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築十数年だろうと思われる少しだけ草臥れた灰色のビル一階にスタジオはある。
去年リフォームされ、全てがフローリングのトイレ付き20畳程の1ルームな室内は窓が2つ付いており日通りも良い。尚且つ繁華街の外れにある為、周りは然程五月蝿くない所が彼のお気に入りでもあるらしかった。
様々な色彩のステッカーが貼られたドア。ガラスにはCLOSEと書かれた札が貼り付けられているが浦原は構わずドアを押す。案の定、ドアベルがささやかなメロディを奏で扉は開く。
相変わらず無用心だな。苦笑してガランと静まるスタジオをぐるりと見回す。入って5秒、頭の中で数を数えて体制を整える。
3、2、1。
ワンワンワンッ!!

「ステイ!!ストップっスよ!コン君!」

レジスタの裏にある扉の奥からドスンドスンと言う大袈裟な音が聞こえと同時に開いたペットドアから出てきた大型犬ゴールデン・レトリーバーは浦原の静止も聞かずに飛びついてきた。
いつもだったら飼い主の足元で大人しく寝ているのに、首輪がなければこうしてじゃれつく。自身の大きな体を意識していないようだ。彼はまだ子供だから遊びたい盛りなんだろう。
わふわふと尻尾を振りながら浦原の首元に鼻をすりつけてきたゴールデンに呆れて溜息を吐いた。

「なにやってんの」
「……躾がなってなくないですか?この子、お客にもこうなの?」

後からのんびり、ドアを開けてやってきた一護は咥え煙草のままニカリと笑って「お前にだけ〜好きなんじゃねーの?」と悪戯めいて言った。
未だ興奮状態のコンを撫でながら目の前で両手を挙げて何も無いとジェスチャーすれば少しばかり残念そうに尻尾で二、三回床を叩く。

「仕事終わり?」

浦原の横を通り、後ろのドアの鍵をかけてからカーテンも閉めた。それだけで射し込む日光が半減し、部屋の中は薄暗くなる。
思えば昼から出かけ、午後はずっと情報兼運び屋の青年と共にしていたから時間を把握していなかったらしい。夕方に近付いた時間帯を太陽の光りが教えてくれた。ひとつだけ頷けば愛想悪くもふーんとだけ返答がきた。

「コーン、おいで」

軽く口笛を吹きながら手を叩く。
ワン!鳴きながら一護の元へと駆け寄り足元をぐるりと回りながら尻尾を振る。一護が低い声で「シットダウン!」と言えばさっきまでの煩さが嘘の様に大人しくなり、しゃんと背筋を伸ばして綺麗に座った。
ヒュウ。思わず口笛を吹いた浦原を横目で見ながら、デスク上のささみクラッカーを取り出して鼻先まで持っていく。
少しの間、互いに無言で見詰め合ってたかと思えば「グッド」の合図と共にお行儀良くクラッカーを咥え食べ始めた。

「なんだ、ちゃんと言う事聞くじゃない」
「当たり前だ。ゴールデンだぞ?」
「ゴールデンでもお馬鹿さんは居ますよ」
「おい、コイツの事じゃねーだろうな?」

眉間に皺を寄せて下から睨みあげた一護に「さあ」とだけ答え、両手を肩辺りまであげてみせる。
タトゥーベッドの横に置かれたカウチソファに腰をおろし、内ポケットから取り出した煙草に火を点けて吸い始めた。体の芯にニコチンが沁み込むのが分る。浦原がゆっくりと紫煙を吐き出しているのを見ながら一護は「コーヒー飲むか?」とだけ聞いた。

「お願いします」

なんだか今日は疲れた。久しぶりに外出したからだろう。
浦原はソファに深く身を沈めたまま、眉間を指先で摘んで押さえる。スーッと疲れが引く感じを一瞬だけ味わったが身体は随分素直で、足先から段々と重たくなっていった。先程まで居たファミレスから電車を入れて約10分の移動。最寄り駅からは徒歩10分程度。

