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【01:椿欽十朗鉦継】




「鉦継!待ちなさい!」
「誰が待つか!」
ばたばたという騒々しい足音と子供じみた言い争いの声には最早、溜め息すら出て来ない。今日もまたか、と。半分諦めに近い気持ちで倉の屋根から地面に降り立った。
「どわっ!」
「煩いな。これだから餓鬼は厭なんだ…」
丁度倉から出ようとした所を、いきなり目の前に長身の男が降ってきたのだから驚くのも無理はない…と思ってやりたいのは山々だが、もう数十回も繰り返した後なので、同情の余地はない。
この子供―――椿欽十朗鉦継は、普通の子供なのだ。何処までも。彼の祖父とは比べものにならない。確かに祖父の方は、それこそ異常な迄の器の大きさを持っていたから、それが始末に負えない時がままあったけれども、それにしても、少しは遺伝していても良かっただろう。
「うっせーよ!そんなに不満ならどっか行けよ!丘山!」
「はぁ…つくづく頭が痛いよ。こんな餓鬼がこの僕の主だ何て…悪い冗談としか思えない」




丘山青は由緒正しきかの葛の葉狐の末裔だ。その妖力は並ならず、知謀に長ける。然しながら彼はその昔、ある一人の青年とその守護たる刀の鬼に命を救われ、青年の名前…椿欽十朗に仕える事となった。
欽十朗は守護の刀と眷属の狐が子孫を守るようにと、名を受け継がせる事としたのだ。
故に、現代には珍しい、椿欽十朗鉦継などという古風な名前をこの少年が持っているのはそういう訳だ。
「だからつまり、君が椿欽十朗の名を捨てなくては契約は切れない。何度も同じ事を説明させないでくれ」
「何でオレなんだよ。銀牙で良いじゃねーか…アイツの方が出来良いんだしよ…」
アイツが、椿欽十朗で…そう言い澱む。
銀牙、とは今年十三歳になる鉦継の年子の弟だ。その更に下には八歳になる妹の燐が居るが、椿家の三人兄妹の中で一番目立つのは誰かといえば、誰もが間違いなく次男の銀牙だ、と答えるだろう。
眉目秀麗なら文武両道、物静かで知的な雰囲気の少年だ。容姿ならば妹の燐も母親似の優しい顔をしているが、銀牙は父にも母にも似ず、寧ろ彼らの叔父に似た。彼らの叔父もまた、男性ではあるが知的さを湛えた美丈夫なのだ。
一方、鉦継はといえば、顔に悪い所も見られなければ特に際立った部分もないという具合で、よく観察すれば形は良いのだが目立つ性質のものではない。剣の才能はあるが根気が足りないが故に未だ発展途上で、弟には辛うじて勝ててはいるがこのまま努力不足が続けば近い内に追い抜かれるのは間違いない。勉学は苦手で、こちらは完璧に弟に負けている。
「全く、君は…」
詰まる所、横文字を使って言うのならば、コンプレックスというやつか。往々にして、弟とは兄よりも要領の良いものだ。年子となれば尚更に。
鉦継が本気で丘山を突き放そうとしないのも、恐らくは選ばれたのが弟ではなく自分であったのだという子供じみた意地からだろう。せめても、と反抗してか、明るく染めた髪の色が濃い瞳と不調和を成していて、滑稽というよりは却って同情を誘った。
「欽十朗が君を自分にすると決めたのだから、仕方ないだろう。名付け親は僕じゃない」
「…うっせ」
ぐい。鉦継が丘山の薄い体を折らんばかりの力で押し退けて、駆けてゆく。あれも一体何処に行くつもりなのか。いや、行き先など何も決めてはいないだろうと丘山は考える。
生まれた時代を選べないのは常に悲劇として生き物と共にあるが、それでも、余り良くない時代に生まれてしまったものだとしみじみ思う。
「追いなさい。狐」
「今行くさ」
普段凛とした少女の声が低く、丘山に命じる。振り向くと、眉根を寄せた小柄な鬼が居た。赤い、椿の柄が入った振り袖に身を包んでいる。神秘的に薄い色のふんわりと柔らかそうな髪は肩で綺麗に切り揃えられ、同じ色をした瞳はぎろりと不機嫌そうにこちらを睨んでくる。
彼女が椿欽十朗の守護、銘を禊紅梅、名を鍔鬼と云う、刀の鬼だ。欽十朗より九代前の、欽一朗の時代から椿の血と此処、梅花皮の谷を護ってきた。
「ただの子供の癇癪さ。此方が冷静に待てば、どうとでもなる種類の」
「もう子供で通じる年ではないわ」
「人の世は常に移ろいゆくものさ。まつろわぬ民など居ない」
「……行きなさい」
鍔鬼は、鉦継に過剰な期待を寄せている。鉦継の父たる鉦正は異形を見る目を持たず、また怪異を聴く耳を持たずに生まれた。きちんと対話出来る直系は欽十朗以来なのだ。無理もない。
だが、その鍔鬼の期待が鉦継を締め付けているのも事実だ。
丘山はもう何度目か分からない溜め息を吐いてから、歩き出した。
「全く、僕も焼きが回ったものだよ」
人間に対して、少しは手助けしてやろうか、何て。






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