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数百年振りに相見えた妹は、私の姿を見るなり、恐慌も露わな様子で叫ぶように吐き捨てた。
「櫛神っ…!」
倉の中に縛られ続けた累月の記憶と愁いが、鞘の艶に深みを増している。
私を睨む瞳の光が、決して奪われてなるものかと、主に受けた愛情を映している。
華々しく整えられた鍔が、責務を果たしてきたのだと物語っている。
嗚呼、佳い鬼よ。
我が魂の妹ながら、美しい般若になった。その、姿。姉に適わぬと打ちのめされ、床にくず折れていても麗しい。
見事よ、禊紅梅、鍔鬼。
「ほほ、良い様だこと、鍔鬼。でも、名で繋がれた姉に向かって…感心しませんわね」
倉の周囲を確認する。感覚を総動員して、探る。屋敷の中に狐が一匹入り込んでいるが、あれは眷属だろう。未だ完璧に御し切れてはいないが、良い妖だ。
「…何をしに来たの、姉さま」
「可愛い妹の様子を見に来ただけの事。そして、その主を…」
一目見て、美しい男だと思った。顔立ちではない。心の在り方が、姿勢が美しいと思った。互いに影響し切磋琢磨してきたのだろう。羨ましい事だ。
そう、羨ましい。
いっそ恨めしい位に妬ましい位に。
「この手…どういう事だか、わかっているのでしょう?鍔鬼」
青年の手を見やりながら言えば、毛を逆立てた猫よろしく、剣呑な殺気が吹き出した。武具に相応しい闘争本能。
「見事に錆させたものよの…守護の癖に椿を潰す気か?」
「煩いっ…姉さまには関係ないでしょう!」
「ああ、はしたない…無様よ。鍔鬼、あなたがもう鍔鬼を守らぬと申すなら、この私がその妖力、貰い受けよう。今までご苦労であったな、我が妹よ」
主の肌に這う忌まわしい黒錆に、痛ましいような、哀れむような、悲しむような色の目を向ける。整った少女の顔が歪む。泣こうとも、泣けもせぬ身の厭わしさよ。
手を伸ばす。丸い額に手を伸ばす。爪の先が触れ、そして、




そして、櫛神の手が触れた途端、鍔鬼の姿は消え、一振りの刀、禊紅梅が乾いた音を立て床に落ちた。
「鍔鬼…?」
呼び掛けようと、返事はない。
冷や汗が全身から噴き出す。不吉なものの足音が聞こえる。不安や恐怖がそれだ。何故だか、見慣れた刀の姿が、何の変哲もない只の刀に見えてしまったのだ。
―――あれは、鍔鬼ではない。
欽十朗は瞬時に結論へと達していた。心臓の拍動が太鼓のように激しく頭を揺らす。
くるり、櫛神が振り向く。
何時の間にかやって来ていた丘山と欽十朗をその怜悧な眼差しで同時に射る。

「椿欽十朗、禊紅梅鍔鬼が主」
ゆったりとした余裕のある口調の中に一筋、鞭を打つような強い音が混じる。
「鍔鬼がこのようになったのは、お前のせいだ」
断言され、息を呑む。鍔鬼は何も言わなかった。
何故、何も言わなかった。
否、何故、腕の痣が黒錆だと隠していた。
「証拠に、お前の腕に証はない。椿と鍔鬼の縁は切れた。最早お前は鍔鬼の主ではない」
ふと腕を見ると、嘘のように黒錆は消え失せていた。何時か、これに似たような事があった。
ああ、そうだ。紅子が紅子ではなく、鍔鬼になったあの日、記憶を消す為、欽十朗が禊紅梅鍔鬼の名を、銘を忘れたあの時。あの感覚に似ている。
だが、喪失感は比べ物にならない。
「…どう、すれば」
心が、魂が叫んでいる。身体の奥深くから。血を吐き喘ぐように。
「どうすれば、良い」
もがれた利き手を取り戻せ、と。




「人の子よ、お前の願いを聞き届けよう」




櫛神が、まるで花が綻ぶように、しかしそれでいて不敵に微笑んだ。待っていた、と言わんばかりに。
「幸い、お前の顔には鍔鬼の付けた傷がある。ほんの僅かではあるが鬼の琴線に触れた証が、お前に選択を許すだろう」
すいと手を伸ばし、細い指が頬を覆う。掲げ持つように見聞する。
「ッ…おい!…」
何かに気付いた丘山が手を伸ばそうとするが、遅かった。
嫣然に微笑んだ櫛神は、その優しい指先で、目の下に残る疵痕を撫ぜた。
「行け」
既に腹は据えていた。






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