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第五話「娯楽街にて魔王と闘う事」




西光寺玄は、最早引き籠もりを廃業していた。
否、寧ろ今はもう家出少年になりそうな勢いだった。なりたいとすらぼんやり考えた。
だが、元来家所か自分の殻にすら籠もりがちな玄少年が野宿という大変原始的且つ無謀な手段に出る事はなかった。ただ家出したい、という思いが転がっているだけで、実行する気などさらさらないのだ。
しかし立て続けに現れる問題の山は如何ともし難い。孫悟空の生まれ変わりが現れたり、その関係で自分の父親が実は父親ではなく中身が土地神だったと判明したり…とそういうものだ。そも原因は一体何であるのか。この無情な状況の正体は一体何なのか。
そして彼は結論に至った。
“西遊記読もう”と。




読書は嫌いじゃない。
だから約二日掛けて、蔵から発掘した西遊記の完訳版を読破した。
そしてすぐさま深い溜め息を吐き、泣きそうになった。予想していたよりも遥かに登場人物が多かったからだ。これから登場人物の数と同じだけトラブルに見舞われるような気がしたからだ。不思議な事に、こういう予感は外れない。それが世界の法則であり常識だ。
そこに来て、携帯電話がわざとらしい電子音を立てた。誰かから携帯に電話が掛かってくる事など久しくなかったので、数十秒もたついてから取る。
『おー、お師匠様(仮)、今からメシ食いに来ねぇか?』
「うん、今行くよ」
素直に応じると、すぐ電話は切れた。僅かに時間を置いて、地図が添付されたメールが届く。最寄り駅の名前を確認すると、適当なシャツを着て家を出た。
人間というのは不思議なもので、つい先日まで一人にしておいてくれと思っていても、天涯孤独の身の上になってしまえば、誰かに寄り添いたくなるものらしい。
父親と同じ顔をした他人と同じ食卓に着きたくなかったのもある。
家の距離は二駅と、案外近い。その最寄り駅から十分程歩くと、先日拉致された先である高級マンションが見えた。
「おー、来たか。案外早かったな」
エントランスに入ると、丁度サンダルを突っ掛けた悟空が出てきた。今日は綿の、黒いミリタリー風の七分丈ズボンに、同じく黒い、バックプリントと縁取りが赤いタンクトップを着ている。
紛れもない少女の肉体の筈だが、どう考えても下着を着けていない。更に、よくよく見てみれば、実戦で鍛え上げられた二の腕は白くはあるものの、うっすらと筋が浮いている。うわ、何だろうこの敗北感…
「丁度出来る頃合いだぜ?」
踵を返して案内しようとする悟空の後に付いて、エレベーターに乗る。と、ふと思った。
あのメンバーで一体誰がご飯を作っていて、一体何が出てくるんだろう…?
悟空は除外するとしても、元が飲食の必要がない菩薩だったり…まともな人間の食事が出てくるとは到底思えない。普通に何かの目玉的なものが出てきそうで怖い。よしんばゲテモノでなかったとしても味には大いに不安がありそうだ。
「たでーまー」
「お、お邪魔します…」
