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盗賊の目無しは嘗て食い千切った肉の快楽が忘れられなかったので、ずっと半身を探していた。




男は盗賊に相応しく粗野と粗暴を折り込んだような身なりをしていたが、決して無粋ではなかった。歌舞伎や風流ではないものの奇抜ではあるが粋な部分が見て取れた。いっそ文化人的な感性も多分に含まれていたのだろう。墨染の真っ黒な着物に赤い帯をして胸元をはだけ、帯とはまた違った血のような色味の組み紐で腰から酒瓶を釣りそれと同じ形の紐で熊の如き剛毛の総髪を束ねていた。足元は褪せた黒の鼻緒が太い一本刃の下駄で、盗賊の嗜みである獲物は虎皮で造った尻鞘を被せた仕立ての良い漆の鞘に眠る野太刀であった。然しかの戦国武将織田信長に勝るとも劣らぬこれらの派手な着物は単なる付録に過ぎず、目無し自身の肉体が備える堂々たる貫禄こそが真に人目を引いた。
熊のような髪であると先述したが、正確にはその体躯も熊に劣らぬものであると言わざるを得ない。いっそ鬼かという巨躯に隆々とした筋骨はそれだけで暴力を思わせたし、鷹や鷲のように鋭い眼差しを湛えた左目と、賊の作法としてある不精髭が、対峙する者を否応無しに竦み上がらせた。縦に大きく刻まれた疵で右目は塞がれていたし、五十も前後であろうと予想させる年嵩ではあったが、それらの欠点も彼を構成する要素として成り立っていた。
さて、この目無しという男であるが、盗賊の頭領をやっている割に欲深くない。寧ろどちらかというと人間として穏やかな質で、必要以上に奪いもしなければ殺しもしない。地域に寄っては金払いの良い上客であるとして歓迎する節もある。勿論、盗賊家業の一部にアヤカシ狩りが含まれているのもあったろうが、盗賊と兼業して狩人をやるのはそう珍しい話ではない。所によれば只の町娘が目無しに纏わり付くのも、偏に人徳というか、人格の魅力によるものだろう。
目無しがこうであるからして、手下共も大概が呑気者であった。腕は立つし人を殺すのに躊躇せぬという非情さと判断力は備えていたが、元々世間と上手くやれずにふらふらしていたのを目無しに拾われたのが殆どだから、盗賊らしくないのは勿論、何と文化的な教養すら多少ではあるが弁えているといった具合。一応は役人に追われる身ではあるが、必要悪として役人の方もそれ程熱心に追ってはいなかった。
悠々自適な盗賊生活は目無しやその手下共に取って心底礼賛すべきものではあったが、頭の目無しだけはそうもいかなかった。長い間人を探していたので、何処かしらその探し人の事が引っ掛かっていたのだ。
彼が追う探し人の名を、一条ヌイと云う。




から、から、ころ。
しきりに首を傾げるヌイに対して、エムシは非情に満足げだった。桐の下駄がまだ足に馴染まないのだろう、底を地面に擦りながら歩いている。
奇抜ではあるが丁寧に長髪された髪がさらり。頭が右に左に揺れる度、生白い項がちらちらと見える。細く骨の浮いた首だ。触ってみれば恐らくは一個一個背骨も浮いているに違いない。
「なぁにやらしい顔してんだい」
「してない」
悶々とヌイの素肌を妄想したのを見抜くように、美奈が後ろからしなだれかかるようにして肩に手を置いた。
「昼になったら、やるよ」
「…応」
妖艶な手付きで首筋を撫ぜてから離れる女師匠に、エムシは無愛想に答えた。
「それにしてもヌイさん、足運びが上手だねェ」
ああは中々出来ないよ、街一番と名高い芸者が太鼓判を押す。一体何を言っているのかと眉根を寄せてみれば「何だい、あんたその年で花魁道中も見た事ないのかい」「遊里の遊びが何だ」「嫌だねェ。色気がないったらありゃしない」盛大な溜め息を吐く。
「ぽっくり下駄も知らない何て」
