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抜き身の刃が現れた後、手を引いていた華奢な体が倒れた。
それはどこか花が散る様にも似ていて、とても美しいものだった。
「その子は心配ない。私を直視して、自分から意識を沈めたのだろう。賢い娘だ」
耳に慣れた声を聞き流し、細い腕を倒れた体の上にそっと置いた。
来た道を振り返ると、何かが道に一つ、落ちていた。近寄ってみると、その塊は一羽の雉だった。見事な雄だ。
「…何故あの家に憑いたんだ」
血溜まりに倒れ、半ば目の濁った雉に尋ねる。少し間を置いて、雉は掠れた声で、息も絶え絶えに答えた。
「妻が死んだ。人の作った銃に撃たれて」
「仕方がない。俺達は互いに食い食われ生きてきた」
「そうだ。その通りだ。だが、お前達人は、遥か昔からの盟約を破った。山それ自体を食い出した。山を拓き古巣を奪い…これ以上一体何を奪う」
老いた生き物は、怒りを滲ませながらも淡々と語る。
「あの木にしてもそうだ。元は雀群であったものを忘れ、名を違えた。地力を落とし守りを弱め…いよいよ声を聞く者も居なくなって久しい。その結果がこれではないか」
何時の間にかやって来ていた雀が一羽、雉の頭に寄る。
「雀ども…人は簡単に恩を忘れるぞ…!」
瞳孔が鮮やかに開き、そして白く濁る。息絶えた。雀は小さな目でじっと其れを見ている。
「…それが時の流れというもので御座いましょう。仕方のない事です。人の命も魂も、余りに儚く脆いものです」
しみじみと、小さな体に似合わぬ低い声で零す。愁いに満ちた、吐露。
「でも、完全に絶えた訳ではない」
刀を鞘に収めた少女が、断言した。
「今そこに倒れているのは、紛れもない、正式な雀群の末裔。異形のものの声を聞き気配を読み、怪異を見て流れに従う。雀群の当主は、自らを雀群と認め、受け入れた。名は力を戻し、再び千鳥網は梅花皮の谷を覆う。もう一時、留まるのも良いでしょう」
にっこりと、笑う。見慣れた少女の顔と、見慣れない表情。
ああ、俺は、そうだ。思い出してしまった。忘れるのを願ったから、忘れたというのに。
雀はか細く、弱々しく続ける。
「はい、はい…知りませなんだ。其方のお方が、よもや我らの声を聞こうとは…諦めていたのは我らの方です。お許し下さい。鍔鬼の家に連なる方々を、信じられずにおりました。改めまして、雀群の木に、梅花皮の谷に掛けてお約束致します」
「行きなさい。お前達の在るべき場所が待っている」
言葉と命を受けて、雀の姿が闇に溶けるようにして消えた。
距離もそのままに、少女と対峙する。
「…紅子」
「いいえ」
「いや、鍔鬼…か」
俺も、鈴村と、雀群と同じなのだ。
椿の家のつばき、とは、鍔の鬼。谷の淀みを祓い、地を治める一族を妖から守る為、先祖の欽一朗が守護として生み出した破邪刀の名。銘を禊紅梅、名を鍔鬼。
俺の姉であり妹であり、人ならざる、存在。友の敵であり、俺の恩人でもあったのだったか。
「…何故、彼女を巻き込む必要があったんだ」
「雀群の名を取り戻すのに、どうしても沙紀子が必要だった。歴とした雀群の血を引く者が、もう彼女しか居なかったから。力も強い。私の刀身を見過ぎると、目が灼けてしまう程に」
言われて、思い出す。そうか、確かに、鈴村の家は代々男女に拘わらず直系の子が当主を務める。彼女の母親は確か、余所から嫁いできた人だった。父親の方はもう、十年以上も前に亡くなっているのだったか。
「欽十朗、哀れな子。わたしはお前が可愛い。思い出させるつもりはなかった。あんな辛い思いをしたのに…こんな事になりさえしなければ。お前は夜が明ければまた、わたしの事も、なくした友人の事も、異形のものに関わった総てを忘れるだろう。わたしの名と共に。けれど、怪異に出逢う度、妖と縁を結ぶ度に思い出してしまう。お前に掛かる禍を祓えても、お前の憂いを濯げない。わたしは、鍔鬼だから…」
いっそ無感情にすら取れる語り口が、徐々に人のものへと近付く。無力な刀の身を嘆く。瞳は潤んですらいないというのに、声が涙に濡れている。
知らなかった。刀は、こんな風に泣くのか。


