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高校の同輩であった椿欽十朗という男は、どことなく奇妙な所のある男だった。








何が変わっているという訳ではないが、何故だか何時も自然と其処に居て、何かの役に立っている、という印象がある。只其処に居るだけで何一つ仕事をしているという訳でなくとも、何とはなしに、事態が好転したように思えてしまう。
これは俺だけでなく、周囲の者、梅花皮町の住人全員に言える現象のようで、どんなにややこしく、且つ逼迫した事態に陥っていようと、欽十朗が来ればもう、すっかり問題が解決したような気になってしまう。
田舎の風土であるからして仕方がないと思ってしまえば全く、それまでなのであろうが、然し、それでも名状し難い何かの力が作用しているのではと疑ってしまう。
兎にも角にも、椿欽十朗とは、両方の意味で梅花皮町に取っては特別な存在だった。故に、町で問題の起きる場所に彼が居ようと、何の不思議も感じない。というより、其処にあって然るべき人間であるという気さえする。
なので、近頃話題のその場所に佇む一人の温厚な大男の姿を認めた時、俺は密かに胸を撫で下ろしたものだ。ああ、これでやっと、安心してこの道を使えるぞ、と。
「葛丸か?」
一拍遅れて、欽十朗が俺に気付いた。流石に高等学校でつるんでいただけとはいえ、同輩の名は覚えていたらしい。こちらも引いていた荷車を止め、手を振ってみる。
「椿、こんな所で何してるんだ」
「いや、お前こそ、何をしてるんだ」
がさがさと草むらの間、大きな古柳の下から出て来た所で、いかがわしさの欠片もないのが、この男の凄い所だ。確かに、こんな夜更けに荷車を引いているこちらに分が悪いのもあるが、全く、適わない。
「ああ、俺は商売の帰りで…山下の婆さんに長い事捕まってこの時間だ」
「そうか、お前の家、豆腐屋だったな。跡、継いだのか」
「いや、まだ見習いだけどな。親父にどやされてばっかりだ。それより、お前、一応うちのお得意様なんだから、知っておいてくれよ」
「悪いな。大学ばかりにかまけていて、余り家に居ないからな」
「ん?ああ、寮か下宿でも借りてるのか」
「否、家の山を越えれば直ぐが大学だ。自宅から通ってる」
欽十朗は数少ない大学へと進学した秀才で、町の自慢、町の誇りだ。普通なら同輩が一人、大学に進学するとなれば少しは嫉妬が頭を擡げるのだろうが、椿ならばと納得して、堂々とした気持ちで送り出してやれた。この信頼が何処から来ているのか解らないが、不快ではなかった。
暫くそうして会話を続けた後、欽十朗の方から本題を切り出してきた。
「そういえば、近頃この辺りで、喋る壷があるという話を聞いたんだが…」
「そりゃあ、予言の瓶の話だろう。ほら、あそこの、枝垂れ梅の下にある」
待っていました、とばかりに喋り出してしまい、会話や説明の類が苦手な自分を苦々しく想うが、相手は気にした様子もなく、先を促す。
「話に依ると、真夜中、あそこを通ると、何やら嗄れた、男の声がするらしい。ここからが不気味なんだが、どうにも、あの瓶自体が喋っているらしい。だが、どうしてだか、皆それをその時は恐ろしいと思わずに、近寄って話の内容を確かめてしまう。すると、その瓶は近寄った人間に不吉な予言をするんだそうだ。お前は明日、左の臑を折る、って具合に…そしてその通りになる」
「そうか、奇妙な話だな」
さして怖くもない、といった態度でさらりと頷いてみせる。全くこいつは、と笑いながら、ふと、以前はなかった顔の傷に気付く。
「所で、その顔の疵はどうしたんだ。随分と深いようだけど…」
「ああ、先日、刀の手入れをしていたら、失敗してな。この通りだ」
成る程、椿であれば、家の蔵に刀が二本三本あったとしても、不思議ではない。梅花皮なら誰もが知っているが、椿の家の男児は洩れなく、生涯を通じて剣道を倣うのが慣わしだ。刀の手入れもその一環か。
疵の位置や痕からして、まるで普通ではないが、その眼差しからはささくれ立ったものは見受けられず、到底、やくざ者に見えはしない。逆に男振りを上げている程で、誉れある戦歴の証にすら見える。
「はは、長の家も大変だな。じゃあ、明日も早いし、ここいらで失礼するか。それじゃ若様、どうぞ、これからも葛丸豆腐店をご贔屓に」
「済まないな、引き留めて」
「いい、いい。こんな時間なら、差して変わらないしな」
こうして、俺、葛丸弥彦(くずまるやひこ)が椿欽十朗と久方振りに合ったのが、十日前。時間が時間、夜遅くであったのも原因だろうが、何故だか父母との雑談でも、椿に会ったと言うのをすっかり忘れていた。
はたと思い出したのが、その十日後、たった今時分である。