聞き慣れない単語に今度はエムシが首を捻ったが、ややあって「ああ、あれか」と思い出した。裕福な商家の娘が履くえらく分厚い下駄で、確か地面を擦るように歩くのだったか。言われてみれば確かに、ヌイさんの足運びは妙に女々しいというか、艶めかしいというか。
「…ヌイさん?」
どういう訳だか美奈はあっさり呑み込めているらしいが、何故男のヌイさんが女の履き物と作法を心得ているのだか、さっぱり分からない。過去を知らないのは最早今更だが、それにしてもこれは気になるだろう。尤も、美奈が冗談めかして言っている可能性も多分にあるのだが。
「っ…おい」
「やだねェ。そんなんじゃあんた、馬に蹴られて死んじまうよォ」
しかしそれよりも先に、再び養父を頭から食らおうと身構えるこの蟒蛇女をどうにかして止めなくてはと、エムシはどすの効いた声を発しながら美奈の肩を掴んだ。ヌイの腕に腕を絡め、如何にも柔らかそうな体を擦り付ける様は猫に似ているが、そんな可愛らしいものではない。猫は初対面の男を拘束していきなり食ったりはしないし、また後日食った事を自慢しない。ヌイさんの漏らした声はああだったとかちょいと噛んでみたらこうだったとか、嫉妬と恨みつらみと後ろめたさを孕んだ喜悦とに責め苛まれたのはほんの数日前の話だ。
「ヌイさんを食うな」
「寿司食いに行こうって誘ってただけさ」
ねぇヌイさん?わざとらしく同意を求めるが、何時も通り返事はない。肯定否定以前に聞く気もないようで、夜が如く黒い瞳はぼぉっと遠くを見たままだ。未だにエムシは何一つ、この奇人の思考が読み取れない。寡黙というには収まらない無口さであったし、会話らしい会話といえば、十年前にまだ子供と大人であった頃の二度のみで以降言葉の遣り取りは殆どない。
もしかしたら、否、きっとヌイにはエムシなど、他人など無用の存在であり取るに足らぬのだろうが然し、それでもこの気狂いと名高い人間の傍に居たかった。手前勝手なのは重々承知しているが、未だに昔友人と狩りをし続けようと約束したから、と零したヌイの言葉が忘れられない。今はもう居ないとはいえ、多少なりと執着されていた者が居たとなれば、気に掛けては貰えぬだろうかと望んでしまうのも無理からぬ話だろう。
エムシは父母から貰った名を捨て、異民族の言葉に由来する名を名乗る程度には、ヌイが好きだった。役所に通って半ば強引に一条の養子にして貰ったのも同じ理由だ。たった一つだけの、最早相手が死んで有効かどうかも不確かな約束を心に留めるヌイに惹かれた。まるで子供のような直向きさが胸を打ったのが理由だったが、ヌイだけでなくエムシも直向きであるとは、本人の預かり知らぬ所である。周りは知っていて見守っている節があるが、美奈はいっそその純粋さが切ないやら痛々しいやらで落ち着かない。せめて二人がきちんと名実共に親子であるかいっそ念友であれば良かっただろうがとエムシをけしかけてはいるのだが、何時まで経とうと変化の兆しは見られない。
「それにしたって…血生臭いねェ」
「どうかしたのか」
「いや、何でもないよ。ほら、やってみな」
三味線で動かなくしたアヤカシを二つに割って、頭のある方を処分するエムシの動作はいっそ事務処理に近い。忌むべき異形を恐れず、血を肉を殺戮を当たり前のものとして受け止めている姿勢は二十やそこらの青二才の其れではない。街の内外ではヌイの悪名ばかりが先に立っているが、本当に恐ろしいのはこの青年ではないかと美奈は睨んでいる。少なくとも、本人は無意識か故意なのかは判らないがヌイは周りに取って人外の何かで居てくれる。ただ居るだけで周囲に警告を発しているが、エムシは違う。自身を普通の人間だと信じ、周囲も普通の若者だと思っている。この若さにして並みの狩人など足許にも及ばぬ腕前。とても危うい。
「応」
