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クロガネクラリッサ










彼女は鉄の女だった。
クラリッサは異端児として生まれ異端者として育ち、偏屈に退屈に生きていた。
彼女はただ信じる神を持たず神を蔑む事もせず各々の神を信じる村人から浴びせられる侮蔑をも薄ら笑いを浮かべ、受けるに甘んじた。往々にして宗教とは対立するものであり、人は自らの神以外を信奉する者を嫌うか蔑むか、でなければ眉唾だと苦笑するかの何れかであるが、クラリッサは信じる神を持たなかった。村の中にあって、彼女だけが真実の意味で異端だった。
どこの集団にも加わらない彼女は時によっては石を投げられ汚水を頭から掛けられた。故に無邪気という悪意を持った子供という生き物からも堂々と蔑まれ馬鹿にされていたが、クラリッサは矢張り例の薄笑いを浮かべて淡々と日々を過ごすのみだ。
栗色の長い髪をぐっしょりと水に濡らし、細かい傷が無数に刻まれた顔に一筋血を流した姿でごくごく普通に買い物をする彼女の姿はよく市場で見られる。気にしていないのかそれとも痛覚が麻痺しているのか、どちらにしても薄笑いを絶やさないのが不気味な所だ。おまけに誇りがないのか、誰に命じられても地べたに這いつくばって額を土に擦り付け、言われれば諾々と作業をするような無関心さで以て靴の裏も舐めた。
さてこんなクラリッサであるが、ヘラヘラと笑っているだけが迫害の原因ではなかった。非常に頭が良いというのが問題だった。
小さな村にある五つの宗教の礼拝堂に、それぞれ高名な学者が来た時の話だ。ふらりと現れたクラリッサは、その学者たちを悉く論破してしまった。教典の内容も知らぬというのに、完膚なきまでに。学者は目を見開き開いた口を閉じる事も忘れてしまっていた。そこに集った信者達は内容の半分も理解出来なかったというのに。五つの宗教の五人の学者は次々とクラリッサに挑み、そして敗れた。当の本人は論破するや否や何処かに行ってしまい、件の薄笑いの余韻が残るばかりである。
さて、彼女は村の外れの小屋に居を構えているが、中にはこれでもかと薬草や毒草が詰め込まれている。無秩序に配列されてはいるが、あるものは瓶に入れられ、またあるものは紐で縛られ天井から吊り下げられていた。彼女の薬は材料が不明だがよく効くと有名で、村人は何時も患者が医者の手に負えなくなると最後は必ずクラリッサを頼った。所が、薄笑いを浮かべたまま何の説明もなく薬の袋を突き出してくるので、不気味な事この上ない。それが忌避される要因にもなっていたのだが、加えて、冒頭で述べたようにクラリッサは鉄の女だった。
薬草の処方だけでなく、製鉄の技術にも精通していて、鶏がらのように痩せた体とは信じられない程の胆力で、クラリッサは鋼を討った。鍛冶屋に負けない腕前であったが、それ異常に彼女を鉄の女たらしめる理由がある。クラリッサが作るのは何時も、無骨で巨大な鉄の輪で、彼女は時々、挑戦者を求める拳闘士が来ると必ずその鉄塊を腕に嵌めて闘いの舞台に立った。
元はココア色だったのであろうワンピースは染みと鉤裂きと継ぎ接ぎだらけで、ゆったりとした、ともすれば優美な風情さえある作りの袖が特徴的なシャツは灰色に薄汚れていた。こけた頬に大きな目はいっそ妖怪じみていたが胴体にある丸みは間違いなく若い娘のもので、却って違和感がある。貧しさが滲み出るようなみすぼらしい恰好。クラリッサは大の男でも持ち上げるのがやっと、という重さの鉄塊を二つも付けて、折れそうな腕ともげそうな脚で堂々とした体躯の男を捻伏せた。
力が自慢の傲慢な兄が子供のように無様に泣き喚きながらのた打ち回るのを見て、子供は尋ねた。
「どうしてどこの仲間にもならないの?」
「必要がないからさ」
クラリッサは嘗て家だったのだろう、赤茶けた瓦礫の上に座ってつまらなそうに言った。くたびれた、踵の高い革のブーツを履いて、足を組んでいる。肩よりも高い位置に置かれた足首と背中を煉瓦の壁に預ける様子はまるで月を漕ぐジョーカーだ。何処までも道化じみた振る舞い。ふと大きな欠伸をする。手首にはまだ枷にも似た黒い腕輪が嵌っているが、重さを感じていないかのように口元を掌で隠した。
「♪」
クラリッサは旅芸人の子供を無視して、ふらふらと歩き出した。瓦礫の山の頂上から、兎が跳ねるようにして軽々と地上に戻る。
子供は後を付いて言ったが、すぐその先で何も知らない商人達がクラリッサを呼び止めて靴裏を舐めさせていた。一人の男が腕輪を張りぼてだろうと触ってみたので、すぐに場は騒然となった。尋常ではない怪力と、尚も薄ら笑いと鼻歌を止めないクラリッサに恐れを成して、頭から持っていた酒瓶を叩き付ける。ガラスの割れる音と零れた蒸留酒の匂いが広がった。
クラリッサは構わず歩いてゆく。勿論額からは出血しているが、気にした様子はない。子供が見ている内にクラリッサはさっさと家に入ってしまった。既に彼女の思考から小さな傍観者など消え去ってしまっていて、頭から流れる血と酒を舌で舐めた。どっかりと椅子に座って、足首をクロスさせテーブルに乗せる。
「ああ堪らない堪らない愉快愉快人生は楽し。至上の愉悦は見下していた筈のものに敗北する瞬間の顔を眺める事だ屈辱と畏怖とに彩られるのはまるで、」
まるで、奴隷のようだ。
クラリッサは、屈辱と羞恥と恐怖とにまみれた人間の姿が大好きだった。敗北と憤懣。その感情が自分に捧げられると、爪先から首の裏側までもがゾクゾクとして頭は痺れた。幸いにもクラリッサは信仰に向かない人間だった。プライドもない。だから靴裏を舐めるのさえ、彼女に取ってはどうでも良い事だった。不信心に産まれたのを、運命に感謝している。孤独を感じない体質であるのも良かった。クラリッサは自分が好きだ。気に入っている。
「ああ退屈だ退屈だ世界は茫漠で人間は普遍的でクソみたいだつまらないつまらない最低だ私だって最低だ最悪だ。でも私は、」
ギシギシと激しく軋ませながら漕いでいた椅子の動きがぴたり。止まる。



「私だけは、世界になどなるものか」









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