1 「主様」と子供特有の少し高い声でそう呼ばれる。 ぬしさま。と口元を動かしながら、それでも眉間に寄った皺が声の甘さを半減させ、浦原の眉をピクリと動かせた。 琥珀色の瞳を一心に浦原へと向ける。その色彩に一途で厄介な忠誠心が混じっているのが今日日、浦原の悩みの種だ。 「…あの、黒崎さん……」 「はい、主様」 「いや……何度も言うんですけど…」 はい。今一度丁寧な言葉が子供の口元から出てくる。 子供が浦原の隊舎にやって着て早一ヶ月が過ぎようとしているが、何度言いつけてもこれだけは頑なに拒否され続けていた。 「主様って呼ぶの……なしにしませんか?」 「…?何故ですか?主様は主様なのに」 「いや……ってかもしかして…アタシの名前、知らないとか?」 「浦原喜助」 「ホラ!言えるじゃないですか!」 「けど、主様は主様です」 ガックリ。見て分る様、大袈裟に肩を落とす。 何馬鹿な事言ってんだ、と目の前の琥珀に言われている様な気がする。浦原は本日で幾度目かの溜息を吐いた。 黒崎一護は四楓院お抱えの忍びで四楓院一族に代々従えている家だ。十代目長と呼ばれる一心の息子で次期十一代目となる彼が夜一の紹介で浦原の下に就く様になってから今日まで、浦原の悪夢は未だ終わりを告げてはくれない。 大体、なんで自分の所に来るのだ。彼等が従うのは常に四楓院家の誰かと相場が決まっている。それか四楓院家の分家とか。なぜ浦原なのか。それは未だに謎である。なんせこの子供は子供にしては滅法口が堅かったからだ。 「主様って言われてもねえ………だって君は四楓院家直属の忍びでしょ?こんな……いち隊長の下に就いて何の得にもならないと思いますが?」 「?主様は浦原家のご長男でいらっしゃいます。」 「はは〜。落ちぶれ貴族なんでそんなの関係ないんスけどね?」 「落ちぶれては御座いません。主様と言えどあまり家柄の事を悪く言うのはお咎めが来ますよ?」 こうして浦原の言う事何ひとつとして譲ろうとしない程の頑固さなのだ。 兎に角、常に浦原の傍にひっついて来ては言葉使いがどうだの、あまり煙管を飲むなだの、部下には厳しくだの。もう本当に事細かく煩い物だからこれには浦原より先にひよ里がキレる始末だった。一護とひよ里の仲は最低最悪。自分の部下のストレスがそのまま浦原に返ってくるものだから、近々爆発するんだろうな。と心の片隅でそう思っている。 一護を連れて来た夜一曰く、「なあに、実習体験って事で少しの間預かっていてくれたら良いんじゃ」だ。彼女の少しの間だなんて一番信用できない。少しの間って一体いつまでなんだ。早く引き取りに来てくれないと犬と猿の大戦争が起きてしまうではないか。内心、ハラハラである。 「…もう、じゃあこうしましょ!その主様からの命令です!今後、アタシの事は名前で呼ぶ事!」 「出来ません。主様は主様です」 「なんで!?」 「我侭言わないで下さい。俺にとって主様は主様ですから。」 譲りませんよ。琥珀色が強い色彩を放ちそう言っていた。 目の前で綺麗な正座をし、背筋をピンと伸ばした子供はおよそ子供らしくない。大人から見れば随分と可愛げの無い子供に見える。目を潰さんばかりの眩い橙とその意思の強そうな瞳の色、常に眉間部位に存在する皺。どう足掻いたって可愛いとはお世辞にも言えない。 「…あのね、君だったら承知の上だと思うんスけど……浦原家はアタシの祖父の代で潰れているんですよ?と言うか元よりそんなに気位の高い家でもなかったからね。アタシの母親なんて年がら年中畑仕事していたくらいですし…貴族とは名ばかりなんですよ?アタシも好きに生きなさいと言われた身だからこうして隊長やっているだけ。ね?なんら君の役にも立たない。君に仕事を任せられない。だから………って、ええっ!!??」 溜息を吐きながら淡々と言葉を連ねている時、目の前の子供の強かな瞳からポロポロと溢れ出した雫に度肝を抜かされる。 一護は静かに、綺麗な正座を崩さないまま泣いていた。下唇を噛んで涙に耐えている姿は実に子供らしい。両手は着物の裾を強く握っている。露出していた肩がフルフルと震えだしたのを見て浦原は冷や汗をダラダラとかく。 は?え…ちょ、何?なんなの?なんで急に泣いたのこの子!ちょっと待て、落ち着け。落ち着け喜助!生理整頓だ。なぜ急に泣き出したんだこの子、さっき言った事に対して?なんだ?どれがスイッチ押した?祖父か!?祖父の時代で潰れてなんちゃらの所か!?それとも母かっ!?