「忘れない」


俯いた鍔鬼が、顔を上げる。
「紅子が居た事も、丘山の事も、雀群の名も、忘れない」
じゃり、と鈍く、足元が鳴った。
「来るな」
足を進めると共に、体の節々に細い糸が絡むかのように抵抗がある。鋭く、今にも皮膚が切れそうな、何か。
「来るな、欽十朗。お前から、わたしの名を剥ぎ取ろうとしているというのに。無理に動けば、傷が付くっ…」
冷たく、冴え冴えとした刃の感触が、左目の斜め下へと走った。痛みはない。まるで縫うように肉を裂いた。体内に僅か侵入したその形が、家に伝わる破邪刀の切っ先と同じ孤を描いているのが、ありありと分かった。
「…忘れない。だから、鍔鬼、頼む。消さないでくれ」
膝を折り、顔を合わせるように覗き込めば、大きく開いた瞳が、歪む。叫び出す前の、子供のように。
みるみる内に、纏う凛とした空気が崩れる。もっと人間じみた、見慣れた表情が戻る。
涙の一滴も零さないで、鍔鬼は、泣いた。








あの夜、目が覚めると、椿さんが心配そうに、倒れた私を覗き込んでいた。
何が起きたのかは覚えていなかったが、椿さんの顔には小さい、けれど深い刀傷があるのを見た。だから私は、何かが起きて、そして正しく終わったのがわかった。私の家に、何かが起きたのだ。
しかし異変は、不思議なものだった。椿さんに送られて家に帰ると、鈴村だった筈の表札が、雀群に変わっていた。それでも、何故だか私には雀群、という響きが耳に優しいように思えて、すっかり気に入ってしまった。きっとこれで良かったのだろう。
「まぁまぁまぁ、欽十朗さん!はい、少々お待ち下さいね!沙紀子、沙紀子!早く来なさい!」
母に呼ばれて玄関に向かうと、菓子折りを持った椿さんが来ていた。私はまた例の客間に案内しようとしたが、椿さんは、居間はどこかと尋ねた。
案内すると、椿さんは一言、違う、と言って、更に奥へと進んだ。そこは祖母の部屋だった。
「お婆様は、西松屋の大福はお好きですか?」
「え、あ、はい…」
きっと、中身は西松屋の大福なのだろう。
なら良かった、とばかりに、椿さんは躊躇なく障子を開け、中へと入る。私がぎょっとしていると、椿さんは入ってすぐ目に付く、厚い、唐草の金刺繍の入った座布団に正座し、静かに目を閉じて手を合わせた。
椿さんが手を合わせているのは古びた仏壇で、その上の壁には、祖母の写真が飾られている。
そうだ、祖母はもう三年も前に、他界していたのだった。
「窓を開けても良いですか?」
聞きながらも、椿さんは直ぐに手を掛け、窓の障子を開けた。さぁ、とそよ風が吹いて、部屋に充満していた祖母の気配は、はらはらと散華してしまった。
「…椿さん」
まるで祖母が穏やかに微笑んだかのように思えて、私は少しの寂しさを感じながらも、心は晴れ晴れとしていた。
「ありがとう、ございます…」
椿さんがそこで柔らかく笑うものだから、私までつられて、笑ってしまった。




私は雀群沙紀子。
梅枝皮町で二番目に旧い家の、家つき娘だ。






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あきゅろす。
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