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【に】




【心中屋、針屋静】
美貌の連続殺人鬼少女、帝都に現る。針屋静、十六歳。元は地方出身の針子であったが、一年前に失踪。その約半年後から犯行を重ねていたと思われるが、詳細は目下調査中である。この恐るべき少女暗殺者は自らを心中屋と名乗り、結ばれずに世を儚む男女の自殺を幇助(ほうじょ)、或いは殺害するのを信条としており、神出鬼没にして薬学・医学に通じ、本人の依頼に従って仕事をこなす。かの有名な國武義燕大佐と対決し、唯一逃れた凶悪犯である――…
これが、新聞の一面記事にて掲載された、心中屋針屋静に纏わる情報である。帝都市井の人々を恐怖と、そして僅かばかりの恍惚に叩き込んだ大逆無道の徒が、今将に目の前に居るのだ。
「そうか、あんたが噂の心中屋か」
「ええ。今回の依頼人は柳川千尋嬢なの。私はお金など要らないし、居場所を教えてくれればそれで良いわ」
言外に、教えなくば強行手段に出るのも厭わぬと匂わせる針屋静であったが、そこに神前竜堂が口を挟んだ。
「待ってくれ、心中屋。千尋お嬢様には想い人など居られなかった筈だ。貴殿に依頼をしてきたのは一体誰だ」
「お嬢様って…貴方、一体何者?」
神前竜堂の突然の変化に、針屋静だけでなく、胴元までもが眉を寄せた。苦笑しながら、壱弐参一二三が立ち上がる。
「嘘を吐いてしまい申し訳なかった。そこの彼は神前竜堂。俳句作家などではなく、今年十九歳になる柳川公爵家の用心棒」
「十九歳!?」
その場に居た全員から驚かれて、神前竜堂がむっつりと黙り込む。この先の展開が目に見えていたからだ。
「そしてボクは、柳川夫人から千尋嬢捜索の依頼を受けたいろは探偵事務所所長、壱弐参一二三。先に言わせて貰うと、これでも四十五歳だ」
「四十五!?」
更に驚きの声が半分、何故そんな嘘を吐くのかという疑問から来る溜め息が半分といった所だろう。本当なのかと目を合わせてくる針屋静と胴元に、神前竜堂はこっくりと頷いた。壱弐参一二三は既に先手を打って短銃携行許可証を提示しているが、それでもまだ信じられなかったらしい。人生も半ばを迎えた男が書生の格好をしているのだからまた、ややこしい。
一体どういう事だと俄かに場が紛糾するが、外からざわめきと幾つかの悲鳴を引き連れて、この状況を打開する嵐がやってきた。
すぱん!勢い良く襖が開けられた。
「よぉ、金五(きんご)。商売は上手くいってるか?」
「はーいはい。一斉検挙じゃないから騒がなくていいよー」
現れたのは、派手な着物を着崩し、朱塗りの煙管を咥えた長髪の男と、軍帽も被らずに、間延びした声を出す背の高い痩せ型の軍人であった。後から、その部下と思しき少年軍人が慌てて続く。
「お頭!」
金五、と呼ばれた胴元が起立し、深々と頭を下げて上座を譲る。一拍遅れて他の男達も次々に頭を下げて、脇に控える。当然の如くどっかりと分厚い座布団に座った男の隣に、軍人もだらしない格好で腰を下ろした。
「國武義燕大佐、一体どういう風の吹き回しだい?」
わざとらしく嘆息した壱弐参一二三の問いに、國武義燕大佐が答える。
「あー、うん。今から説明するよ。まあ端的に言うと、今回の事件はどう考えても四人が話し合わなければ解決しないって事だよ」
先生だってもう察しは付いてるでしょ?と嘯く國武義燕の言葉に、お頭と呼ばれた男がニヤニヤと笑っている。どちらも芝居掛かった語り口だ。
「それで義燕、そちらはもしかして、例のヘルメースなのかな?」
「ヘルメースたぁ誰だか知らねぇが、盗賊家業をやってる、階平夜ってもんだ。宜しく頼むぜ名探偵」
「ああ、よろしく。探偵として、好敵手たる怪盗に会えて嬉しい限りだよ」
固く握手を交わす探偵と大盗賊の首領という構図を前に、神前竜堂の頭脳は混乱の坩堝(るつぼ)に陥った。