「いらっしゃい西光寺さん。お帰り悟空。早かったですね。あと少し掛かりますよ」
部屋に入ると、観世音がにっこりと笑って出迎えてくれた。奥のテーブルでは黒熊怪がお櫃から茶碗に炊きたてのご飯を盛り付けている。
箸は既に人数分きちんと用意されていて、他にはまだ茹でた枝豆を山のように乗せた笊があるだけだ。
ん?待てよ?
「あの、紅孩児、さんは…」
「ん」
早くも枝豆で口の中を一杯にした悟空が、壁で仕切られた向こうを指す。確かあそこは僕の記憶が正しければキッチンだったような気が…
すると、突然物騒な雄叫びが部屋中に響いた。
「ッ…だらァアアァ!ウラァ!クラァ!このっ…クソがぁ!死にさらせェエエ!」
「一体何が起きてるんですか!?」
「ああ、大丈夫です。心配ありませんよ。何時もの事ですから」
「何時も!?」
物凄い勢いで何かを刻む音と何かを揚げる音と何かを炒める音、は、良いとして、物騒な感じの金属音がするのは何でだろう?正直もう帰りたい。
ピタ。唐突に静かになり、一拍置いてからエプロンを着けた紅孩児さんが皿を大量に乗せたお盆を持って出てきた。いきなり静かになっているのがまた怖い。
「で、紅、今日のメニューは?」
「茄子とエリンギの味噌炒め、冬瓜スープ、餡掛け豆腐ハンバーグ、胡瓜と若芽の酢の物、パプリカとトマトのサラダ」
ごく普通に受け答えしてる黒熊怪…さんと紅孩児さんに衝撃を受ける間もなく、すぐに皆席に着いてしまった。え、ちょっ、なにこれ。
流れに従って席に着く。所謂お誕生日席は観世音、右に悟空と紅孩児、左に僕と黒熊怪となった。
「…紅は何時もキレながら料理するんだよ…理由は知らないけど」
「そ、そうなんですか」
見かねた黒熊怪さんが補足してくれた。これは予め聞いていないと心臓に悪い。絶対。
「違ぇよ。気合い入れてんだよ気合い。って、おいエテ公。だから先に食うなっつってんだろ。しかもサラダ独占してんじゃねぇよ馬鹿」
サラダボウルを手前に引き寄せて、ドレッシングも掛けずにガツガツと生野菜を貪る悟空の姿は…紛うかたなき猿だった。矢張り炒めものより生野菜が好きらしい。
「悟空、行儀が悪いですよ?きちんとなさい」
「はいゴメンナサイ」
観世音が白衣の内ポケットから何かのリモコンらしきものを取り出した途端、悟空がサラダボウルを手放した。姿勢まで正して座り直している。おまけに、何故か注意された悟空以外の二人も姿勢良く席に座ったまま硬直している。何だろうこの緊張感。
「あの、そのリモコンって…」
「押してみますか?」
「だぁああぁ止めろッ!」
差し出されたリモコンには、一番上にツマミが付いていて、下には縦に三つのボタンが等間隔に並んでいる。
リモコンを受け取った手首を妖怪三人がビーチフラッグもかくやという勢いで掴み、漸くこれが重要アイテムであると理解する。
「あの、これって一体…」
「ふふふ…これは“パパッとお手軽、デジタル緊箍”です。私が開発しました」
ぱっ。と観世音がリモコンを取り返して微笑む。
「例えばこうやって押すと…」
「おい、ちょっと待…止め…っ!」


