけカート・コバーンの掠れ声に似ている甘い濁声。
あんな声に成りたくて煙草を吸い始めたんスよ。
照れ臭そうに笑った浦原が瞼の裏に浮かんだ。まさか、だろう?何度も何度も確かめる。まるで目に刻みつけてるみたいに何度も浦原の文字をなぞった。
浦原。
口を開けども声は出ない。さっき見た夢の続きをリアルに感じている。
一護はそうっと目を瞑ってソファに身を預けた。不思議と、穏やかな睡魔が一護を襲う。背中に感じる日溜まりの暖かさとブランケットの質の良い肌触り。心は乱れているのに呑気なもんだ、皮肉気に笑った後で夢の中へ足を踏み入れた。


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