名探偵・壱弐参一二三。国軍大佐・國武義燕。平成盗跖・階平夜。心中屋・針屋静…
帝都を賑わす大物四人、互いの尾を食い合う蛇達が、一同に介する事となったのだ。それが捕り物ならば兎も角、悠長にも会議とはいかなる事か。
「うーん、話せば長くなるけど、針屋静さんもまあ慌てずに聞いて欲しい。今日の僕は柳川千尋嬢の捜索指令書しか持っていない。綾橋左近兵長、書状を此に」
「は、はいっ!…って、國武義燕大佐!針屋静が目の前に居るのに、捕らえずとも良いのですか!?日本国軍人としてっ…」
「左近、煩い。…ほら、確かめてみて。そうだ、いっその事、最初に皆持ってるカードを全部切った方が早いかもねぇ」
綾橋左近兵長、という少年将校が至極尤もな言い分で上官に食って掛かるが、國武義燕大佐は知らぬ顔でさらりと流す。
「ボクはそんな大層な情報は持っていなかったよ。さっき迄はね。これにはまず、針屋さんと神前竜堂君の話を聞いた方が早い」
壱弐参一二三に話を振られて、先に針屋静が説明を始める。「わかったわ。仕事の雲行き自体が怪しくなってきたから言うけれど…私は今から一週間前、神前竜堂と名乗る青年に依頼を受けたわ。勿論、今此処に居るのとは全く別人の」
「某は正真正銘、神前竜堂と申す者。恩あって柳川家の用心棒をしている。だが、千尋お嬢様とは恋仲になった事もなければ、お嬢様にそのような相手が居たとも、聞いた事がない。天地神明にかけて誓う」
自分の名前が知らず利用されていたと知って、神前竜堂青年は驚いた。
「うん、彼の身元に関しては僕が保証するよ。尤も、彼が嘘の達人に見えるのであれば、話は別だけどね。それで、針屋さん、君の事だから、裏は取ったんだろう?」
「ええ。調査したわ。元武家の青年が柳川家に恩義を返す為、用心棒をしているとは有名でしたから。庭師小屋で寝起きしているともね。実際、この目で見に行きました」
「それは何日の事ですか?」
「二日前の朝五時頃だったかしら。庭師小屋から、竹刀を持って出てくる所を見たわ」
これにも神前竜堂は驚いた。壱弐参一二三が先を促す。
「その朝、君は一体何処に居たんだい?」
「某は…毎朝日の出と共に起きて稽古をするのが日課なのだが…丁度その日は新しく増やした用心棒との顔合わせをしていた」
早朝であれば、賊の侵入する心配も余りないだろうという侯爵の考えであった。前日から言い含められていたので、直ぐに本邸へと向かったのだ。
「…成る程。それで、次に義燕、君の話を聞こう」
「あー、そうだねー。まあ、此処じゃ言えないような情報源が軍にはあってね。針屋静さんとか平夜とかはもう知ってると思うけど、僕にも立場があるから伏せさせて貰うよ。で、ざっくり言ってしまえば、柳川侯爵は大商人の例に漏れず、裏とも繋がりがある。その裏っていうのがこの賭場。情報を信じるなら本来、千尋嬢はここの地下に預けられている筈なんだけど、平夜に聞いてみたら居ないって言うから、ねぇ?」
とうとう畳に寝そべり始めた國武義燕大佐の姿には世も末かと思わせる。が、それを必死に起こさせようと苦心する綾橋左近兵長が恐ろしく有り難いもののように見えてきて、神前竜堂は妙な所で感心していた。
詰まる所、既に話に付いて行けなくなっていたのだ。
「ああ、そうだ。俺達裏の世界じゃ今、ご令嬢を預かってる奴なんざ一人たりとも居ねぇ。だが世間では令嬢は消え、痛くもねぇ腹を探られてるってぇ訳だ」
舌打ちと共に吐き捨てた階平夜に、壱弐参一二三が待っていましたとばかり、にっこりと笑う。
「よし、成る程。全部繋がった」
ぱん。ひとつ手を叩いて、名探偵が腰を上げる。答え合わせの始まりだ。
「千尋嬢は、今を以ても柳川家に居る。恐らくは、父親の柳川康一氏に、命の危険があるからと嘘を吹き込まれて、別荘の何処かに匿われているに違いない。神前竜堂君、近くにある柳川家の別荘は何処だい?」