カチッ。


ボタンを押す音が耳に届き、そして、
「痛いっ!痛いぃい!止めて!止めて下さいよぉおぉお!」
「いぎぁあああああああ!」
「いだっ、痛い!いてぇえええよぉおおお!」
三人が三人、頭を抱えて椅子から床に転げ落ちた。黒熊怪は俯せになってビクンビクンと不穏な痙攣をしているので分からないが、悟空と紅孩児は目を見開き涙さえ流している。だが、紅孩児の方が痛みに弱いらしい。目が半分あの世に行ってしまっている。
「こうなる訳です。便利でしょう?」
「便利でしょう、じゃねぇよ!殺す気かこのババア!」
「誰がババアですって?」
「うぐあぁあああぁ!ごめっ…ごめんなざい゛ぃい!!」
暴言を吐いた紅孩児だけがまた床でのた打ち回る。正に断末魔の悲鳴、阿鼻叫喚の地獄絵図といった所。
「馬ぁー鹿」
「紅って何時も墓穴だよね…」
あー痛い。そうぼやきながら黒熊怪が起き上がる。だが悟空は、少し涙目になっているだけで、キツめの頭痛位のようだ。
「ふむ…矢張り末っ子は痛みに弱いですね。紅孩児、鍛え方が足りませんよ。悟空を見習って精進なさい」
「脳の神経に直で電流流されて泣き叫ばない方がどうかしてんだろうが!」
「え、脳に直接って…」
マジですか。いや、冗談だよね?冗談であって欲しい。
「あれは…確かにな…」
「思い出すのもおぞましいよ…」
悟空が口籠もり、黒熊怪が重々しい口調で彼らの身に起きた事を語り始めた。


