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目覚めるなり、丘山は言った。
「僕を殺そうとしたのは、大陸の親類達だ」
泣き疲れ眠り、起きた時にはもう、丘山はすっかり落ち着いていた。聞き慣れた友人の声が見慣れぬ狐からするというのは不思議な感覚だったが、仕方がない。相手は妖だ。そう考えて欽十朗はどうにか話を聞こうと努めた。
「白面金毛九尾の狐。青丘山が主にして傾国の美女。殷国妲己、耶竭陀国(マガダこく)華陽、周に在っては褒si4(ほうじ)、倭に至りては玉藻…彼女が僕の祖母だと聞いている」
流石に、九尾の狐と聞けば、欽十朗にも些か覚えがあった。
玉藻前といえば、天皇を惑わし世を乱した大妖狐。知らぬ者のない程高名な、最悪の妖婦と称される美女の名だ。妲己と華陽というのも聞いた事がある。
「本当か」
「少なくとも母はそう言っていた。でも、昔、一度だけ血族での魂寄せがあった時には、お前などが丘山青、などとはおこがましいと嘲られた」
魂だけを一所に集め、行った会合は、謀略の坩堝だった。まだちっぽけな、遠い島国の仔狐などは、良い物笑いの種だった。
「…お前らに祓われて、弱った所に付け入られた」
大陸の妖は性残虐にして、血と肉を好む。戦火に微笑み、屍を愛し、退廃に口付ける。人の男に惚れ込んで、子を生むものすら居る国の、妖に何の力があるものか。
そう謗られたから、祖母を目指すと決めた。性の違う、強い力を持った人の子と、千人契れば妖狐となり、練丹を鍛え上げれば天狐となる。天狐になれば、数百数千に渡る鍛錬を経て次第に尾が別れてゆく。尾が九つに別れれば空狐となり、神に等しい力を得る。
歴とした妖狐になるには五百年。それまでに事を為さねば、ただの野狐として生涯を送る事となる。
「適当な人間を騙して、蟲毒の術をやらせたのだろう。僕を、殺す、為に。わざわざ、狼など、使って」
身を起こすと同時、丘山が人の姿を取った。さらさらとしていた筈の髪は血に濡れ、高雅であったろう大陸風の衣服は破れ被れ、土や泥に汚れている。
冷めたような、皮肉るような、そんな風に吐き捨てる。
悔しくて、悲しいのだ。きっと、丘山は。
「…その、蟲毒の狼はどうなったんだ」
「穢術の場合、どちらかが仕留められなければ術は終わらない」
答えたのは鍔鬼だった。真剣な面持ちで、何時もより僅か、ほんの少し早口に喋る。ゆったりとした口調を崩さない鍔鬼が焦りを見せているのだから、余程厄介な術なのだろう。
「この狐が生きているという事は、まだ町に潜んでいるでしょうね。早く始末しなければ、犠牲者が出る」
「どうにか出来ないのか?」
「出来るわ。でも…」
き、と鍔鬼が丘山に、鋭い目を向ける。丘山は泰然として目を合わせる。
「わたしが気に入らないのは、あの狐がまた、懲りずにわたしを、延いては欽十朗をも利用しようとしている所よ」
この地を治める椿の一族と、その血を護る為に造られた破邪刀であれば、土地を脅かす魔で祓えぬものはない。梅花皮という土地に於いては、この双つは何より強い力を持つ。
「わたしがその気になれば、お前を殺してこの術を終わらせる事も出来る。忘れるな」
丘山の行動は、気位の高い鍔鬼の機嫌を損ねるには充分だったようだ。
しかしそれすらも承知の上なのだろう。丘山は返事も言い訳もせず、目を反らさない。
唇を引き結んだまま二階へと上がって行った鍔鬼の後ろ姿を見て、欽十朗も倉を出た。
閉まる扉の隙間から見える丘山は、まるで石のように、微動だにせずにいた。




翌日、倉を訪れるなり、鍔鬼が言った。
「欽十朗、悪いのだけれど、隣町の神社の本殿から、奉納されている刀を借りてきて」
余りの事に驚いていると、風呂敷によって簀巻きにされた丘山を一瞥し、続ける。
「あの、狐が連れてきたのは、とても厄介なものでね。前のように鍔だけでは心許ないわ。それなりに力のある刀が必要なの。彼処の神社に居るのはわたしの弟だから、きっと力を貸してくれる筈」
「借りてと言っても、どうやって事情を説明すれば…」
まさか、友人の狐を助ける為に狼の化物と対決せねばならぬ、などとは言える筈もない。第一、欽十朗にはそこまでの話術など備わっていない。
「その為に、この語りを連れて行くのよ。丁度怪我もしているし、椿の名前もある。どんなに盆暗の獣でも、どうにか言い訳は立つでしょう」
成る程、そういう考えか。