「なに、疲れてる?」

白いマグカップ二つを手に持ち、咥え煙草のまま一護は浦原の隣へ腰かける。
指先で煙草を挟みながらカップを受け取った。

「どーも。…いや、なに。ちょっと運動不足が祟って」
「ああ。年だもんな…」
「ちょっと。一応、まだ20代ですけど」

20代を強調すれば一護が眉間に皺を寄せたまま、笑う。

「三十路だろうが」

隣から軽いパンチが飛んできたので笑いながら避けた。
淹れたてのコーヒーは白い湯気に香りを乗せて鼻腔を燻り、偏頭痛を抑えてくれる。短くなったフィルター煙草を灰皿に押し付け火を消し、ゆっくりと飲む。最初に熱い温度が舌先を刺激し、次にコーヒーの酸味がのっかる。火傷しない様にと隣からはフー、フー息を吹きかける音が聞こえた。彼は意外にも猫舌だ。
コーヒーを一口飲んで浦原は微笑した。知らずの内に声を出して笑っていたみたいで、隣から無言の圧力がかかる。甘い琥珀色は「なんだよ」と不機嫌に歪められていたから、優しく「なんでも」と柔和に笑んでみせる。すると案の定、唇を尖らせたままフンと顔を反らされた。

コーヒーの香りを嗅ぎ付け一護の足元に寄って来たコンが羨ましそうに二人を見上げる。
好奇心旺盛な彼はまだ5歳の子供で、浦原と一護が口に含むものは全て、自分も食べて良い物だと勘違いしてしまっている部分があるから少しだけ厄介だとこの前一護が苦笑交じりにぼやいていたのを思い出した。

「いーよ。」

コンの瞳を見ながらポンポンと自分の隣のスペースを叩く。一護の合図を待ってました、と言わんばかりに勢い良く飛び乗ればドスンと振動が伝った。
浦原と一護の間、開けた小さな隙間に大きな身体をよいしょよいしょと収める姿が可愛らしくて一護は笑いながらコンの垂れ下がった耳に唇を寄せる。

「ちょ、狭い…」
「文句言うな!こいつはまだ甘えたい盛りなの!ほら、コン。ちゅー」

マグカップを卓上に置き、家履きスリッパを脱いでお行儀悪く足を乗せながらコンの顔を両手で挟んで鼻と鼻をくっつける。ワフワフと尻尾を左右に振りながらコンは一護の唇を舐めた。

「尻尾!尻尾!コン君の尻尾、案外痛い!」

ビシバシと音を発しながら振り回された尻尾は浦原の腕と足、そして肩を叩く。
これじゃあいつコーヒーが零れるか知れたもんじゃないと、二次災害を防ぐ為、浦原も一護に習ってマグカップを卓上に置いた。

「良かったなーコン。立派な尻尾だってさ。お礼に浦原さんにも、ちゅー!」
「え、ちょっ!まて!待って!コン、く…わあっ!」

褒めたわけじゃない!そんな言葉も言えないまま、キラキラと瞳を輝かせ飛びついてきた大型犬に浦原は押し倒されていた。
きっちり着込んだスーツは前足によって変な風に捲られ、ぎゅっと噛み締めた唇を満遍なく舐められる。生暖かい舌先が容赦無く嘗め回し、若干ではあるが犬独特の匂いが鼻腔をかすめた。

「……一護さん…、本当、勘弁して…」
「えー。慣れろっての。嫌い?」

疲労が悪化した様な気がして、げっそりする。
一護はじゃれ付くコンを自身の方へ引き寄せ背中を撫でながら位置をチャンジした。
浦原の肩に身体を預けて凭れ、足で挟むようにコンと向き合って座る。すっかりご機嫌なコンはもっと遊んでと尻尾を振り、一護の腹部に前足を置いていた。

「嫌いってか…コン君時々怖い」
「大型犬、苦手?」

頭を反って浦原を見上げる。

「……少し」

甘い琥珀色に見られるのも、言わないけれど少しだけ苦手。

「へー。ヤーさんにも苦手なもんってあるんだな」
「ヤー……今時、その呼び方は古くない?」

大きく見開いた瞳が今度は悪戯気にニンマリと笑い、「古くなんかないですよー。」と言いながらコンの耳を両手で持ち上げパタパタと上下に振った。嫌がるでも無く、寧ろ楽しんでると見れる表情でコンもワンワン!と元気良く鳴く。
その耳がパタパタと動く様がアニメのキャラクターになんとなく似ていたものだから思わず笑ってしまった。
浦原は表情筋が硬い。
いつだってポーカーフェイスを崩す事なく、無表情に無感情に世間の波間を渡っている男は最近ではちゃんとした笑い方をする様になった。前までは本当に酷かったのだ。笑うにしても嘲笑とか冷笑とか、兎に角人を馬鹿にした笑い方しか出来なかったが、今ではちゃんと瞳も笑えるようにまでなっていた。それが、とても嬉しいと思う。
やっぱり、好きな奴の自然な笑いはこちら側も幸せな気分にさせるからだ。


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