その時、僕は目覚めたばかりで、この時代に適応するのに精一杯だった。
そもそも使用言語からして違うから、基本的には家に籠もって日本語学習だった。幸い、この体の持ち主は一人暮らしだったからまだマシだったんだけどね…
バァン!
『黒熊怪ですね?』
でもそんなある日…観世音様が僕の住むアパートのドアを蹴破ってやって来たんだ。
「ちょっ…!いきなり見破られたんですか!?」
「ああ…何故か予め知っていらしたようでね…」
そして僕はボディーブローを食らって気絶。目覚めた時には…手術台の上だった。
『あらあら、目が覚めてしまったのですね?仕方がありません。麻酔をしましょう』
『かっ、観世音様、一体何をっ…』
チュイィイィイン!
『大丈夫です。少し頭蓋骨に穴を開けるだけの手術ですから』


「そして…次に目が覚めた時には…既にあのリモコンに全ての命運を握られた後だったんだ…」
「おうよ。俺も似たようなもんだ。バトル中にクロロホルム嗅がされて拉致られて手術台だ」
「悟空より前に来た紅も似たようなものだったよ。まぁ、紅は生意気だから、って局部麻酔でやられてたけど」
背筋が冷たくなるっていうのはこの事だと思う。どうやら僕は、本格的な裏社会に片足を突っ込んでしまったらしい。色白な観世音さんのアルカイックなスマイルが真っ黒に見える。寧ろゴッドファーザー的な要素が垣間見える。
「さ、皆さん、紅孩児も大人しくなったようですし、頂きましょうか」
「はーい」
「頂きます」
「うん、二人とも良いお返事ですね」
一人床に横たわる紅孩児さんを尻目に、食事が始まってしまった。僕は情けない事にその流れに逆らえなくて、彼を見捨てる結果になった。
「い…頂きます」
テーブルに並んだ料理はどれも絶品で、野菜だけだというのに食べ応えがあった。これなら直ぐにお腹が減る事はなさそうだ。
こんなに計算され尽くした献立、洗練された味の料理を作り出した張本人が食卓から廃除されるという世の無情を噛み締めながらも、僕は思った。
…何このシュールな食事風景。




食事が終わってから、街に行く事になった。
どうやら街をぶらつくのが彼らの日常生活の一部らしく、ごく自然に外出の準備をしているものだから、何となく行き先を聞きそびれたまま付いてきてしまった。
黒熊怪さんは凝ったデザインの黒尽くめの衣装に銀色のノートパソコンを片手に持ち、紅孩児さんは無地の白いTシャツにライダース風のベスト。ダメージジーンズが良く似合っている――と、いう所まではよく分かるんだけど…問題は悟空だった。
「これ、却って動き辛くねぇか?」
「良いから着ておきなさい。きっと役に立ちますから」
問題は、悟空の服装だった。
ポケットが前後左右に計四つ付いたミリタリー風のハーフパンツに、黒いTシャツの上から着た、パンツと揃いのデザインのベストと、ブーツ風なスニーカー。何れも黒をベースに差し色に赤が入っている。
…と、要はカッコイイのだ。物凄く。ティーンズ向けのファッション誌に載っていてもおかしくない位だ。今すぐ○ャニーズジュニアに入れる。…女子だけど。
「えー、それ、したくねんですけどね、暑いし」
「良いからしておきなさい」
嫌がる悟空の手に、観世音がルーズな黒いアームカバーを付けさせれば、もう完璧だった。
な、何か…ゴツい服ばっかり揃えてるせいか、逆に悟空が女子っぽく見える?っていうか…

