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冬の冷たさ


黒のスライド式な携帯。その厚みもさることながら手の平にしっくりくる重みが気に入っていた。
液晶画面は大きく、デフォルメ化された文字達が良く見えるのもお気に入りの一つだった。
一護は物を大事にする。それは昔、母親から良く言い聞かされていた事だったし、一護の性格上、物に当たったり無碍に扱う事等無かった為このお気に入りの携帯は既に4年くらいの長い年月を一護と共に過ごしていた。

「やっぱり水分が中に入ってたらしくてですね、メモリーも何もかもぶっ飛んだっぽいんです…一応これ、パンフなんですけど。どれが良いか明日までに決めててもらえます?代わりに僕が契約してきますので」

吉良は淡々とそう言って、三人の前に携帯パンフレットをずらりと(それこそ何冊あんだよ?ってくらい多い)テーブル上に並べた。

「まあ変えたいと思ってた所だしな〜どうすっかな〜お!これ良いじゃん!」

隣で恋次は暢気に言う。手にしたパンフには赤いスライド式の携帯がでかでかと載っていた。

「…え、ちょっと待て吉良さん…メモリーもって事は……え?中に入ってる情報全部ぶっ飛んだって事?」
「そうですね…飲料水がいけなかったのかな?うーん…詳しくは分らないんですけどねメモリーは全部ダメだったらしいですよ?」
「……そ、っか…」
「もしかして…大事なの入ってた?」

今にもぶっ倒れそうなくらい真っ青な表情で吉良が言ったので一護は苦笑しながら首を横に振った。
本当は、大切な物が入っていたのだけれど。
実際さ、人って面白いよな。
今日は雑誌撮影の為、各自用意された控え室へと入り衣装やらメイクやらを施す。メイクも着替えも一通り済ませた一護は撮影場でふとそう思った。
壊れた携帯に入っていた浦原のメールアドレスと電話番号。既に消えてしまった情報達。
初期設定から変えた事無いと言っていたメールアドレスは不揃いな英数字が混ざり合い、長ったらしく覚えにくい。電話番号も覚えてないなぁ…だなんて思ったら突然、本当に突然だ。浦原に会いたくなってしょうがなかった。
なんで今日休みじゃなかったんだろう?

「…なあ吉良さん…」
「ん?どうしたの?暑い?」

斬月なら浦原の連絡先を知っているだろうけど生憎今日は営業に出ていて代わりに吉良が付き添っている状態だ。
それでも一護の性格上では斬月に面と向かって聞く事は出来ない。

「いや、暑くないよ。…あのさ、今日って空き時間ってあるかな?」
「んー……ちょっと待ってね」

年末から年始にかけて忙しなかった一護のスケジュール。それこそ息継ぎも困難になるくらい(大袈裟だと思うかもしれないが、本当に一度呼吸困難に陥って貧血で倒れた)時間が目まぐるしく回り、間隔を縮めては眠りさえも妨げていた。
やっと落ち着いたと思いきや今度は全国ツアー等の準備が入る。有名になるって大変。どこか他人事の様に思う。

「これ終わった後でラジオ収録、それからスタジオが入って……んー…30分くらいはあるよ?何か用事?」
「…30分か……まあ十分かな?何時くらい?」
「えっとね…」

吉良が言うにはスタジオに行く途中で30分程度の空き時間があると言う。

「…じゃあさ、吉良さん。お願いがあるんだけど、良いか?」
「勿論」

にっこりと微笑んだ吉良はひとつだけ頷いた。彼は笑う時だけは健康そうに見える。




「あ、そう言えば何にするか決まったかな?」
「え?」
「携帯」

スムーズに進む車内、運転席から吉良の穏やかな声が聞こえ、一護は不意に現実へと引き戻された様な感覚を味わう。
車の速度に合わせて移ろい行く景色。多分、一護の見慣れた風景。
あの店は紅茶が美味かった。あの書店で少しだけ身元がバレそうになって騒動になりかけたのを浦原が自然にフォローした。あ、あの道。浦原と一緒に歩いた。
指先で作った即席のカメラ。そのフィルターから覗いた景色、それと彼の後姿が脳裏に浮かぶ。
あの時は凄く寒かった。彼のマフラーからは彼愛用の煙草と香水の仄かな香り。記憶が一護の胸をきゅうっと締め付ける。

「…ああ、…うーん、前のヤツが気に入ってたからな…」
「どれでも良いって訳じゃないよね?」
「確かに。……なあ、最近って何流行ってんの?」
「ハハ、本当、君はそう言うのに疎いよね」
「……吉良さんも恋次と同じ事言うのかよ…」

少しだけ拗ねてみた。
ルームミラー越しに吉良の優しい瞳が笑む。

「まあそこが魅力のひとつだと思うんだけどね一護君は」
「そうかぁ?ただ興味無いってだけの話で…うわ、それ言ったら俺ってつまらない人間だな!」

ハハハ!久しぶりに吉良が声を上げて笑う。
スタジオ入りする前に寄りたい所があると言うので一護だけは吉良の運転するセルシオに乗った。後の三人は山田と一緒だろう。きっと今頃、気の小さい彼は三人の餌食になっているかもしれないが…まあ、そこは土産で機嫌を取ろう。

「あ、吉良さん。そこ右」
「オーケイ」

少しだけ狭い路地裏。乗用車が通れるギリギリのスペースを吉良はスムーズに右折し、ゆったりとした速度で進んでいく。

「んで、あの黒い看板見える?ちょっとその前で止めてくれるかな?」
「ん。大丈夫だよ。カフェ?」
「そう。ハニートーストが絶品」

ほう。一護と同じで甘党の吉良が喉を鳴らした。
車を止めるスペースが無いので路駐する。一通だがこの微妙な時間帯に車が通る事は無いだろう。でも、長居は出来そうにも無い。

「ちょっと待っててくれるか?」
「大丈夫だよ。あ!でも頼むからあまり人目につかない様にね!僕出れないから…」
「大丈夫だって、ハニートースト買ってくるよ」

レイバンのサングラスをかけてドアを開く。そうする事で暖房が効いていた車内に冬の空気が入り込んだ。
ありがとう、と言った吉良を見て笑い、静かにドアを閉めた。
あの時の様に冷たくは無いけれど、まだ冬の香りを含んだ冷ややかな空気が一護の身体を突き刺す。それが妙に心地好かった。まるでどこからか彼の香りが漂ってきそうで、一護は深く息を吸い込んだ。


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