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第二話「電気街にて悟空に逢う事」




時は西暦二千百余年を数え、人々は黄昏を向かえる。
緩慢にしかし無限に発展する文明は憂いとなって滞積す。
街の喧騒は華やかにしかし風に混じるは腐臭にも似た不快さを伴う。頽廃の薫り。
しかしそれも駅を離れた場所にあっては薄くなる。今も昔も寂なるは寺社仏閣なり。
だが、その寺にも近世ならではの澱はあるもの。件の寺の離れのそのまた隅の隅、薄暗く停滞した空気の生臭い部屋に、一人の少年が居た。
髪は調髪を忘れざんばらに長く、眼鏡は指紋に汚れて白く曇る。肌の色青白く、筋は痩せて見るに忍びない。虚ろな瞳が光るのは液晶画面の反射によるもので、凡そ生気と呼べるものがなかった。
彼の名は西光寺玄。この寺の一人息子である。
齢十七を数え、所謂引き籠もり歴は三年。高校に籍を置くも未だ進級ならず、あと少しで除籍といった具合なのだが、唯一の取り得である学力からぎりぎりそれを免れていた。とどのつまりは青春のどん底、半ニートである。ある意味では時代の申し子とも言えよう。
さてそんな彼が何時ものようにネットサーフィンに勤しんでいると、突如として焦げ臭い臭いが鼻を突いた。さては外で親父が炊き上げでもしているのだろうと無視していたが、塩化ビニル特有の臭いがしてきてはそうもいかない。おかしなと思っていると、液晶画面にはエラーが点滅し、スピーカーがけたたましく警告音を発した。
「って、うわあぁあああ!」
同時にパソコンの本体から黒い煙が上がり、彼は慌てて電源を引っこ抜き、何とか火事は免れた。
が、
「…ど、どうしよう……」
非常に残念な事に、彼は若い身空で立派なパソコン中毒患者であった。
泣く泣く物の溢れる部屋からパソコンの本体を廊下に出し窓を開け、外装を取り外して具合を見て、そして泣きたくなった。掃除を怠ったが故に部屋を舞っていた埃は悉く電子回路を侵略し、面白い位よく燃えていた。
こうして彼はありったけの預金を下ろして世界一有名な電気街へと足を運んだのだが、この時はまだ、今日こそが受難の日々の幕開けだとは気付いていなかった。




焼けたアスファルトが陽炎を放っていた。
もう九月に入ったっていうのに、異常な暑さは続いてる。
新しいパソコンを買いに来たけどこのままじゃ倒れそうだからもう今日は帰ろうかなでもこのまま面倒臭いからってパソコンを買わずに帰ったらずっとパソコンを買わないままで、そしたら何もしなくなるのかな?それは嫌だな何となく怖いな、何て無駄な事を考えてた。
「はぁ…この暑いのによくやるよね、全く…」
大通りの片隅では、四角く引かれた白いラインの中で二人の筋肉質な男が戦っている。
折しも今は押しも押されぬストリート・ファイト・ブーム。結局の所、時代が幾ら進もうが人々の退屈を紛らわせるのは人間同士の野蛮な闘いだって事だ。僕には全くもって理解出来ないけど、古代ローマの時代からそうだって決まってる。きっとDNAに刻まれてるんだ。どうしようもないね。
耳障りに騒ぐ野次馬の隙間を縫って、近くの店に入る。
「っ、あー…涼しー…」
これでもかとばかりにきいた冷房。エネルギー問題に二酸化炭素削減対策に地球温暖化…今はもう全部過去の話。資源の無限循環システムが作る安定した平和と退屈。ああ、だからあんなのが流行るのか。
「お客様、何かお探しですかぁ?」
わざとらしく媚びた声を作った、小柄な女性店員が声を掛けてきた。
「あ、ぃえ、その、ちょっとパソコンを…」
「あー、パソコンですかぁ?でしたらこちらのコーナーにあるのがオススメですよぉ。最新のより一個前のモデルなんですけどぉ、今ならお値段も現金お支払いでお安くなってますしぃ…」
しまった、この店、店員の押しが強い店だ。
さぁ、一体どうやって逃げようかな、と思った丁度その時だった。


ガシャアァアアァアン!


