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私の髪はぬばたまの、長い長い八尋髪。
女の髪と共に歩むと定められた私という存在は、酷く孤独な癖に孤独を認めたがらない。
嗚呼、醜く美しく滅びゆくもの達の、何と羨ましい事か―――…




私は才木和祢(さいきかずね)。
公家の末裔である才木家の一人娘として産まれた。しかしその家は既に、とうの昔に没落している。普通ならば、自分達がどのような血筋なのかも解っていなかっただろう。
私が、私に連なる血筋を知るのは、偏に祖母から母へ、母から娘へと口伝えで教わる一族の奇談と、この櫛の為だ。
「良い所ね」
高い山に囲まれた盆地だ。今は空が重く濁った夕暮れ時だが、晴れていたなら、もう直ぐ月が昇る頃だろう。山からぽっかりと浮かぶ満月は、この谷に映えるに違いない。
静かで、しっとりとした空気が肌に心地良い。結構な数の人が住む町でありながら、がちゃがちゃと目に煩い魑魅魍魎の類が殆ど居ないのも、好ましい。疲れるのだ、私のような人間は。普通の町が、村が。
寄る近代化、西洋化の波が、土地と一体化し切れていない事による摩擦が。
それに引き換え、この梅花皮という町は全てが均一に調和されている。
『ほほ、過ぎた言葉、と申したい所だけれど…土地に関しては、和祢さんに同意しますわ』
耳許で、聞き慣れた女の声がする。少し気取ったような喋り方と、気位の高そうな音。姿は見えないが、はっきりと存在が感じられる。
彼女は、櫛神という。
外套の内ポケットに入れた彼女の本体を、布越しに撫でる。半月型の、歯と歯の間が狭い、見事な細工の櫛だ。才木家の家紋である雁の図案が彫り込まれている。
はらり。一片の雪が鼻先を掠める。
私が櫛神に出会ったのも、こんな雪の日だった。
母が亡くなったその翌日に、母の鏡台の引き出しから、櫛神が私を呼んだ。そっと引き出しを明け、彼女を取り出してみると、泣き腫らした私の頭を白い手がそっと撫でた。
『和祢さん、これからは私が貴女を護りますわ。我が主よ。我が幾重にも連なる継嗣の姉妹よ。命果てその血尽き果てる迄…』
果てしなく続いているかのような長い髪を垂らし、右目の下には小さな泣き黒子が一つ。切れ長で怜悧な目は慈愛に満ちていて、白い着物に墨染の帯と、雁が織り込まれた淡藤色の上掛け姿は、ずっと変わらない。
十歳の時からずっと、八年間、櫛神は私と共にあった。きっとこれからも、私は櫛神と共に生きて行くのだろう。家族に無関心で、私財を集めようと躍起になっている父ではなく、櫛神が私を護ってくれる。
何か重要な決断をする時には何時も、櫛神が助言してくれた。私の心と、体と、両方に取って良い結果が出るように心を砕いてくれる。女だからか、しばしば辛辣で高飛車なお喋りが多くはあったけれど、私の事ばかり考えていて、滅多に自分の話はしない。口の悪さに反して、優しい女なのだと思う。
そんな櫛神が、初めて自分の望みを口にした。『梅花皮に行きたいわ』と、独り言のように呟いたのを、この耳で聞いた。
だから、ここに来た。
「…櫛神、今、何かした?」
階段を上っている途中、場の空気が変わったのを感じて、問い詰める。何かが網のように張り巡らされている感覚がある。何か危機が迫っている時、櫛神は何時もこうする。
だが、今は何の危険もない筈だ。妖の類も見受けられない。
『ちょっとした悪戯…いえ、必要な下準備、といった所。和祢さんが心配する事ではありませんわ』
「そう」
この町に来てから、櫛神は少し浮かれている。もうそろそろ、その理由を尋ねてみても良いだろうか。
「ねぇ、櫛神」
『なぁに?和祢さん』
「この町には、何があるの?」
それはきっと、この谷のように美しいものに違いない。簡略の美を体現したような。
『そういえば、話していませんでしたね。この町には―――わたくしの、可愛い可愛い末妹が居りますのよ』




はらりはらりと散る雪に、和祢の吐く息が白い。
風邪を引かなければ良いのだけど、と思いつつも、この場所に大切な主を引っ張ってきたのを、微塵も後悔はしていない。何故ならわたくしは、あの妹が許せないのだから。
許さない。
許さない。
許さない、絶対に。
わたくし達はその昔、各々が腕の良い職人の心血に依って、此の世に引きずり落とされた。人の使う道具として。
そして、ありとあらゆる災厄、魑魅魍魎の諸々に脅かされる主を護る、それが為に鬼となった。わたくし達を礎に、あの呪術師が呪を掛けた。主が授ける名に加えて、人に似た姿と力を与えた。それがわたくし達を姉妹として繋ぐ。
老いず、死なず、裏切らず。わたくし達は否応なしに、主を愛してしまう慈しんでしまう。
櫛神、と、名を授けられし此の身は柘植櫛、櫛の鬼。鬼を転じて、神。故に櫛神。
先祖の貶めた男の妄執により呪われた、才木家の女児を護る為に在る櫛だ。呪いの所為で、才木の名を継いで産まれた女は見てしまう。恐ろしい百鬼夜行を、忌むべき妖の非道を。その澄んだ目は濁る事を許されない。見てしまう聞いてしまう触れてしまう。無視など出来よう筈もない。其れはただ其れとして、真実として在るのだから。
残酷な呪いだ。
呪いとはえてして残酷にして無情なものと相場が決まってはいるが、それにしても、このような少女が、本来ならば忌み事とは無縁であった筈のものに其れが課せられるというのは、本当にやり切れない。
やり切れない。
そう、わたくしも。
『さぁ、雪で足元も危ういでしょうし、焦らずに参りましょう。ゆっくりと、ね…』
ふわりふわりと粉雪が、主の外套に、枯れた草の上に、降り積もる。
徐々に白く染まってゆく視界の中で、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされた黒い髪が目立つ。しかし、これも和祢には見えてはいない。余程強い力の持ち主でなくては、感じ取るのすら難しいだろう。
嗚呼、鍔鬼は、鍔鬼の主は、何時気付くだろうか。






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あきゅろす。
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