エムシが予め用意していた瓶の栓を開け、新たに皮膚を作ろうとして微かに蠢いているアヤカシの断面に、どろりと悪臭のする濁った茶と緑色の液を掛ける。樒とアヤカシの血肉を腐らせて作った毒だ。
触れた所から人間と同じ肌色の肉塊が痙攣し、弛緩したように動かなくなった。
「凄いな…」
壮絶な悪臭に、エムシが嫌悪感を滲ませる。それはそうだろう。ただ怜悧な刃だけで立ち向かってきたのならば。
「ああ。傷から入れなけりゃ効果は殆ど出ない毒だけど、薄い陶器の器に入れて投げりゃ良いから、こいつで狩りをする奴らも多い。雇い主や住人には、毒が土を汚すから嫌われるけどね」
「土が?」
「汚された土はざっと先三年実りを付けなくなる。万が一三年目に実を結んだとしても、実が毒になっているから食べられないのさ」
聞くと、益々厭そうな顔をする。その態度も常人からしてみれば、強靭な者の傲慢にしか過ぎぬのだけれど。人間は弱い。目の前に迫った脅威に対し、手段を選んではいられないのだ。この若者はそれを知らない。
「…それじゃあ、確かに教えたからねェ。あたしは帰って寝るとするよォ」
「わざわざ済まなかった」
「礼はいいから、今度餡蜜でも奢って欲しいねェ」
「あい分かった」
「はいおやすみ」
素直で宜しい、と愛用の三味線を持ち直して、その場を離れ家路を急ぐ。落ち着いて講義をする為に、この街に侵入ってきたアヤカシの動きを全て止めているから、早くしないとヌイが退屈してしまう。否、既に飽き飽きしている頃だろう。もしかしたら、退屈が過ぎて仕留めたアヤカシの上に座って魂を空に飛ばしているやも知れない。
狩りを楽しませてやらないと、拗ねるのだ。あの男は。
思わず笑みが漏れて、美奈はいけない、と独りごちながら表情を整えた。誰に見られるでもないが、何となく気恥ずかしかったのだ。あの二人と関わっていると、自分まで初心な人間になったような気がしてしまう。
「おい姐さん、こんな真昼に興行か?」
幾つ目かの角を曲がった所で、不意に後ろから呼び止められた。実に低い、ひしゃがれているが味のある良い声だった。無骨ではあるものの、雄の色気に溢れている。僅かに混じる枯れさしの風情が絶妙だった。悪い感じはしなかったので、振り向いて確かめてみる。
「…おや、あたしに何かご用でも?」
宛ら見返り美人図が如くに振り向いて、持ち前の絢爛な美貌を披露してやれば、男は豪快且つ快活に口角を上げた。日に焼けた褐色の肌と、それを引き立てる黒く墨染の着物。山伏のような一枚歯の下駄、朱い帯と彼岸花に似た組み紐。刀傷に潰れた右目のある顔は頑健ながらも精悍で、もう五十を越えるか越えないかの頃合いだろうに生気が満ち満ちていた。恐ろしく健康で、強さというものを体現したような姿が郷愁を誘った。昔を知る女達は、日に焼けた事のない男達の肌に物足りなさを感じてしまう。十年前、人々が昼を追われて以来失われてしまったものの集大成が、美奈の前に立っていた。
「あー、聞きてぇんだが、姐さんが紫お美奈か?」
「そうだ、って言ったらどうすんだい?」
「やっぱりそうか。俺は盗賊なんだが、色々事情があってな。聞きてぇ話も幾つかあるし、姐さんの所で匿っちゃくれねぇか?」
ぼりぼりと首筋を掻きながら言う男は、気怠げでありながらも何処か屈託がない。見るからに破天荒で、口から飛び出す言葉までその通り。考えようによっては大馬鹿者だが、瞳の奥には年相応の老獪さが光っている。面白い。
「…いいよ。あたしの相棒を盗ったりしなきゃ構わないさ。それに…良い男相手に話なら、寝物語にでもしたいねェ」
くす。笑って三味線を撫で、目線で美奈は男を誘った。
はてさて、吉と出るか、凶と出るか。






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