畑仕事していた母親の所でかっ!?えーっ何?本当何?!子供って未知数! 全然落ち着けなかった。 「……ちょっと待って黒崎さん!なんで泣いてるの!?うーわー、困った。本当困った!」 泣き止め!力いっぱい思った。 正座を崩して子供の傍に寄る。子供と触れ合う経験なんて無いに等しい浦原だから、どう扱って良いのか分らなくて困った。しかも泣いている子供だ。未知の何者でも無い。 オロオロと一護の頭を撫でたり、俯いた顔を覗こうとしたり、肩を優しく撫でたりしたけれど、収まる所か涙の粒はいっそう多くなり畳に落ちてはシミを作った。 「黒崎さん、君が浦原家を支持してくれているのは凄く嬉しいんです。嬉しいんですけど!うちの祖父も未だぴんぴんしてて自分の代で家を潰した事になんら感傷も何も持ってなくて!母だって畑弄りが大好き過ぎてミミズがお友達〜とか言ってるへんた、ってええっ!?お願いですから泣き止んで!」 ボロリボロボロ。浦原の努力も空しく、と言うか浦原が何かペラペラ喋れば喋る程、一護の涙は溢れ返って零れ、とうとう、ひっくひっくと言う小さな鼻啜りの声までも聞こえてくる始末だ。お手上げ状態。近くに白旗があればそれを懇親の力で振り上げている所だろう。 「…俺、……俺、要らない?…主様、…俺、要らないですか?」 「要らない……とは言ってませんが…あまり君の……」 役には立たないだろう、と発する前に抱きつかれた。首に縋った子供の両腕、受止める様に腰に回した腕から、子供の腰の細さを知る。いくら子供だ子供だと言えど一護は今年で15になる。それでも元より骨格が薄いのだろう、そのラインが未だ子供から卒業出来ていない心頼りなさで力を込めて抱き締めたら折れるのでは?と危惧しそうなくらいだ。 色彩は同じでも死神と違い常に動きやすい様に踝が見えるくらいの下衣、一護の場合は未熟な者が着衣すると言われる腰と肩甲骨が見える袖の無い上衣だ。下品な言い回しをしたらかなり際どい衣装。飾り帯は無く、黒一色のそれは簡単に闇と同化できる程。細い腰に手を回した瞬間に触れる地肌に浦原の手の平が戦慄いた。 ひくりひっく。未だ浦原の耳元に響く泣き声に何度目か知れない溜息を吐き、極力優しく背中を叩く。 「………俺、なんでもします……床の世話だって……」 「………ん?」 最初、何を言われたのか理解できなかった。と言うか聞き間違いだと思ったくらいだ。それなのに、膝立ちのまま、浦原を見下げる様に上体を浦原から離し、その濡れた瞳を金色の瞳と合わせた後、次なる一護の行動に浦原自身が石の様に固まった。 あろう事か子供は死覇装の帯をしゅるりと解き、下肢に顔を近付け、袴を剥ごうとしたのだ。 「ストーップ!ストップ、ストップ!ストップっす!!!なにやってんの君!?」 真っ青な表情で一護の肩を押し、解かれた帯を手で押さえて阻止した。 一心は大体が放任主義である事を旧知の仲なので知ってはいたが、ここまでしかも性の方面までも放任である事は大問題だ。大事な一人息子が同性の慰み物になって良いのか? 取り敢えず、拒絶されたと勘違いして又泣き出してしまいそうな子供を説得する為に浦原はご自慢の脳みそをフル回転させた。 「良いですか?黒崎さん。何を勘違いしているのか知りませんがアタシは君を要らないとは言っていない」 「……俺、慣れているから……主様が喜ぶならちゃんとやるよ?」 ナニをだ!?心の中でもう一人の自分が叫んだが、ここはグっと我慢して根気強く子供の瞳を見て話した。 「いえ……慣れていようがいまかろうが………って、はい?今、慣れているって言いましたか?」 「うん。慣れているから、どんなご奉仕もするから……だから、なあ、要らないだなんて言わないで……」 相当混乱しているのか。一護の口調が子供らしい物へと変わり、その潤んだままの瞳も歳相応で。それでも口にする言葉は酷く相応しくない下世話な単語ばかり。 ヒクリと浦原の口元が歪に上がった。 慣れている、だと?今、この目前の子供は慣れているとはっきり言ったのだ。奉仕その物に慣れていると。 「…ちょっと待って下さいね。整理しましょうか?君、一体全体どこでそんな事覚えてきたんですか?と言うか何?そんな技も持ってこその忍びだと言いたいの?」 先程まで真っ青になりオロオロとどうして良いのか分らない様な手振り素振りをしていた浦原の金色がすうっと熱が冷めた様に冷たい色彩へと変化したのを目の当たりで見て、一護はゾワリと背筋が唸ったのを実感した。 next>> |