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その日は丘山が家に来る事になっていたので、妹にもその旨を伝えておいた。




我が椿家は先祖代々、それこそ江戸よりも以前からこの土地、この町の、一際見晴らしの良い丘の上に居を構えている。所謂金持ち長者の家柄というやつで、敷地には倉が三つもある。
ここで問題となるのがこの倉で、妹はずっとここに起居している。生まれつき体が弱く、人の音や気配に敏感で、母屋の暮らしが障るのだという。
湿気と埃と、何やらよく判らない瘴気のようなものさえ垂れ込めているのではないかと思うような場所で生活するのが、却って良くないのではと常々疑っているのだが、全く、丘山も自分と同意見だったらしい。妹の話を聞くや、見舞いに行くと言い出してくれた。
丘山は、本名を丘山青(おかやませい)という。大学の同輩で、男臭さのない、悪く言えばなよっちい顔をしている。かなりの痩躯で、肌も生白い。しかし終始部屋に籠もって文学か何かに没頭しているのかといえばこれは逆で、常に食えない笑みを顔に貼り付け、昨日はあちらへ今日はこちらへとふらふらしている。文学部であるにも拘わらず、丘山が書物を手にしているのなぞ、一度たりとも見た事がない。
「やぁ、来たよ」
「ああ、遅かったな」
どうやら、勝手に上がり込んでいたらしい。後ろから肩を叩かれて、やっと気付いた。近頃剣術の稽古をしていないせいかも知れない。勘が鈍っているようだ。
「少し早めに来てはいたのだがね、うっかり中で迷ってしまった。途中、家人に道を聞こうかとも思ったんだが、誰も居なくてね。使用人に暇でもやったのかい?」
「いや、そんな筈は…」
確かに、丘山の言う通りだ。朝餉を済ませてからというもの、誰ともすれ違っていない。
ぞくり、と背中に悪寒が疾る。
「気にする事はない。僕が来たから、きっと家が様子を窺っているんだろう」
まるでこちらの心の内を見透かされたような心地がしたが、今はそれがありがたかった。
「さ、今こうして慌てようとどうにもならない。台所は何処かな?」
「…お前、茶菓子が食いたいだけだろう」
女の出来損なったような顔をしている癖、何故だか妙な迫力というか、気迫があるのだ。どんな奇妙な出来事に出逢ったとしても、あの丘山ならば仕方がないと、万人に納得させてしまうような。
かく言う自分も、何があったという訳でもないのに、丘山に一目置いてしまっている。霊道鬼道に佳く通じ、占などお手のもの。近頃噂の千里眼以上の素っ気なさと精度で以て、総てを見通す、我が大学きっての異端児…今回、丘山が妹の病の原因は古来から家に憑く何かしらの仕業だと言うので、冒頭に至る。
「うん、流石は天下の椿家。菓子も高価い味がする」
言いながら、先日母が知人から貰った、三段重入りの練り切りを次から次へと口に運んでは舌なめずりしている。よくもまあこれだけ甘い物を続け様に食えるものかと、呆れを通り越して感心する位、よく食べる。だが、祓い屋を呼んで馬鹿高い謝礼を要求されるよりは遥かにましだ。
一段目を空にした所を見計らって、話を切り出す。
「妹はずっと、倉で寝泊まりしているんだ。晴れの日以外、外に出た試しがない。少しでも家の門から出ようとすると、忽ち咳き込んでその場にうずくまってしまう」
「成る程、家の敷地内なら、平気という訳か」
「…どう思う?」
「どう思うも何も、解り切った話じゃあないか。君の家には時々、君の妹のように体の弱い人が出やしないかい?そしてあらゆる場所の中で、倉に居ると体が一番楽になるように出来ている。恐らくは椿家に憑く家守が、気に入った人間が屋敷を去るのを恐れて、縛っているのだよ。こういう場合、きっとそいつは倉に深く関係するものの筈だ。下手をしたら、倉そのものかも知れないね」
言いながら、丘山は重箱の二段目に取り掛かった。次いで付け加える。
「まぁ、実際に会ってみなくては何とも言えない。行ってみようじゃないか」
にぃ、と笑って、とうとう二段目も空にした丘山は三段目を手に、台所を出る。
倉は家の門、正面から見て最も裏手にある。その三つ並んだ倉の内、三番目、一番右側に妹は住んでいる。最も古く、最も造りの丈夫な倉だ。
倉の中はちょっとした二階建てとなっており、二階は僅かに開いた窓から光が取り込めるようになっている。妹はそこを衝立で仕切って、布団を敷いて寝ているのだ。