轟音と共に目の前の壁が壊れて、棚とかそこに置いてあった家電とかコードとかその他諸々が吹っ飛んだ。
砕け散った壁の破片か、はたまた棚の陰に溜まっていた埃なのか、正体のよく分からない粉塵に視界が遮られる。何度か噎せると同時に、よく通る声が耳に入った。
「おー、悪ィ悪ィ。失敗した」
全然・本当に・微塵も悪いだ何て思っていない声だった。
「う…」
嫌な予感しかしない。こういうのには覚えがある。根っからの体育会系――それも、自分の才能を傲慢にも自覚していない人種の口調だ。
「よっ、と。あったあった」
そう言いながら瓦礫を踏み付けて入店してきたのは、長い髪を一つに縛った少年だった。ちょっとびっくりする位目鼻立ちが整っていて、手足が驚く程長い。今すぐにでもアイドルになれるんじゃないかというレベルで、顔とスタイルだけでリア充が約束されてそうな感じだ。
なのに、喋り方や動作に一々愛嬌みたいなものまで垣間見える。間違いない。これはスクールカースト最上位の人種だ。
「おい馬鹿猿、早くしろって!」
「るッせーよ!テメェ後でコロス!」
軽口を叩きながら、少年は床に突き刺さっていた鉄パイプを無造作に引き抜いて去って行った。店員や客が悲鳴を上げているのも、すぐ近くで戦っていた筈の男二人が揃って腰を抜かしている事をもガン無視して…もしかして、あの鉄パイプを投げて壁を壊したのだろうか?いや、まさか。
つい、何が起きているのかと気になって、外に出た。勿論、きちんと出口から。
彼が真っ直ぐに向かったのは、すぐ近くにある、四角いラインの中だった。先程よりも四角の一辺が大分長い。しかし、大きさに関わらず、ルールは一つだ。誰でも知っている。試合開始の合図と共にバトル・ゾーンに一歩踏み込んだらそこはもう戦場だと。
「よし、この孫さまに挑むとは中々イキの良い奴らだ!どっからでも掛かってきやがれ!」
やる気満々、というよりは寧ろ殺る気満々、といった様子の声が人垣の向こうから聞こえて、どうにかこうにか隙間に体を押し込んで、見える位置まで移動する。
パキッ!ドカッ!
人混みの中から顔を出したのと同時だった。さっきの少年とはまた違った、二、三歳は年上であろう、これもまた容姿に恵まれた少年が立っていた。
染めているのか、短く刈り込まれた髪はまるで血のように赤く、切れ長の瞳は冷淡な印象を与える。典型的なモデル体型で、しかしよくよく観察してみると、結構な筋肉質であるのが分かった。細身だが身長はかなり高い。両手両足に、細い金の輪を付けているのが印象的だ。
地べたに転がった若者二人の姿に、さっきの音は赤い髪の彼が二人をノックアウトしたのだと分かった。
それに対し黒髪の、孫と名乗る少年が怒鳴る。
「おい、一人で楽しんでんじゃねぇよ!こっちにもちったぁ回せ!」
「武器使用可でお前がやったら普通に死ぬだろ」
「手加減位出来らぁ」
どうやら二対二の変則ルールで戦っているようだ。相手はチームを組んでいる喧嘩屋らしく、二人倒れれば即座に次の二人が出てくる。ギャラリーに混じっている柄の悪そうなのが大体そうなのだろう。
赤い髪の方が強そうだと見るや、それぞれ金属バットを持って、一斉に孫へと襲い掛かる。
が、彼らは気付いていないのだ。今自分が攻撃しようとしている人間が、鉄パイプを棒切れのように扱っている事に。
「へっへっへっへ…」
ニヤリ。孫が犬歯を覗かせて笑う。
次の瞬間、大柄な男二人が吹っ飛んだ。圧倒的だった。空を斬る鉄パイプの音しか聞こえなかった。
しかし、我を忘れて見入ってしまいたい程だったが、そうもいかなかった。何故なら僕は、彼が吹っ飛ばした喧嘩屋にドグシャアと潰されたからだ。
更に、頬を鉄パイプの先が掠めるっていうおまけ付きで。
「あー…生きてっか?まぁ死んでたら死んでたで自己責任だろうけどな」
「確かにそうだが殺すなよエテ公。殺人は色々と面倒だ」
「こん位で死ぬかよ。おい、生きてるならさっさと立てよ」
鉄パイプを使って男の巨体を押しのけると、孫少年は行儀悪くしゃがんで僕の顔を覗き込んだ。
「ぅ、わ…」
至近距離から見たその目は、燃えるような紅蓮の目だった。不思議に美しい赤の色彩が、一体どんな仕組みなのか金色に光を弾いている。

太陽の色だ。

「…ん?」
まじまじと観察していると、その目が更に大きく開かれた。
「んんんん?」
ずい、端正な顔が更に近くなる。高い鼻梁と僕の眼鏡が触れそうになって、やっと少しの距離を取って首を傾げる。
「…お師匠様」
「…へ?……」
ぽそりと呟くように零れ落ちた言葉を脳が認識するより早く、世界が反転した。
「え!?」
よく晴れた空に浮かぶ入道雲と電線、それに安っぽい街路樹の葉。と、そこらに転がっていたと思しき警告色ツートンカラーのロープによって見事に縛り上げられた自らの両手両足。
「悪ィ。先に帰る」
「は?いや、ちょっと待てこの猿…!」
「後は任したぜ甥っ子よ」
連れの抗議に耳も貸さずに、彼は豚の丸焼き状態の僕を鉄パイプに引っ掛けて走り出した。
「わあっ!わああああああ!!」
普通に走っている車を一台二台三台と追い越し、結構な長さのある階段の段を無視してジャンプされた所で、キャパオーバーを迎えそうになった後、僕は気絶した。と、いうかキャパオーバーを迎えた。胃袋的な意味で。






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あきゅろす。
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