差し出した手を「冷たい」と笑って暖めてくれた、あの貴方の手のひらを人は幸福と呼ぶのね。
店仕舞いの刻、陽七は干していた着物を仕舞う作業をしていた。
(僕にも、こんな綺麗な着物が作れるだろうか)
一糸乱れぬ、鮮やかな刺繍。暫しの間見とれていた陽七は、小さな嚔を一つするとまた手を動かし始めた。
「お疲れ様です、陽七」
最後の着物を片付け終えると、徳勝が茶を淹れて待つ居間へ向かった。
「夕餉までまだ時間があります。小腹が空いたでしょう、茶菓子でも如何ですか」
「はい、いただきます!」
台所で手を洗い、軽快な足取りで戻ると徳勝の向かいに座った。湯気の立つ茶を啜り、安堵の溜め息を吐く。
視界の端に今朝の反物が映る。思わず眉間に皺が寄り、それを見た徳勝が可笑しそうに笑った。
「初めから上手くいくとは限りませんよ」
見透かされた言葉に、顔を赤らめる陽七。微笑を湛えたまま、徳勝が茶菓子に手を伸ばしたその時。
「っ、!?」
「……何事でしょうか」
徳勝達の家の裏で大きな音がした。顔を見合わせた二人は、手にしていた物を置くと急いで路地へ出た。
「子供の悪戯でも……あ、っ」
徳勝がぴたりと足を止める。その後ろからそっと覗き込み、陽七も同じように声を上げた。
「……大丈夫、ですか?」
徳勝が声をかけると、それは---正確には、その人は---よろよろと立ち上がった。
「……へぇ」
「もし、どこかお怪我でも?」
「…いや……何でもないんで、っ」
言葉を遮るように、男の腹の虫が鳴く。目を丸くした徳勝は、ことを理解すると可笑しそうに微笑んだ。
「宜しければ、何か召し上がって行きませんか」
「…え?」
その提案に驚いたように声を漏らした男は、暫く徳勝と陽七を見比べていたが、やっと小さく頷いた。
「では、お上がりください。陽七、お茶をもう一つ用意してくれますか」
はい、と短い返事をした陽七は、男に肩を貸す徳勝に先立って家へと戻った。
差し出した手を「冷たい」と笑って暖めてくれた、あの貴方の手のひらを人は幸福と呼ぶのね。
(また一つ、幸福が増える)
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