一階はといえば、見ての通り、倉特有の薄暗さ以外は全く、普通の部屋と同じように家具が揃えられ、床には何枚か畳まで敷いてある。歴代の、丘山が云う処の家守に魅入られた人間が生活してきた時間が、この倉を人の部屋と成しているようだ。
「紅子(べにこ)、起きてるか?丘山を連れてきた」
「兄さま」
階段を上ると、布団から半分身を起こした妹が微笑んで出迎えてくれた。
既に大分前から起きて、身支度を整えていたようだ。肩でふわりと切り揃えたモダンな髪型はすっかり整えられていて、柔らかい色をした髪は、細いながらも艶があった。目がぱっちりと開いていて、顔色も良い。
読書をしていたらしく膝の上に、古い巻物を広げている。
「はじめまして。あなたが、兄さまのお友達の…」
「丘山、青です。はじめまして」
「ふふ、兄さまのお友達に会ったの何て、初めて」
妹に菓子を渡しながら笑顔を浮かべる丘山のそれは、どことなくぎこちない。きっと、普段のような含みのある笑みではないからだろう。
「それにしても、凄い倉ですね。一体何時からここに?」
「よく、覚えてはいないのですけれど…生まれてすぐだったそうです。家中探して、私の体が一番落ち着くのがこの倉だったそうなので…」
「不思議ですね。何か、心当たりは?」
「あの、ご参考になれば良いのですけど、これ…」
妹が、膝に広げた巻物を差し出す。受け取った丘山が視線を落とし、そして、息を呑んだのが隣からも分かった。
「何て、書いてある?」
余りに長く続く沈黙に痺れを切らして肩を叩くと、はっとしたように、巻物を読み上げ始めた。
「…“東国は梅花皮に村あり。長、栄え、人の妬みを買うも、一族皆陽の気強く其れ悉く退けり。然れども人の妬み留まる処を知らず、遂には妖変化、魑魅魍魎の類を寄せ、家人に災及ぶ。当主鉦房(かねふさ)此を憂いて刀を伐たせ、守護として家に据え置く。破邪刀災を祓い、鉦房名を欽一朗(きんいちろう)と改めり。曰わく、この刀の銘を禊紅梅(みそぎべにうめ)と定めん”…紅子さん、これは重要な手掛かりです。もしかすると、椿家の繁栄は、紅子さんのような、一族の中で最も禊紅梅に気に入られた人を差し出す事で成り立っているのかも知れません」
「それじゃ、紅子は…!」
「ああ、禊紅梅がある限り、この家と倉に縛られて、やがては精気を吸い尽くされて、命を落とすだろう。椿家の繁栄は、紅子さんの犠牲が不可欠なんだ。こんなのは正しくない。直ぐにこの倉と、刀を、禊紅梅を壊した方が良い」
飄々とした性格の丘山が、何時になく真剣な眼差しで、早口でまくし立てるものだから、自分にもこれが尋常の事態でないとよく解った。
「多分、禊紅梅はこの倉にあるんだ。早く探して…」
「それなら、ここにあります」
ぴしり、と驚く程強く、張りのある声で、紅子が丘山を制した。手には、布団の中に隠していたのか、見事な一振りの刀がある。黒い蝋色塗(ろいろぬり)の鞘に、浪人結にした下緒は金の畝組(うねぐみ)。
「禊紅梅を壊す必要はありません。倉も同様です。どうぞお帰り下さい」
まるで射るような目だ。柔らかい筈の眼差しが、澄んだ、真っ直ぐな目で、丘山を捉えている。ともすれば、一種武道家のような、そんな気迫さえ感じる。
「紅子…」
戸惑いながらも名を呼ぶが、黙殺される。
「曲がりなりにも、あなたがこの家の客人である限り、私も何かするつもりはありませんでした。ですが、あなたは嘘を吐いた。嘘で不安を煽って、この家を内側から崩そうとした」
「な、なにを…」
「愚かな獣。わたしに会っても、わたしが誰だか解らなかった」
す、と紅子が立ち上がる。見事に、実に美しく凛々しい立ち姿だった。丘山がじりじりと後退る。
「紅子、お前、何を…」
「思い出して。兄さま。本当は、あなたに最初から妹など居なかった。昔、まだあなたが幼かった頃、わたしはあなたの姉だったでしょう?」
余りの事に、頭が付いて行かない。とうとう壁際に追いやられた丘山が、恐怖におののいた表情を浮かべる。
「そうか、お前が…!」
「…この家は、鎌倉の時に手柄を立てた武士が居着いて治めた地。元より陽の気が濃く現れるこの家の祖先が、群のある谷に溜まる妖や邪気を祓う為、北東の丘、鬼門に居を構えたのがこの屋敷の馴れ初め。数世を経て妖を家人から守る為、当主であった鉦房が刀を伐たせ、その刀を屋敷の北東、最も淀みの溜まる場所に倉を造って納めた。魔を退け妖を断ち斬る破邪刀は主の命を受け、家守となった」
整った形の指が揃った少女の手が、それぞれ柄と鞘を握る。




