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其の身悉く清め白刃の下悉く澱みの血流せ。汝が魂捉え繋ぎ、定めと成す。
丘山青を此処梅花皮の地を治めし椿欽十朗が御霊の端を担うものとして縊る。
依って、禊紅梅鍔鬼を以て証とする。








「全く…余計な事をしてくれたものだよ」
「命の恩人に結構な言い草ね、狐」
頻繁に換気をしているとはいえ、倉の中は微かに埃の臭いがしている。刀の鞘や鍔、目貫や目釘ばかりが集められた場所で着物も何もないだろうに、防虫剤の香りがするのは、この少女の形をした鬼の着物が香っているのだろうか。未だ丘山にはその判別が付かない。
如何にも現代風の、象牙色の地に浅蘇芳色の細かな葡萄柄が散った着物に、黒地に金色の木瓜柄が織り込まれた帯を巻いている。そんな可憐な少女が、数百年を経た刀の鬼であるなどとは、一体誰が見抜けるだろうか。
絢爛な拵ばかりが入った黒檀の箱に腰掛け、自身の正体である一振りの刀を抱き、老獪な少女は青を見下ろしていた。
「わたしはお前の恩人よ?あの時、お前を生かすには欽十朗の眷属にするしかなかった」
「ああ、そうだろうね。僕の人生最大の屈辱を有り難う」
「狐一匹の屈辱など、ほんの些細な問題でしかない。その命懸けて主を守れ」
有無を言わさぬ口調で以て、追い詰める。本物の鬼もかくやといった、その執念には恐怖を禁じ得ない。
更には、眷属、守護としての序列なら、鍔鬼の方が青よりも格が上だ。守護として主人に害あるものと見なしたならば、鍔鬼は何時でも青を殺せるのだ。本来それは主の命令に因って実行されるが、鍔鬼がもし何の断りもなく青を殺したとしても、欽十朗は嘆き、悲しみながらも鍔鬼を許すだろう。全て分かった上で、鍔鬼は爛々と微笑んでいる。
「然し、その欽十朗も一体何時までの命かな」
「…どういう意味かしら?」
「言葉通りさ。何だい?あの黒い手は。見えないとは言わせない。おぞましい位に黒く煤けた、あの」
「黙れ、狐」
鍔鬼が鋭く、冷たい声音で言葉を遮った。
「わたしは鍔鬼。禊紅梅、鍔鬼。鉦房から、欽一朗から始まり、欽次朗、欽三朗、欽四朗、欽五朗欽六朗欽七朗欽八朗欽九朗…」
懐かしむように目を伏せ、この場面に不似合いな、柔らかい口調で言葉を紡ぐ。
「何時でも、わたしはわたしの主を護り切った。この谷の災厄の一切合切、主と共に漱いできた。椿の血は強く土地の縁は深い。それを聞いてもわたし達に出来ぬと思うか、狐よ」
絶対の自信を見せ付けるかのような強気の姿勢に、青は僅か怯んだ。しかし、こうまで強さを誇示するという事は、裏に何かしら隠したいものがあるという事だ。大体、あの鍔鬼が欽十朗の手が呪いに蝕まれているのを見て、何もしない訳がない。或いは既に手を打ってあるのやも知れないが、それにしてもこの件には不透明な部分が多くはないか。
「なら、お前にも漱げない、あの黒い呪詛はどうなんだ」
せせら笑ってやれば、思ったのとは違う反応が返ってきた。鍔鬼は少女らしい愛らしさを湛えた顔に超然とした笑みを伴って、歌うように囁くように言った。
「…歴代の当主には勇猛な子も穏やかな子も居た。賢い者も居れば、知識に疎い者も居た。だが、誰一人として、出来損ないの男などは居なかった。皆凛々しく誇り高く、紛れもない己を持っていた。そして、欽十朗はその最たる者。椿の血が生んだ最高傑作。心根穏やかにして自身を偽らず、侠気を佳く識り、妖魅の声に耳を傾ける…わたしの力など及ばずとも、あの子は自らの力で進むだろう」
思わず毒気を抜かれて、別な意味での苦々しさが込み上げる。胃が焼けたようにむかむかとし、えも言えぬ不快感が満ち満ちて、青は唾を吐き捨てようとするのを自制した。
「随分な親馬鹿だな」
「当たり前だ。お前とは器からして出来が違う」
勝ち誇ったような態度に、青は小さく舌を打った。矢張り食えない。
「それで?だから今も、妙な奴に好かれてるっていうのに、放っているのかい?」
「ええ、わたしが出る迄もないわ。そんなに主人が心配?見上げた忠誠心ね」
鼻で笑ってやれば、冷めた表情を崩さぬままに、狐が激昂しているのが気配で分かった。着物を帯でなく大陸風の腰紐で縛った青年の姿を見遣る。
この狐は自尊心が強い。虎の意を借る何とやら、など知らぬとばかりの風情だが、伝説に残る大妖狐の直系と聞かされて育ったならば無理からぬ話かも知れない。おまけに、話し振りからして、青はまだ五百年も生きておらず、正式には妖狐ですらない。定義上はただの野狐である筈のものが、こうまで見事な人型を成しているとなると、血筋の話もあながち嘘ではないのかも知れない。着物の柄から帯の織りは元より、和装洋装支那服、長髪短髪と変幻自在な狐狸の類は稀有な存在だ。
御するには骨が折れるだろうが、眷属とするなら丁度良い。術者でない欽十朗には、呪いの知識に通じた従者が必要だ。狡賢い、知恵の回る、味方が。
どんなに御し難いものが相手だろうと、欽十朗ならば問題はない。欽十朗は決して他人に膝を折らせようとは思わない。だからこそ、この狐を御す事が出来る。
鍔鬼は心中でほくそ笑んだ。
「でも…そうね。欽十朗があんな女に入れ込むとは思えないが、少し様子は窺っておいても悪くない。狐、行って見てきなさい」
「何故僕が…」
「最初に主人を狙うものについて言及したのはお前よ。眷属の務めを果たしなさい」
いけしゃあしゃあと言ってのける、忌々しい刀の鬼は、女特有の打算的な語調で以て青を翻弄した。たかが狐と見下しているのを隠そうともせず、また実際に強者であるという事実が、青を歯噛みさせた。
欽十朗にちょっかいを出そうとしている妖が女だと知っていたのかと問い詰めても、きっと、梅花皮にわたしの知らぬ事はない、と答えるに違いない。それは青に対する紛れもない嘲笑だと、この鬼は分かっているのだ。分かった上で、命じるのだ。
「厭とは言わせないわ。お前の魂は既に、主の魂の端を担っているのだから」






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