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【ろ】




翌日になってから、壱弐参一二三は漸(ようや)く捜査を開始した。体の隅々にまで栄養と共に活力が行き渡って、果敢にこの難事件に挑む気概が湧いて出たのだ。
早速、善は急げとばかり、軽い足取りで革靴を履いて柳川公爵邸に出掛けたのだった。
所で、柳川公爵家は代々、第二次鎖国維新が始まって以来、絶えず政治家を輩出してきた名門家系である。現在当主たる柳川寛一氏は二代前の首相の孫であり、財閥の代表を務め、日々業界で辣腕(らつわん)を奮う大商人だ。故に、家柄と財産、両方を備えた柳川家の令嬢とあらば、厳しい警備の下に守られているのが常だが、これが失踪したとは如何なる事か。本人が望んで家出を計画していたと仮定しても、成功するとは思えない。
唯一、深窓の令嬢を颯爽と盗む実力を持った盗人を知らぬではないが、その可能性は最初から切って捨てた。
【平成盗跖(とうせき)】
そのような名前が随分と前から紙面を賑わせている。豪放磊落疾風迅雷。かの孔子すらも弁論で言い負かしたとされる大盗賊の異名を取るのは、平夜(へいや)と名乗る義賊である。好んで階段のある場所に姿を現し、自らもそう名乗った事から、階(きざはし)平夜と呼ばれている。私腹を肥やす政治家や、悪徳商人ばかりを狙って盗みを働き、金銭を民にばら撒く義賊。忍が如き雲隠れの腕前を持つ故に、軍はこの盗賊を未だ捕縛出来ずにいるのだ。
だが然し、階平夜が狙うのは金銭と汚職の証拠であり、婦女子を拐(かどわ)かすのは彼の本分ではない。壱弐参一二三はかの盗賊を、甚だ珍妙奇天烈な話ではあるが、信頼していた。シャアロック・ホウムズに対するように、アルセエヌ・ルパンにも敬意を払う事が世の道理であると信じていたからだ。俗に此を美学と云う。
さて、考え事をしている内に、柳川公爵邸に辿り着いたが然し、何やら様子がおかしい。いやに警備の浪人崩れがぴりぴりした様子で、やおら此方に殺気を飛ばしてくるのだ。
だが、壱弐参一二三はそんなものには気付いていない。臆面もなく浪人に話し掛けた。
「すみません、ボクは柳川夫人から依頼を受けた探偵で、壱弐参一二三という者なんですが、一体何があったのか教えては頂けませんか」
「壱弐参一二三だと?」
三十も後半のように見受けられる浪人は、見事な三白眼で来訪者を検分した。どうやら用心棒だけあって、注意深い性質のようだ。
「壱弐参一二三といえば、帝都にその人ありと言われる難事件専門の探偵だ。貴様のような若造である筈がない」
成る程、この言い分は尤もであった。
【名探偵、いろはひふみ】
全国の少年少女の羨望と尊敬とを一身に集める名探偵、それが壱弐参一二三だ。国公立大学にて教鞭を取る程の学識を備え、僅か十三にして単身英国に渡り、本場の探偵技術を学んだ。約二十年の修行の末に、各国に名が知られている大人物だ。日の本に帰ってからは難事件のみを専門として活動を続けている。故に、半年に一度は一面記事に姿を現し、世の人々に名を忘れさせない。さもなくば三面の隅にて、ひっそりといろは探偵事務所の広告が座している――…
それが、世間の知る壱弐参一二三であった。疑って掛かるのも当然だろう。
「若造に若造呼ばわりされたくはないな。君、見た所、十八、九に見えるけれど」
浪人は俄(にわ)かに瞠目(どうもく)した。矢張り、考えが表情に出易い、硬派独特の若さが端々にある。
「確かに、俺は十九だが…どうして解った?」
唸りながら首を捻って、若武者は腕を組んだ。それが若い割に余りにも様になっているものだから、ははあ、確かにこれは老けているなあと壱弐参一二三は納得した。
「先ず、肌がまだ若いし、皺も弛(たる)みもない。肩も腹も薄いし、真っ直ぐに背筋が伸びているのが自然で、歪みがない。だから、若者だと分かるのさ」
「俺の年齢を言い当てたのは誉めてやる。だが、貴様が壱弐参一二三だと、どうやって証明するつもりだ」
「勿論、証明するよ。ここに柳川夫人からの依頼書と、政府発行の短銃携行許可証がある。改めてくれて構わない」
短銃携行許可証は、確か政府の厳正な審査と試験が必要で、軍人以外に所有しているのはほんの一握りという大変名誉ある資格である。この免許には毎年の更新が義務付けられており、証明写真が載せられているとは常識となっている。
故に、若き浪士は驚嘆した。
「壱弐参一二三、年齢…四十五歳…!?」
「あはは、ボク、童顔なんだ」
「この態でか!?」
何処からどう見ても、名探偵を名乗る茶色い髪の男は十八かそこらにしか見えない。否、もっと言ってしまえば、顔立ちが甘いせいで十六位に見える。
着ている服の型といい色といい、人生も半ばを過ぎた紳士に相応しい品物ばかりではあったが…それにしても若過ぎるのは確かだ。尋常ではない。
「ボクもほとほとこの容姿には嫌気が差しているよ。せめて君と足して二で割れたら良いのに…所で、ボクの本人証明は完了したのかな?」
「いや、失礼。確かに確認致した。壱弐参一二三殿、無礼な口を利いてしまい、申し訳ない」
深々と頭を下げる青年の潔い態度に気分が良くなって、壱弐参一二三はにっこりと微笑んだ。
「君、名前は?」
「神前竜堂(かんざきりゅうどう)と申します」
「神前くんか、宜しく。夫人に取り次いで貰えるかな」
「承り候…と言いたいが、実は今朝、お嬢様を誘拐したと見られる犯人から脅迫状が届いた故、直ぐにとはゆきますまい」
会話を続けながらも、神前竜堂青年は壱弐参一二三を門の内に入れた。中は財閥の家に相応しく、よく手入れされた英国風の薔薇園になっていた。この神前竜堂青年の格好が今日日珍しくも単なる小袖とくたびれた袴だけなので、恐ろしく場にそぐわない。だが、口振りからしてそれなりに柳川家の人と親しいのは滲み出ている。壱弐参一二三がこの青年は一体どういう立ち位置なのかと推理を巡らせようとした時であった。
「壱弐参殿、恥ずかしながら、五年前に両親が他界して以来、拙者は柳川家の居候という立場にあり…故に知っているのだが、旦那様は軍国主義を信条としておられるのだ。奥様はあの通り開花主義的な方なのだが…」
居心地悪そうに言葉尻を濁す神前竜堂青年に、壱弐参一二三は笑いを堪えるのに精一杯となる。顰め面の割に、言動が一々律儀で愚直なのだ。この対比が面白い。
「ちょっと待ってくれ、神前くん。なら、もしかして既にその脅迫状は軍に押収されているのかい?」
「はい、今朝の内に」
「なら、もうここに見るべきものはないな。所で神前くん、門番以外にやる事がないのなら、夫人辺りから外出許可を貰って、捜査を手伝ってはくれないか。人手が足りないんだ」






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