可愛い、かも知れない。

「良いですか?今日も暑いですからこまめに水分補給をして、一時間に一個はこの熱中飴を食べるのですよ?」
「へいへい、分かりましたよ」
「悟空、お前がスポーツドリンク嫌いでなければこんな事を言う必要もないのですがね」
ポケットに飴玉やティッシュを詰め込む観世音に対し、悟空は子供のように口を尖らせている。
まるで仲の良い姉妹か何かのようだが、悟空の中身は紛れもない男な訳で。
「あの、観世音さん、悟空の服装って…」
ばたばたと鉄パイプを取りに玄関へと向かった悟空の姿を確認してから、生き菩薩様は微笑んだ。
「あの方が、可愛らしいでしょう?」
今日僕は菩薩様でも贔屓というものをするのだと初めて知った。




さて、準備を終えてから、数十年に渡って若者の街、という称号を確固たるものにしている場所に着いてみると、成る程、三人は凄く嵌っていた。
ストリートファイトのメッカたるこの街では、A級ファイターは英雄だ。あっちを見てもこっちを見ても、如何にもそれっぽい人間が居る。正に群雄割拠。
そんな厳つい戦士達が皆、どよめきを以て悟空を始めとした三人を注視する。派手なメイクをしたギャルや、可愛い女子高生が黄色い悲鳴を上げて携帯のカメラを構える。
「おーい、お師匠様(仮)ちゃんと付いてきてるか?」
愛嬌が満載の動きで悟空が振り向いて声をかけてくる。駅からかれこれ五回目。因みに、まだ僅か数百メートルしか進んでいない。
「おい猿、一々立ち止まってんじゃねぇよ!なぁ西光寺、お前からも言ってやれよ」
苛ついた紅孩児さんもこっちを振り向く。
「大丈夫だよ…もしはぐれてもGPSあるし…」
と、僕の隣を歩く黒熊怪さんがノートパソコンのキーをリズミカルにタイプしながら補足する。
「おい、何だあのメガネ」
「悟空に師匠とか呼ばれてんぞ」
「もしかして実はただ者じゃないってカンジ?」
「つか、Tシャツヨレッてね?」
ヒソヒソと揣摩憶測が飛び交うのが嫌が応にでも耳に入ってくる。うわ、何か今凄い可愛い感じな声の女子にキモーイって言われたような気がする。いやでもこれはきっと幻聴だ自意識過剰だ何かもういいです許してもう帰りたい。
…と、いう訳で、
「居心地悪…」
超絶居心地が悪い。何かもう吐きそう。ストレスで。
「大丈夫か?顔色悪ィぞ。吐くんなら思い切って吐いちまえ。おい、便所行くか」
「いや…大丈夫。何でもない」
原因である張本人が心配そうに顔を近付けてくる。いやすいません。あなたが他ならぬ原因なんですが。
ますますもって注がれる嫉妬と疑惑混じりの声に、神経が削り取られているような気がする。僕と悟空がゴチャゴチャやっている間に、黒熊怪が手を止め立ち止まる。
「あ、カモ発見。A級ファイター。一人で活動中」
「何処だ?」
「この先八百メートル。ああ、あっちも気付いた。近付いてくる」
「昇格は…三ヶ月前か。一番面白い時期だな」
紅孩児と黒熊怪が道を確認する。
“Anima”には、自分のコードと居場所を入力すれば、近くに居るファイターを表示してくれる。だが、教える情報は色別に表示されるランクと、そのランクになってからの経過時間だけだ。相手の顔や名前は分からない。
「それっぽい奴を探そう。僕は相手にコンタクトを取ってみる」
「って…そんな事出来るの!?」
「出来る」
ああそうだったそうでした。この人、携帯会社のメインシステムをクラック出来る人でした。
「いよっし!バトルだ!久々のAランクたぁ腕が鳴るなぁ、おい!」
「騒いでねぇで探せよエテ公!話はそれからだ!」
心底楽しそうに、獲物を見つけた虎か獅子のように凶暴な笑みさえ浮かべて、二人が雑踏の中へと駆け出してゆく。黒熊怪もぶつぶつと愚痴を言いながら、ゆっくりと歩いてそれに続く。
取り残された僕は、少し迷った。確実に、僕はこの場に必要ない。この街は戦場が氾濫している。蛮勇達の街。闘う者が英雄で、それ以外は道に転がる空き缶位しか価値がない。証拠に、痛い程注がれていた視線がもう微塵も感じられない。
