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恋に奪われる音1



檜佐木修兵は25年間の人生の中で初めて例えようの無い憤りを感じていた。
それと言うもの、スタジオに遅れて入ってきた吉良と一護の纏う空気がかなりぎくしゃくしていたからだ。吉良はと言うと、一護の方に視線を寄こしながら狼狽えている。当の本人はその視線に気付いていない様だが……あれはどちらかと言えば世界そのものに感心がなくなったオーラだ。まるで自分は一人なんだと言っている様な華奢な肩を見て、らしくも無く舌打ちをしてしまう。

「吉良、一護のヤツはどうした?」

他のメンバー、そしてスタッフには聞こえない様に囁く。吉良は救われたと言う面持ちで修兵を見て、それから一護を見てポツリと呟いた。

「…それがですね…お願いされて…スタジオ来る途中に寄ったカフェから出てきたら、あんな風に…」

多分だが吉良は自分が何かしたんじゃないかと危惧している。
気が弱く根が真面目で優しいこの男は全ての出来事を自分の負い目にしがちなので修兵は吉良自身にも手を焼いている。吉良は相当混乱しているのか、発する言葉がどれもかみ合っていない様で要領を得ない。
それでも何となく察しはつく。大方、あの可愛らしいお嬢ちゃんから浦原の事を聞いたのであろう。
彼が今、日本に居ない事を第三者の口から聞いたのであろう。
怒っているんだか、逆に無表情なんだか分りづらい表情だ。

「…檜佐木さん、檜佐木さん、……黒崎さんの様子、おかしくないですか?………機嫌、悪いのかなぁ…」

怒ってんのかなぁ…。と小声で呟いてきたのはマネージャーの一人でもある山田だ。
八の字下がりな眉は今にも泣きそうでどこか頼りない。山田にそう言われて修兵は再び一護を見る。
パイプ椅子に片足を上げて置きながら楽譜を見ている。じーっと、穴が開くのではと思うくらいに凝視している。
一護が機嫌悪い、だって?修兵は思った。
眉間の皺は普段よりも深く寄せられていて、琥珀色の瞳は少しだけ伏せられている。いつだってコロコロと表情が変わるその面持ちが落ち着き、ひとつの表情だけを露にしている。
あれが、怒っているだって?修兵は小さく舌打をした。山田に聞こえない様、そして山田の頭を少しだけ小突いた。

「でーじょーぶ。怒ってない怒ってない」

極力そう言ってやる。すると吉良辺りも胸を撫で下ろしたかの様に安堵していた。

昔、遠い昔にたった一度だけ一護の涙を見た事がある。
大好きだった母親が病に倒れ、闘病生活を余儀なくされていた時に見せた表情と今の一護の表情は酷似している。
アレは、泣くのを懸命に堪えている表情だ。お兄ちゃん体質が根付いている一護だからだろうか、他人には決して涙を見せようとはしない。自分の弱音も、弱い所も全て。他人に寄りかかろうとはしない頑固者だ。その癖、自分の大事な者達を身を削って守ろうとする傾向がある。ちょっとだけ厄介。
一護が中学生の時だった。病で倒れた母親がとうとう帰らぬ人となった雨の日。世界が終わったかの様な表情の一護を見て、修兵はたまらずその華奢な身体を抱き締めた。力強く、だけれど優しく。何も言わず。ただただ抱き締めていた。
雨の音と噛み殺した様な嗚咽が耳に痛かったのを今でも覚えている。肩越しに聞こえる嗚咽が止むまで、修兵はずっと何も言わずに一護を抱き締めていた。ずっと、ずっとずっと。

「……馬鹿野郎が…」

小さく呟いた。
お前また、抱え込んでいるんだろう?一人で抱え込もうとしているんだろう?それで無理に笑おうとするんだ。それは昔っから変わってない。
悲しい時程、辛い時程、お前は笑おうとするんだ。こんな時、傍に居る俺は必要ないのかな、って思ってしまって……。思ったら俺までも悲しくなってくるよ。なあ、一護、お前。………

「…花ちゃん、レコーディングって何時から?」

吉良と同じ様に心配そうな表情で一護を見ていた山田が声を掛けられ慌てて手帳を開いた。

「えっと…30分後ですかね?……どうしました?」
「んにゃ、なんでもねー」

果たして、小さなマネージャーに見せた笑顔は、上手い具合に笑えていたであろうか。
檜佐木は一護の背中を見ながら遠い昔、耳を劈いたあの嗚咽を思い出していた。




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