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そして曲が終わり、欽十朗が静かに鍔鬼を刀に収めた時、たった一つ、拍手があった。
「梅花皮を統べる人の子よ、梅の名を冠した護り刀よ」
しんと静まり返った中、さわさわと風に、小さな白い橘の花が枝が葉が揺れる。
「見事であった。褒美を取らそう。来よ」
杓を使って、手招きをする。
欽十朗が手を離して、鍔鬼が人型を取る。ゆっくりと、御前に歩み寄る。
今解った。神は、この、松露の君だ。淡雪姫は近いが、違う。神ではない。対峙した途端に、恐怖ではない何かから、冷や汗が滲む。それがないのだ。
「手を、此に」
欽十朗が左手を出すと、松露の君は苦笑した。
「右手で良い。この錆びは、決して忌むべきものではない。そなたの目許にある傷と、同じように」
「はい」
「禊紅梅鍔鬼よ」
「はい」
「良い主を持ったな。受け取るが良い」
手を差し出した主従の手に、紅い宝珠が授けられた。しかしその宝珠は直ぐに、欽十朗の錆びだらけの手と、鍔鬼の中に溶けてしまう。
「山野より来る楽士よ、そなたも見事であったぞ」
「もったいなきお言葉に御座います」
「しかし、褒美を授ける訳にはいかぬ。そなたは未だその時期を迎えてはいまい。焦らずに待て」
「肝に銘じまして…」
どうやら、土地神ともなれば何もかもお見通しらしい。宝珠といえば、妖狐が喉から手が出る程欲しがる代物だ。松露の君は、丘山もその手合いであると見抜いたのだろう。
「では、私は舞を受けた。人の子よ、そなたの働きと魂の高潔に応えて、神意を見せよう」
松露の君がすいと上を向くと、瞬きの間にその姿は一尾の龍へと変じた。黒に近い緑中に、まるで朝露のように光る銀がある。鱗の一枚一枚が不思議な光沢を備えているのだと知るや否や、雄々しき龍は空へと昇った。
螺旋を描くようにしてうねり、渦巻き、銀の鬣が靡く。角は鹿に似て鋼、爪は虎に似て石英、両の眼は鷹に似て瑠璃色を成し、本当に、息を呑む間もない位、美しかった。
その龍が長い尾をくゆらせる度に、ちらほらと浮いていた灰色の雲を払う。銀河の星々に呼応するかのように鱗が煌めき、剥がれ落ちたそれが幾つか、梅花皮の谷に降り注いだ。




酒が皆に行き渡り、幾人かが酔って潰れそうになっている。
丘山が良い例だ。訳の解らない事を一言二言呟いて、寝入ってしまった。あれで案外、酒には弱いらしい。
対して、欽十朗は笊なようで、先程から一人で妖の仕込んだらしい山査子の酒をやっているが、一向に酔う気配がない。
鍔鬼は鍔鬼で、刀だから酔う筈もなく、適当に飲んだ後は淡雪姫と差し向かいで、連歌の応酬などしている。応酬、とは歌遊びには到底相応しくないが、そうとしか言いようのない状態だった。何だかんだ、二人は仲が良いらしい。
「…淡雪は、」
ふと、後ろから声を掛けられ、欽十朗は会釈して隣を空けた。
「あの子は、先の飢饉で死んだ子で…死んで荒野を彷徨っていた所を拾ったのだよ。もう、私の娘みたいなものだ」
「そうでしたか」
先の飢饉、というのが一体何時の時代かは分かりかねたが、人である欽十朗に取っては、遥か昔の事なのだろうと知れた。神の瑠璃で出来た目の色が、深い。
「宴は、あの子の為に始めたのだ。いや…それが、結局はわたしの為だったのやも知れぬ」
「幸いな事です」
山査子酒を注いだ杯を差し出すと、優しい龍はにっこりと微笑んだ。
「また次も、あの子を伴って、橘の花を見に来ても、良いだろうか?」
「歓迎します」
温くなった酒は舌に甘く、雲一つない空は益々燦然とし、橘は世の盛りと咲き乱れている。
恐らく次の宴に自分は生きていないだろうが、もしもこの土地に住むもの達が、若しくはその子孫がまた、同じように入り混じって歌い踊るのなら、と、遥かな未来を思わずにはいられなかった。






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