「……」
生唾を飲み込んで、足を踏み出した。考える前に動き出していた。
弾丸のように駆けていった悟空の姿を探す。拡散する金の光を宿した太陽の瞳。
気付いたら、走り出していた。長く走っていなかったから、足が縺れる。人が多過ぎて上手く進めない。
「っ、あ…」
「おっと、悪ィな、兄ちゃん」
筋骨隆々といった感じの、大柄な男と肩がぶつかってしまった。本当に大柄で、もしかしたら先日会った劫廣よりも堂々たる体躯をしているかも知れない。白いタンクトップと、紺色のニッカポッカを履いて、頭にはタオルを巻いている。紅孩児のような華やかさこそないが、精悍な顔をしていた。玄とはまた違った原因から、この街に似合わない。
感じの良い人だな。
「ん?あれ?」
今のって、もしかして…
はたと気付いて、追い掛ける。俄かに人口密度が高くなる。重い機材を担いだラフな服装の人々が走って人を突き飛ばして進んでゆく。
「ちょっ、ごめんなさい…通して下さい!」
人垣にムリヤリ体をねじ込んで、バトル・ゾーンの前に転がり出る。
「痛たたた…」
文字通りべちょ、と地べたに這い蹲るようになって、鼻の頭を少し擦りむいたのを触って確認しながら、顔を上げる。
向かって左側の辺には悟空、右側には、先程ぶつかった…ニッカポッカを穿いた男性が居た。
悟空の後ろには、不満そうな顔をした紅孩児と、細いメタルフレームの眼鏡を掛け、パソコンに向かいながら、取材陣との応対をする黒熊怪が控えている。
当の悟空はやる気満々、目を輝かせて、鉄パイプをブンブン振り回していた。
《試合開始は十四時三十分丁度。現在時刻は十四時二十九分四十六秒。カウント。…拾、玖、捌、漆、陸、伍、肆、参、弐、壱、》
バトルファンが何処からか持ち込んだコンポにインカムを接続したらしい。黒熊怪の声が拡大されて空気を割る。
《零》
試合開始の放送は、割れんばかりの歓声によって掻き消された。
四角く区切られた線の中に、二人が放たれる。無味乾燥な闘技場の中に。
「いっ、くっ、ぜぇええぇえ!」
「来い!」
鉄パイプを振りかざし、脳天を砕こうと躍り掛かる悟空の攻撃を、男が持っていた武器で正面から受け止めた。
男の獲物は巨大な金棒で、表面には幾つもの棘が付いている。質感からして、恐らくは鉄。流石に使い込まれた感があって地獄の鬼から奪ってきたと言われても信じてしまいそうだ。
鳴り響く金属音に、観客が湧く。
“あの”悟空の一撃を真っ向から受け止め、巨大な武器を軽々と振り回したのだ。ただ者ではない。
「うぉおぉお止めた!誰だあのオッサン!?」
「知らねーのか?キヤマだよ、キヤマ!」
隣に居た青年二人が話している。いかにもなストリートファッションの不良っぽい相手だったが、思わず聞き返してしまった。
「キヤマ?」
「そう、近頃話題の黄山工業所属の職員!間違いなくトップクラスの社会人ファイター!」
「あー!話題の!“武器作るなら黄山工業”の!」
ノリの良い青年二人が説明してくれたお陰でやっと分かった。
黄山工業は、ここ数年で伸びてきた中小企業だ。確か元の名前が黄山製鉄で、戦後からずっと、細々と生き残ってきた会社だ。しかしストリート・ファイトの爆発的な流行と共に名称を黄山工業に改名。長年のノウハウを活かし、安価で質の良い武器をオーダーメイドで作っている。少々、いやかなり古臭い作りのCMで使われている“武器作るなら黄山工業”のキャッチフレーズはまだ記憶に新しい。
成る程、自社製品のアピールも兼ねて参加しているのか。
ガァン!
派手な衝突に、また観客が湧く。場が熱狂してゆく。人垣で出来た闘技場だ。
見ると、今度は逆に、キヤマが金棒で悟空の脳天を砕きに掛かっていた。しかし、悟空の方が速い。鉄パイプを使って受け流し、軽業師のように体を曲げ反動を付けて、キヤマの肩に蹴りを入れる。が、しかしキヤマに大して怯んだ様子はない。それ所か、不適に笑ってすらいる。穏やかな表情だったが、目だけはギラギラと獣のように光っていた。