不謹慎にも欽十朗は感心したが、騙すというのには矢張り多少の抵抗がある。が、事態を鑑みるに、手段を選んでいる暇はないようだ。
「昼間の内には、蟲毒も獲物に手出しは出来ない。今の内に準備をしなくてはならないの」
門前まで鍔鬼に送り出され、欽十朗と丘山は連れ立って隣町へと続く山道を歩いた。
傷の痛みからか丘山は道中、終始無言ではあったが、好きにさせておいた。この蟲毒の件が片付くまでは妙な手出しもしないだろうし、何より、自らの所業のせいとはいえ、何処に行こうと眉を寄せられてしまう狐を哀れに思ってもいたからだ。
勿論、聡い丘山が欽十朗の考えを読めない筈もないだろうから、恐らくこれも無言の原因に違いない。昨夜から分かったが、鍔鬼に負けず劣らず、この元友人も相当に気位が高い。
「ああ、良かった!これで魔物も退散するでしょう!ありがとうございます。ありがとうございます。このご恩は決して忘れません。後ほど家人を寄越して御礼をさせて頂きます!」
目的の神社に着いてからは、凄まじかった。
正に口八丁手八丁、よくぞこうまで知恵と口が回るものだと、欽十朗も感心しながら観察していた。
何しろ、相方の欽十朗が適当に相槌を打つだけで、とんとん拍子に話が進んでゆくのだ。成る程、話と内容は基より、細かい表情やら身振りやらも重要らしい。整った顔貌に化けるのも、人を騙すのに有用だからか。もしかしたら、道中黙りを決め込んでいたのも、この文句を考えていた故かも知れぬ。そうか、虚偽にも弛まぬ努力が要るのか。
そう考えてみれば、丘山と神主の掛け合いは面白かった。
あっという間に神刀を手に、来た道を戻る事と相成って、欽十朗は何やら、自分達がまた以前と同じ、奇妙な友人関係に戻ったような気さえした。
「あら、早かったわね」
「丘山が居たからな」
「違うでしょ。欽十朗と、椿の名前があったからよ。あの狐一匹じゃ、絶対に持ち出せやしないわ」
存外早い帰宅に鍔鬼は驚いた様子だったが、これが自分の嫌いな狐の手柄だとは、意地でも認めたくないらしい。ぷいとそっぽを向く鍔鬼に対し、丘山はといえば少し嫌味と皮肉を混ぜた顔で、得意そうに微笑している。
改めて、本性を知った上で観察すると、何を考えているのか、思ったよりも解り易い。確かに人を騙す妖なのだろうが、完全な悪とは言えないのではないか。
「欽十朗、日が暮れてからが勝負よ」
気を取り直したらしい鍔鬼が言う。
「蟲毒は強い術。完全に命を絶ち切ってやらねば、終わらない。躊躇わないで、絶対に。名を無くしてしまったものは、どうやっても元に戻してやれない」
「名を無くすっていうのは、どういう事なんだ?」
手渡された鍔を、切羽と共に神刀へと据える。鮫皮の柄を目釘で留め、目貫を選ぶ。鍔の図案に見合うよう、笹に流水のものを。
「蟲毒は…狭い、密閉された場所に、獣や毒虫を集めて殺し合わせる。強いものだけが他を食らって生き残る。長い時間、音しかない暗闇で、ずっと苦痛の声を聞く。すると、やがて獣や虫は、どれが自分の声なのかが判らなくなる。己の姿を忘れる。己を呼ぶ仲間の声も、忘れる。飢えた末に殺したものの悲鳴も肉と共に食らっていって…遂には己を忘れてしまう」
一瞬、大きく鋭い瞳が凪いで、静かな悲しみを映す。
名を、呼ばれたいのか。物も、者も。あらゆるものは。
「品のない術だよ。おまけに、やったのは僕の親類だ。狐が狐を殺す為に、人の穢術に手を出した。最早誇りも何もない。世は黄昏時だ。人の真似事をしなくては、碌々生きて行けもしない」
何に対し高揚しているのか、丘山が饒舌になる。嘲っているのか、嘆いているのか。壊れたようにけたけたと、笑い出す。
白い柄巻を巻き、無垢な刀身は潤塗(うるみぬり)の鞘に収めると、空が朱に染まり始めていた。
鍔鬼が耳元で、母親のような音色で囁く。
「欽十朗、お前ならやってやれる。お前は強く、わたしのような妖に対して、とても優しい。己が正しくもないと知っている。だから、出来る筈だ」
赤い色は魔を退ける。大陸では吉事を表し、運を招く。祭事の色だ。きちんと、弔ってやらねばならない。
「…ああ」
もう直ぐ、この刃に掛かって、一匹の獣が、死ぬのだ。









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あきゅろす。
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