「銘を禊紅梅、名を鍔鬼」




すらりと滑らかな刀身が抜かれ、空気が変わる。場にある全てが、斬り伏せられたようだった。
「くそ、お前の妹ならば、どれだけの力を得られるかと思ったのに!まさか家守だったとは!もしもお前が女だったら、仙狐になるのにあと百人必要なのを、一人で済んだというのに!畜生、畜生!おれの計画はこれで全部ご破算だ!」
鼓膜を破るような勢いで怒鳴った。
女のように柔和な顔が歪み、まるで般若のようだった。叫ぶなり、刀の気迫によって場の空気が斬られたのが感覚で分かった。途端、ついと肩が軽くなり、丘山の姿がほんの一瞬狐になり、霧散した。
「仕留められなかったか…」
きん、と小さく鳴って、刀が鞘に収められた。紅子の言葉が強い。
ああ、駄目だ。もう。思い出した。思い出してしまった。
ふぅ、と可憐な唇が溜め息を吐く。
「つばきの家のつばき、とは、鍔の鬼。鍔は、主を穢す血を止め、害を為す刃を留める。人の身では並外れた豪運の持ち主である主を守れない。けれど、ただの破邪刀では役に立たない。鉦房は…欽一朗は、わたしに呪法を用いて、鬼と成さしめた。子々孫々まで血族を庇護するように」
自分には、妹など居なかった。姉も居ない。何故忘れてしまったのだろう。最初から、兄弟など誰も居なかった。
「欽十朗、何を悲しむ。あれは獣だ」
紅子が、いや、鍔鬼が静かに、くず折れた俺の前へと歩み寄る。白い足袋に包まれた爪先よりも上を、見る事が出来ない。
「ああ、友人だったのだね。でも、それは無理だ。わたしは欽十朗の眷属ではないから…」
「良い奴だったんだ」
「この家に憑いて勝手をしようとしていても?」
「俺には良い奴だった」
「欽十朗」
華奢な手が、頬を包み込む。少しひんやりとしている。こうしてみると、どうして今まで気付かなかったのか。これは明らかに、人の気配ではない。
「忘れなさい。全部。紅子という妹も、丘山という友人も、居なかった。最初から何処にも、居なかった…」
泣き疲れた子供のように、瞼が重い。思考を放棄したい誘惑に身を任せて、目を閉じた。












分家まで、椿の血を少しでも引く親戚を集めて、大広間にて年始の挨拶をするのが昔からの慣わしだと父は言う。それには必ず、家長が背中を預ける床の間に、先祖から伝わる刀を飾らねばならないそうだ。
椿の一族の為に造られた刀が、家の外から客に紛れてやって来る魔を祓うらしい。
仕方なしに、倉に入って刀を探す。破邪刀は、本家の者が倉から出さねばならないと決まっている。
「ああ、これか…」
倉の二階、一番奥まった場所に飾られている刀を取り、刀身を確かめる。確かな鉄の重みがある。静かに、鍛えられた鋼が光る。
「良い刀だな」










あきゅろす。
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