「おい、テメェ、この孫様の蹴りを受けて倒れねぇとはなかなかのもんだ。名前を聞いておこうか」
「待て待て!お前、俺が誰だか分からねえとは言わせねぇぞ?」
「はっ!どうだかな!」
いよいよ悟空が笑みを堪えられなくなった、という風情で、悪戯好きの子供がするように相貌を崩す。殺す気で闘っても良い相手に出会って、歓喜に因って全身の隅々まで魂が行き渡るのが、見てわかる。明らかに興奮、していた。
そうだ、普通に考えて、悟空の一撃を受け止められるのは、ただの人間の筈がないじゃないか。
「俺は黄山工業広報課の横山黄一郎(よこやまきいちろう)!叉の名を、黄眉大王!」
「…テメェのような馬鹿を待ってたぜぇ!」
叫ぶなり、一瞬で間合いを詰めて悟空が懐へと潜り込む。鉄パイプの先で下から顎を砕こうとするが、咄嗟にキヤマ、いや黄眉大王は空いた片手でパイプの端を掴み、そのまま素早く悟空ごと地面へと叩き付ける。
額から突っ込むようにして落とされた悟空は素早く起き上がるが、体勢を立て直すのが一歩遅かった。隙を逃さず、金棒がその小さな頭を襲った。
「悟空!」
考えるよりも先に、周囲に居る誰よりも大きな声で叫んでいた。
高々と振り上げられた鉄の塊が振り下ろされ、悟空の体が一瞬、打たれた杭のように沈んで、その足場からアスファルトが砕け土埃が舞う。
反射的に目を閉じる。開ける。
「…投胎しても、神威はそのままか…!」
黄眉が驚きと畏怖を滲ませながら吐き出した。悟空は、金棒を真っ向から受け、頭で止めていた。闘いの興奮に当てられた真っ赤な瞳に、牙を剥く凶悪な口元は、獲物を狩る歓びを追おうと歪に吊り上がっている。頭皮が裂けたのか、生命の証である鮮血が止め処なく流れ、その顔を更に壮絶なものにしていた。
「…生憎と、俺ぁ石頭が売りなもんでなぁ」
金棒を受けたまま、ゆっくりと立ち上がる。ミシミシと、骨の軋む音が聞こえるような気さえした。
「おい黄眉、一度テメェとはきっちり決着付けてやろうと思ってた所だ。やってやろうじゃねぇか!あぁ!?」
血を撒き散らしながら、吼える。
黄眉大王は、元は弥勒菩薩の弟子であり、菩薩の留守中に袋を盗んで、下界に下ったものだ。仏像に化けて三蔵を騙し、八戒と悟浄諸共捕まえて食おうとした魔物で、結構な強敵だった筈だ。
「臨む所だ!名を上げるのに、孫、お前なら不足はない!」
「ハッ!そいつぁ光栄だぜ!」
ガッ。
手で頭を潰そうとする金棒を掴み、左へと力尽くで押しのける。
ゴッ!
鈍い音と共に、黄眉の頭がガクンと上を向いた。いかにも頑丈そうな唇から、唾液混じりの血が流れている。例の石頭で、頭突きを食らったのだ。
「このっ…良い気になるなよ、小僧!」
「おいおい、そっちこそ耄碌したんじゃあねぇだろうな!俺様の方が年上なのを忘れたか!?」
仇敵に出会った喜びと怒りが、瞳の中で煌々と燃えている。
ガン!ギィン!ガッ!ゴッ!
今時のCGを使ったアクション映画でも見ないような、正に壮絶な打ち合い。上下左右、縦横無尽に鉄の筒と金棒が交錯し、衝突する。特に強くぶつかった時などは、火打ち石のように僅か火の粉が散った。加速に加速を重ねる。目で追うのがやっとだ。
「はははは!おい、楽しいなぁ三下魔王!あともう少しでテメェの頭を砕けるかと思うとゾクゾクするぜ!」
ふと、温い風が微かに吹いて、酸化し始めた血の臭いが鼻に届いた。
そして思い出す。これは武芸だけど、紛れもない殺し合いだ。
周りに居る人間の多さと熱気に愕然とした。
熱狂、狂乱、血の臭いと武器の旋律に狂喜乱舞する、誰のものかも分からない熱気。奔流に近いそれ。
先頭に立つのは悟空だ。その後に、街角に立つ、刺激に飢えた有象無象が続く。退屈さに身が腐る寸前の、獣の欠片を持って生まれてきた、現代の。