今日は店の定休日で、俺は山一つ挟んで隣の町に住む悪友達と夜遅くまで、酒を舐めつつ麻雀と決め込んでいた。帰る頃には夜半過ぎ、足は酔いどれ千鳥足といった具合で、まだ肌寒い春の夜を、一人赤ら顔で歩いていった。
細い林間の道を越え、やっと梅花皮に着いたと思い、五分十分歩いた時だった。進行方向に、二人の男が居るのに気が付いた。その内の一人こそ、件の椿欽十朗という訳で、見た途端、あっと先日の事を思い起こした。そうだ、この先は例の、喋る瓶がある場所じゃあないか、と。
よくよく見てみると、欽十朗の纏う、闇に溶けるような学生服、背に負うた竹刀袋は良いとして、連れの格好が珍妙奇天烈に過ぎる。洋装とも支那服とも付かない格好をしていて、趣味は悪くないのだが、こんな田舎町では勢い、垢抜け過ぎていて場違いな感が拭えない。きっと小柄ではないのだろうが痩せていてひょろ長く、大柄な欽十朗と並ぶと、どうしても小さく見える。男か女かよく判らない、女形役者のような顔をしていて、髪が短く、端正な顔に含みのあるような笑みを貼り付けていた。何処からどう見ても、怪しい組み合わせだ。
二人は欽十朗を先頭に前後に並んで歩いていて、何やら話しながら、喋る瓶のある枝垂れ梅の方へと歩いてゆく。好奇心を煽られて、俺も二人の動向を気付かれないよう窺う事にした。
どうしてわざわざ間者の真似事をしたのかは自分でも分からないが、何となくそうしてしまったのだ。酔っていたのもあるだろう。
「その予言が本当なら、逆に準備が出来て助かるんじゃないのか」
と、欽十朗が言うと、連れの方が勿体ぶった、教師のような口調で答えた。
「予言というのは、そんなに簡単に出来るものじゃない。増して、只の瓶ではね。運命やら、星の流れやらはとても強靭で、何者もそれに逆らえるようには出来ていない。出来るとすれば神仙だけだが、それすらもちょっとした小細工だけなのだよ。大抵の預言者などというものは、相手の運を少しばかり奪えるだけの三流さ。尤も、語りの数なら、掃いて捨てる程居るけれどね」
「他人の運を奪えるのか」
「そうさ。大半のものは気付かずに生涯を終えるが、時々、そういったものが居る。これは生まれつきで、強まったり弱まったりはしない。周囲の影響は受けるが、その力量に変化はない。だからこそ、長く生きて己の素質を知ったものが、暇に明かして使い始める。だからきっと、遊びのようなものだろう」
男の解説に対し適当に相槌を打ちながら、欽十朗が次の質問へと移ろうとする。
その時だった。後を歩く男の頭がぐにゃりと曲がり、鼻の長い、鋭い牙の揃った狐へと変じた。それに伴って、長い指も何時の間にやら、爪の煌めく獣のものになっている。欽十朗は気付いているのかいないのか、振り向こうともせず淡々と歩き淡々と喋り続けている。
「じゃあ、予言をすると言っても、そう大した事は出来ないのか」
「ああ、そうさ」
狐がにたり、笑うや否や、その前足を振りかぶり、欽十朗の頭を砕こうとする。
危ない、と叫びそうになったが、其れよりも先に、かつり、何かが学生服の懐から落ちて、欽十朗がひょいと拾った。屈んだ為に狐の爪は空を裂き、振り返られて、即座に人の形へと戻る。
「よし。傷は付いていないな」
「…それは何だい?」
「出掛けに持たされた。南天の鍔だ。難を転ずるように、だそうだ」
獲物を仕留め損なった狐の作り笑顔とその心情を察して、笑い出しそうになるがぐっと堪える。当事者である欽十朗がまるで気付いた様子を見せないので、その対比も面白い。流石、椿の若様だ。そうとしか言えない。
まるで気狂いの見る夢のような情景だが、酒の効果も手伝って、すっかり恐怖と毒気を抜かれた俺は、さてこの二人がこれからどうするものかと、傍観と決め込む事にした。






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あきゅろす。
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