「神田の辺りに別荘と、赤坂に旦那様の持つ事務所があると聞いているが」
「事務所か…違うな。分かり易過ぎる。なら…そうか!あそこか!」
殆ど叫ぶようにして、壱弐参一二三は歓喜に笑った。満面の笑みだ。事件が楽しくて仕方ないと、全身に表れている。
「ボクらも千尋嬢も、運が良い。そして、義燕、君には手柄を上げる好機が訪れ、階氏は帝都に蔓延する病を駆逐する事が出来、針屋さんは汚名を被らずに済んだ」
「勿体振らないで教えなさい、探偵。あなただけ札を切っていないわよ」
冷静な口調で詰問する針屋静に、階平夜と國武義燕も頷く。
「大体は解ったが、決定打に欠ける。さっさと札を切ってくれや、探偵先生」
「先生、どうせ美味しいネタ持ってんでしょ?」
壱弐参一二三は、ああそういえば、などと呑気に返す。どうやら、多くの才媛がそうであるように、壱弐参一二三も普通の人とは少しずれているようだ。
「どのような形であれ、この日の本を誇りに思う諸君には怒り心頭の事だと思うけど…社交界に阿片を流す黒幕こそが、柳川公爵なんだよ。そして、千尋嬢はそれに利用されていた。恐らくは相手方と問題が起きて、今回の事件に至ったんだろう。予想するに、柳川公爵はこの賭場を軍に差し出して自らの危機を脱し、取引相手まで一網打尽にしようと考えた。もしかすると、軍よりも先に証拠を掴んだという筋書きでね。針屋静さんは、その取引相手から利用されていた。千尋嬢を闇に葬れば、自分達の存在が明るみに出るより先に、軍を自宅に招く柳川公爵に捜査の手が伸びる。だから柳川公爵が巨悪として検挙される隙に雲隠れするつもりだったのではないかな?」
阿片。そのたった一つで全ての事柄が繋がった。確かに、近頃は華族の間に阿片が出回っているという噂があったが、例え唾棄(だき)すべき事実があろうと、権力の前にそれはただの噂に成り下がる。
頭が働く人間であれば、その本質が表であろうが裏であろうが、阿片を嫌うものだ。何故ならば、海を挟んで向こう側に横たわる、嘗て眠れる獅子と称せられた大国を死にかけに迄追い込んだ悪の華こそが、他ならぬ芥子(けし)なのだから。国が滅んでしまっては、何者たりとて立ち行かぬ。この閉ざされたまほろばの島国に、出口などありはしないのだから。
「…舐めた真似してくれるじゃない」
静寂を最初に打ち破ったのは、針屋静だった。小さな掌が白くなる位、ぎりりと爪を食い込ませている。
「裏の世界には仁義ってもんがある。それを知らぬ存ぜぬで泥を塗ろうなんざ、虫が好すぎるぜ」
かん。いつの間にか金五によって用意されていた煙草盆に、階平夜がやにを捨てる。
「うーん、面白くないねぇ。軍は便利屋じゃないんだけど…それにしたって只で踊らされたんじゃ、国家の威信に関わるよ。ねぇ、左近?」
「全くです」
のっそりと身を起こした國武義燕が、口調を崩さずに、然し剣呑に光る瞳で部下に同意を求める。
そして最後に、壱弐参一二三が振り向いて、聞いた。
「神前竜堂君、君は一体どうする?」
「某は――…」
一瞬、躊躇った。恩義ある柳川家に仇成す行為ではないかと、弱気になったのだ。今日の今日まで衣食住を与えたのは柳川康一氏であるからだ。
だが、神前竜堂青年はすぐさま思い直して、はっきりとこう告げた。
「千尋を、助けねばなりません」
殆ど衝動的に口にしていた。本人は気付いていなかったが、最早従者の顔ではなかった。
国を蝕む毒を売って私腹を肥やし、周囲の人間を貶めようとした挙げ句、自らの娘すらも利用する男の何処に仁義があるものか。
この事件の行く末を考えれば千尋と夫人を哀れとも思ったが、神前竜堂は真実、この平成の世にあっても尚、武士の子であった。彼が愚直にしか生きられぬといち早く見抜いていた壱弐参一二三はしたり顔で頷いた。
「それでこそ若者。じゃあ、ボクは神前竜堂君に付くよ。どうせ皆、この獲物を他の誰かに譲る気は毛頭ないんだろう?」