ああ、そうか…
これが魂、ってものだ。



何故、ストリートファイトが流行しているのかが分かったような気がする。
有象無象の中で誰か一人でも命を魂を使っていれば、それに引き摺られるからだ。とうに腐ってない筈の魂が稼働するからだ。目一杯、全力で。
「ごっ…」
喉が甘く痺れる。
「ご、悟空―――っ!!」
声がみっともなくひっくり返った。だけど誰も僕を気にしない。
悟空が打ち合いながら、視線をこっちに寄越す。先程とは違う、見とれてしまうような綺麗な笑顔。
「おう!」
ふわり、後ろで括った艶やかな黒髪が尾のように靡く。身を翻す。
「そろそろ…本気出すかぁ?」
呟きながら、素早く身を屈め、人差し指を口に突っ込み唾液を付ける。金棒の打撃を受けて砕けたアスファルトの隙間から覗く土を撫でる。
「あんの猿…マジでやるつもりかよ…?」
「はぁ、やると思ってたよ。何時かは…」
紅孩児が驚きに目を見張り、黒熊怪が呆れから溜め息を吐く。だが、それは周りの誰にも聞こえていなかった。
湿った指先が、素早く、鉄パイプを滑る。
「降りろ、如意棒」
指先で茶色く、豪快に三文字が書かれる。同時に、武器が纏う空気が変わる。
理由は直ぐに分かった。少し具合を試すように振り回すだけで、両端が枝のようにしなったからだ。
明らかに重量が増している。
「やりゃあがった…あのエテ公…」
「まぁ…半解放位なら、まだどうにか誤魔化せる」
「マジか」
「そもそも悟空の怪力が異常だからどうとでも丸め込める…」
「確かにな…」
遥かにしなやかになった鉄パイプ、否、如意棒は、繰り出される動きを遅くする所か益々速くなる。なまじ動きに幅が出た分、黄眉に取ってはやりにくい。おまけに、遥かに重量が増しているから、破壊力も段違いだ。
いかに頑丈な者だとしても、一発食らえば否応なしにブラック・アウトは確実だ。
黄眉もそれは分かっているらしい。ぎりぎり何とかかわしている。
ギン!ギィン!ガァン!
伝説の棍と化した筒が、まるで紙のようにひしゃげながらも猛攻を掛ける。金棒はひたすらその攻撃を受け止めている。
「あ」
折れる。勘でそう思った。そして実際、如意棒が振り上げられた次の瞬間、折れた。
千切れるように折れたものが回転して飛び、アスファルトを砕いて突き刺さる。幸い、人にはぶつからなかったようだが、ぎざぎざの傷跡を剥き出しにする鉄パイプは、如何にも危険だった。
「…これはまずいな」
黄眉が、自慢の金棒を見て呟く。やってしまった、と見た目に似合わない、子供のような顔をしている。
「俺の負けだ。斉天大聖」
太い金棒は、根元から曲がっていた。スプーン曲げのあれに似ている。ぼこりと隆起した喉仏には破損した如意棒の先があって、今にも皮膚を切り裂きそうだ。
「おう!当ったり前だぜ!」
だが悟空は、笑顔で返した。無惨な姿になった愛用の武器を降ろして、満面の笑み。
血塗れな癖に、本当に無邪気で…魅力的だった。
《試合終了。よく見えなかった人は、試合配信にて観戦を宜しくお願いします…》
黒熊怪の声が終わりを告げると、空気が変わった。熱狂の種類が変わると言えば分かりやすいかも知れない。皆口々に悟空と黄眉…いや、キヤマをファイターとして称える。ファンなのだろう、悟空に握手とサインを頼もうかと騒いでいる女子高生グループがあちらこちらに居た。
見れば、今回バトルに参加していないにも関わらず、紅孩児は既に女性陣にもみくちゃにされている。予想はしていたが、頼まれると断れない性分らしい。
「…黄眉老仏か」
「あ、黒熊怪さん…」
悟空はあんなだから仕方ないとして…一体、どんな会話を…
「黒熊怪?って事は…観世音様の所の」
「ごぶさたしてます。今、仕事は製鉄を?」
「ええええぇ…!?」
な、何か予想に反してサラリーマンみたいな会話してる。っていうか黒熊怪さん、普通に丁寧語使えるんですね…
「いや、最初は武器製造の鍛冶仕事だったんですが、今は広報兼ねてバトルに参加しています」
「その様子では、もしや弥勒様もご一緒ですか?」
「ああ、まぁ。偶然、師が投胎されたのが新社長の肉体で…」
妖怪とは思えない程折り目正しい遣り取りが始まってしまった。
…何だか妖怪の癖に現代に適応し過ぎてないだろうかと思うのは僕だけだろうか。
「おい、お師匠様(仮)長くなりそうだからジェラート食いに行こうぜ」
「い、いいの?」
「いい」
キッパリと言い切った悟空が、頭から流れ、顔にこびり付いた血を腕で拭おうとしていたので、持っていたミニタオルを貸したら、オッサン臭い、とズッパリ切られた。手を引かれて、近くにある移動販売のジェラート屋に直行する。
「おらよ」
何かボーっとしてたらずいっとオレンジ味のジェラート渡された…物凄く自然に奢られた。
なにこのひと超男前。まじカッコイイ。女子だけど。てか何この味のセレクト。可愛い。なにこのギャップ。
「ん?」
え、あ、あれっ…?
「えっ?えっ?」
ちょっと待て。もちつけ僕。これってもしかしてもしかする?とか?
「おい、いきなりどうしたんだよお師匠様(仮)腹冷えたか?」
訝しげに、心配しながらも呆れたように聞いてくる悟空が、矢張りずずいっと顔を近付けて観察してくる。頬がぼぼっと燃えるように熱くなったのが自分でも分かった。
嘘でしょ。




ヤバい、僕、この人が好きだ。




「おっ、おいお師匠様、口から全部垂れてんぞっ!大丈夫かっ!?」
まず、そもそも人じゃないし。妖怪だし。猿だし。総括して言うと人外だし。僕より断然男前だし。イケメンだし。ジャ○系だし。っていうか厳密に考えてみると女子かどうかも怪しいし。無理だし。何考えちゃってるんだ僕。
「おっ、おおおおい――っ!?」
びっくりした悟空の叫びを聞きながら、僕は現実逃避と熱中症でアスファルトへと倒れ臥した。






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