勿論だとばかり頷き、或いは目を合わせてくる三人に向かって、壱弐参一二三が茶目っ気たっぷりに提案した。
「なら、此処は賭場なんだから、花札で決めよう。一番成績の良かった者が、全ての采配をする権利を得る。どうだい?」
「まー、それが無難だろうね。それで、先生、一体何の遊びで勝負するの?」
「それは勿論、花札といえばこいこいだよ、君。まだ時間もある事だし、総当たり戦で行こう」
手近な場所にあった花札を引き寄せて、掌で猪鹿蝶を作りながら、壱弐参一二三は三人から「張った」の声を聞いて、とうとう声を上げて笑った。
何せ、彼は先程まで、神前竜堂青年には勝負を切り上げる時を教えてやっただけで、一つのいかさまもしていないのだから。




「有り得ないわ」
ぽつり。針屋静が呟いた。この集った面々の内で、最早彼女が口火を切るのが約束事となっているようだった。大人しそうな見掛けに寄らず、せっかちな性格らしい。
「有り得るさ」
何食わぬ顔で悠々と言ってのける壱弐参一二三であったが、階平夜と國武義燕は目を丸くしている。
「まあ…何というか…典型的な生き汚い打ち方だな」
「あー、そうそう。先生の生き汚さが現れてるよねぇ。この得点票」
「失敬な。勝ちは勝ちだよ」
花札勝負を始めて二時間、結果は壱弐参一二三と神前竜堂、二人の圧勝であった。
針屋静が強かったのは終始いかさまをしていたせいで、普通に打ち始めた途端、まあそこそこの腕に収まっていた。
だが争点となったのは矢張り神前竜堂の腕前であって、次から次へと高い役を、しかも同時に二つも三つも作って勝つものだから、針屋静より意義申し立てがあったのだ。神前竜堂が全くいかさまをしていないと、階平夜が太鼓判を押したがそれでも収まらず、針屋静の相手を壱弐参一二三がしたのだが…結果はあえなるかな、両者互いに役の潰し合い。泥試合となった。しかも、最後の最後に壱弐参一二三が猪鹿蝶で上がって逆転勝利となったので、針屋静の吐き出した台詞に繋がるのだ。
「見てたが、何か細工をした様子はねぇよ。諦めな。心中屋」
「有り得ないわ…」
「あー、でも、究極のいかさましといてこの結果は却って凄いよねぇ」
話が纏まり掛けていた所に、國武義燕が放った問題発言に、その場に居た全員が疑問符を浮かべる。
「えーと…確か先生、写真記憶が出来るんだよね。だから、神前くんが打ってるのを見てたから、多分全部の札の個体差を見分けられるんだよ」
花札は、職人が一枚一枚手で作った工芸品である。
故に、ほんの僅かではあるが個体差が生じるし、裏に張った和紙の繊維も均一にとはいかない。もしも、それを札の図案と併せて暗記出来たとしたら、半分は運任せであるものの、もう半分は思いの儘だ。
「義燕、何で言わなかった」
「あー、うん。ごめんごめん。何か面倒臭くって」
「大佐ぁあああぁ!あっ、貴方という方はっ…!」
大いに呆れながらも怒りを滲ませる裏社会の首領と嘆きにくず折れる部下に、袖から小刀を覗かせる殺人者にも構わず、名探偵と大佐殿はさっさと話を続けている。
「でも、どうせ針屋静さんが神前くんと張った所で、神前くんの圧勝だろうし…もういいんじゃない?」
「だろうね。なら約束通り、僕が指揮を取るよ。まず、針屋さんには貴女を騙した不届き者を任せます。次に、階氏はこの住所にある場所の処分を。最後に、義燕は柳川公爵の確保をお願いしたい。事務所の方には、まず僕と神前くんで行くから、後から人を寄越してくれ」
一転、理知的な雰囲気を纏った壱弐参一二三の割り当てに、各々そこそこは納得したらしい。階平夜も壱弐参一二三が手帳の一枚を破って渡すと、黙って頷いた。
「では、丁度日も暮れてきた事だし、各々、行くとしようか」







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